第38話 禁断の秘術

「どうなっている……」


 眞海は構えていた錫杖を下ろした。


「しし、死んじゃったですかあ」

 

 又兵衛が前足で目の前に伏せた坊主の体におっかなびっくり触れてみる。

 反応は返ってこない。硬い肉体は瓦に貼りついたまま沈黙を保っている。


「だから元から生きてなんていなかったの。……おそらく呪縛が解けたんだ」


 蒼馬は破風はふから半身が落ちそうになっている別の一人を「よいしょ」と引き戻すと、検分を始めた。


 


 ――時はほんの少し前に遡る。


 巨大髑髏を操り移動していた蒼馬たちは、いよいよ御殿奥の楼閣を眼前に捉えた。そこで屋根へと飛び移って建物内部へ侵入しようと試みたのだった。

 

 それを阻む集団があった。

 黒い邪気を纏う坊主の一団が屋根上へと姿を現したのだった。

 彼らは待ち構えていたとばかりに蒼馬たちに向けて銃口を構えた。

 

(しまった。まだ憑かれた人々がいたか!)

 

 そう身構えた時だった。

 彼らが一瞬にして邪気を失い、その場に崩れたのだった。多くの者が屋根瓦を滑るようにして地上へと転げ落ちていった。さながら糸の切れた傀儡が舞台上から転げ落ちるようにして――。



「術者が自ら術を解いたか。あるいは誰かが見破ったか」


「……誰か、か」


 蒼馬は眞海の言葉にすっきりしない様子で頭を掻きむしる。けれど直ぐにも気持ちを入れ替えた。


「まあいいや。手間が省けたのは幸いだ。僕たちの目的はあくまでもこの騒ぎを鎮めることにある。そして妖どもを呼び寄せた元凶がこの天守の中に在る。さっさと向かおう」


 外にいた妖はあらかた片付いた。あとはこの建物の内部から湧く連中をどうにかしようと警戒を続けているが、あれ以降どうにも現れる気配がない。そこで蒼馬たちは意を決して二階の破風に備えられた格子窓を破壊して内部へと侵入した。


 ところどころ配置された燭台に火は灯っておらず、壁と廊下の境が掴みづらい。眞海が術で左手に火を宿すと、少しだけ見通しがよくなった。

 

 元々は権力象徴のための建物。普段使いする空間ではないから雑多な物置小屋の様相を呈している。壁に沿い武具が立てかけられてあったり、太い支柱の周りには書物や大小の葛籠つづらが積まれている。それらを横目に流しながら階段のある方へと向かう。


 この階層に敵の気配はない。

 しかし床下から強い邪気が立ち上ってきている。おそらくは地階の穴蔵(倉庫)に元凶それは在るのだろう。


「くちゃい、くちゃい」

 

 蒼馬たちの前を行く又兵衛が狂ったように連呼する。本来の図体ではこの狭い空間では不都合。そういうわけで、すでに主人の術で普段の猫と同じ大きさに縮めてある。そんな彼はご自慢の嗅覚によってそろそろ限界を迎えそうである。

 

 狭い階段を下りれば、ズン、と漬物石を肩にのせられたような圧力がかかったのを二人と一匹は感じた。それになんという異臭だろうか。水回りの臭いが濃くなっただけでは説明がつかない、この吐き気を誘う強烈なすえた臭い……。


「ご主人たまあ。わずかに土地神様の匂いがしましゅって、うえっ、うえぇっ!」

 

 えずく又兵衛を不憫に思う。しかし自分だってこの不快な空間にはこれ以上一秒だっていたくないと、そんな苛立ちを表明するように蒼馬は辿り着いた目の前の戸を思いきり蹴破った。


「おらあっ!」


 そして飛び込んできた光景に我が目を疑った。


「これは……っ」


 眞海があまりの悍ましさに閉口する。


 地面に描かれた大きな魔法陣。

 その円の中心に在ったのは人体とも獣とも取れない物体。

 球体状に膨らんだ肉の塊がある。その所所からひしゃげた骨が突出している。顔らしき部分はあるが首と呼べる境目がなく、眼窩はあれど眼球は備わっていない。鼻や口元の造形も粗末で、四肢は赤子のような短さだ。皮膚が不完全だから、当然爪や毛髪も形成されていない。どろっとした謎の液体と黒い邪気とが全体を包んでいる。

 

 まさに異形。

 生命反応をすでに失っている様子だが、果たしてこの哀れな物体は何を糧にして生み出されたのか。

 

 答えは部屋の隅を見れば明らかだった。

 無造作に積み上げられた屍。彼らはきっとこの実験的儀式の供物として用意されたのだろう。身に着けた衣服から失踪中の阿部家の者たちだということは判然としている。彼らの無念が魔を引き寄せ、そしてこの異形にも力を与える仕組みだったか。


 そしてその異形を置いた魔法陣の横に展開されたもう一つの円陣だ。その中心には楔で床に繋がれた大亀の姿があった。


「土地神様!」


「まずいね。神力を失いかけている。今すぐお救いせねば。しかしこの術式は……」


 眞海が言い淀むのは無理はない。左右の円陣の間に置かれた金香炉きんこうろ。強烈な死臭の中にわずかに漂うこの不思議な甘い香り――。


反魂はんごんの秘術か。さすがに失敗に終わったようだが」


「成功してたまるもんかっ。けどこんな風に放置したまま逃げるなんて」


 失敗に終わった儀式をそのままにして逃げたのは、自分たちとの接触を嫌ったためだろうか。術者の行方を追いたいところだが、今は土地神に施された複雑な呪いを解くことが先決だ。

 

 蒼馬たちは早速、呪法解除に取り掛かるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る