第21話 小田原の異変

 聞けば眞海は朱門の六つ上の兄弟子だった。

 二十八歳という若さですでに《僧都そうず》という地位にあり、僧尼そうにをまとめるいわゆる中間管理職のような立場にある男だった。しかし最近は天海の側に控えて守人と天海の間を取り持つ役に徹していたようだ。


 そんな彼が秘密裏に下山させられ、やって来た。大事な法事をいよいよ明日に控えてだ。それだけ事は深刻であり、急を要していたのだった。


「――ここ最近領内でおかしな出来事が続いているため、早急に原因を解き明かし、これを鎮めてほしいとのご依頼を賜ったんだ。小田原おだわら藩主、阿部備中守正次あべびっちゅうのかみまさつぐ様よりね」


 昨日の明け方、日光山に正次の使者が密書を携えて現れたらしい。驚くべきは天海がすでに山門の裏手に迎えをやっていたことだ。千里眼の持ち主と言われるだけあって、この事態をすでに予期していたのだろうか。


「事情を把握した和尚は直ぐにも私にお命じになられた。ただちに喜多院へ戻り、蒼馬と合流した後、現地へ向かうようにとね」


 本来守人は江戸を守護することに重きを置いているため、地方に放たれることは稀らしい。つまりその力を必要とするような特殊な事態に現地は陥っているということだった。


「しかしまたどうして突然そのような事になったのでしょうか」


「大樹ご一行が古河こがにご到着なさった日のことだ。小田原候が宿にお入りになられるとお国より一報あったそうだ。見回りの家士数名が忽然と姿を消してしまったとね」


「家来が逐電ちくでんしたってこと?」と蒼馬が訊ねる。


「小田原候もそうお思いになられ、急ぎこれを捜索するようお命じになったそうだ。しかしこれを追った者もまた行方知らずとなってしまってね」


「まるで神隠しみたいな話ですね」

 

 自分に起こった事を考えると透夜にはとても他人事には思えない。


「ああ。そういう噂が広まったのだよ。しかしどうも本当らしくてね。失踪した方々は府内はおろか、城内からも出た形跡がないそうだ」


「城の内部に妖が巣食っていると?」


 朱門が質せば、眞海はそれを肯定するでもないが不吉なことを続けた。


「その晩以来、城の辺りは常に霧が立ち込め、晴れることはないらしい。また城下や街道沿いで異形いぎょうを目撃する者が続出してね。手あたり次第に近くの寺社に清めを依頼したらしいのだが、しるし(効果)は一向に表れなかったらしい」


「それで天海に縋る次第になったってわけじゃな」


 透夜の膝上に居座るムジナが「まったく。情けないやつらじゃのう」と意見すれば、どの口が言っているんだろうと透夜はその忌まわしい口を両手で塞いでやった。


「民は不吉の前兆と怯え、外に出ることをしなくなってしまった。するとのお家の士気も自然と下がってね。それもそうだろう。目に見えるものであれば対処の仕様もあるが、相手は気まぐれに姿を見せてはこちらを惑わすばかり。そして一人、また一人と神隠しに遭えばいよいよ恐ろしくなり、お城から退避せざるをえなくなった」


 小田原といえば、豊臣秀吉の北条氏攻略の後、関東随一の城下町としてにぎわいを誇った土地だ。それが今は城下の大路おおじを薄ら寒い風が行くばかりとなっているらしい。


「あの。じゃあ今、小田原城は完全に妖の巣になっちゃっているってことですか」


「わああ。どこも大変なんだもんよう」


「んだんだ」


「んでもちょっと楽しそうなんだナ。お城のご馳走食べ放題なんだナ。これ間違いない」


 透夜の横にちょこんと座っていた小鬼兄弟が思い思いに言葉を放つ。


「藩主不在の際に起きた出来事とはいえ、城を放棄するような失態、上に知られれば責任は免れないだろう。信頼を損なえば二心ふたごころありとされ、最悪はお家取り潰しの沙汰さたともなりかねない。ゆえに小田原候は焦っておられるのだよ」

 

 阿部正次。『江戸戦記』にも出てきた人物だから知っている。《大坂冬の陣》の際、開戦直後に真っ先に城に突入して一番首を挙げた武将だ。

 そんな勇猛な武人が今はひたすら目に見えない恐怖に怯えている。きっと仏に縋る思いで天海を頼ったに違いなかった。


「ご政道に口出しはしないが、助けを求められれば出来る限りを尽くす。それが和尚の常ではありますが、しかし今回は厄介なことになりましたね」


 朱門の言葉に眞海は「ああ」と頷く。


「極秘に接触を受け、あまつさえ頼みを聞き入れてしまった。問題が明るみになればこちらの立場も当然危うくなる。ゆえに事は慎重に運ばなくてはならない」


「……あの。妖の仕業ってだけでしょうか。たとえば小田原のお殿様を邪魔に思う誰かが起こした騒ぎだってことも考えられたりはしないのかなぁって。天海大僧正はそのあたりをどう思っているんですか?」


「あのお方はなにもおっしゃられなかったよ。それを我々で確かめてこいと。そういうことなのだろうね」


「ふうん。それってまるでさ、白夜のお役目みたいだよね。あいつが忙しいから代わりに僕を連れて調べてこいって?」


 蒼馬がいじけたように言うと、眞海がその場を立ち上がる。蒼馬の前まで移動すると膝を折った。バッと両手を広げたものだから、まさか手を上げるのかと透夜は緊張した。

 大きな手の平が金色の髪を慈愛に満ちた手つきで撫でる。


「それは違うよ、蒼馬。君は守人一方術ほうじゅつの扱いに長けている。それに聡い。今回の騒ぎを鎮めるには必要不可欠な存在だ。あの方もそうお考えになられたからこそ、是非に君に向かってほしいと、そうおっしゃられたのだからね」


「……ふうん。ま、いいんだけどさ」


 燻った口ぶりだが蒼馬の表情はまんざらでもなさそうだ。さすがに扱いが上手い。


「しかしこの数日でそこまで騒ぎが広まったのです。相当な数の妖が集まっているのでは」


「ふんっ、どうってことないね」


 すっかり自信をつけた蒼馬が余裕気に語る。


「やつら街道にまで溢れているって言っていたよね。それってさ、この前の目黒の件も関係しているんじゃないかと僕は睨んでいるんだよね。――瀧泉寺。千代田城の裏鬼門を封じるとともに東海道の守護も司っていたお寺だよ。それが過去の災いによってすっかり地力を弱めていたところにあの晩の大騒ぎ」


「するとあれかい。騒動で結界に綻びが生じ、街道の拠点である小田原にも妖が現れるようになったと。そういった見解かい」


「関わりがあるかもしれません。修繕は白夜を含め三人で試みましたが、の相性もあるのか以前と同じ強固な結界を張ることは難しく。すると遠くの街道沿いで湧いたそれらを払うまでには至らなかったということかもしれません。不甲斐ない話ではありますが」


「……そうか。まあ長年あの寺は修験系の方が住持して結界を守護していたわけだが、数年前の災いによってそれも途絶えてしまったことだしね。仕方のないことだろう」


「しかしその予測が真実ならば、小田原だけでなく街道各所にやつらは現れているかもしれません。現地に向かうには使妖の手を借りれば手っ取り早いですが、こうなると行きは徒歩かちで東海道を行くしかないかもしれませんね」


「そうだね。もしもそうした事態となっていれば各所で清めを行っていく必要がある。民の安全こそが第一だからね。……しかしそうなると厄介だ。なにしろ時間がない」


「ええ。幸い日光祭礼にともない人の出入りが厳しく制限されている今、諸国の不穏な噂はまだ江戸には届いておりません。しかし現地はどのような事態になっていることやら」


「行ってみないことに、こればかりは分からないね。つまり我々も急がなければならないということだ」


 そう言って眞海はすっくと立ち上がる。蒼馬に向かって苦笑いを浮かべる。


「ということで。昨晩の勤めから帰ってきたばかりで非常に申し訳ないのだが、旅支度が整い次第、直ぐにもここを出たいのだよ」


「……はあぁ。肌荒れがひどいことになりそう」


 蒼馬がやれやれと項垂うなだれる。

 朱門が懐から紙と細筆の入った竹筒を取り出した。


「ようし。では早速握り飯をこさえてやるのに米を炊かねばな。道中着も用意しなくては。草鞋も新しいものを出しておこう。あとは雨具もな。それからそれから――」


「あ、俺おにぎり作るの得意だから手伝います。この時代の具ってなんですか。あれ、塩だけなのかな。というか炊飯器はないからかまどで火起こし体験か。初めてだな」


「おうおう透夜よ。超絶塩っ気のある握り飯にしてやれい。ついでにわあには味噌を塗って焼いたものをこさえるように」


「わあ。美味しそうなんだもんよう」


「んだんだ」


「お出かけ楽しそうなんだナ。オイラたちもついて行きたいんだナ。これ間違いない」


「ずっこけ三兄弟。お前たちは関係ないでしょうが。これは遊びじゃないんだ。とっとと森に帰りなよね」


 思い思いの発言に眞海が笑いを噴き出した。


「ははは! まるで君たちときたら家族のような仲の良さじゃあないか。さしずめ朱門、君はみんなのお母君といった役所かな」


 その発言に朱門は走らせていた筆を止めた。


「仕方ないではありませんか。古来より可愛い子には旅をさせよと云いますが、蒼馬かれをこうも遠くにやるのは初めてで心配事は絶えませんよ」


「ふふ。年長者の悲しいさがというやつだね」


「まったく。世話焼きなんだから」


 そんなふうにちょっと照れた様子だった蒼馬だが、旅装を整えるとほどなくして喜多院を発ったのだった――。

 

 




 二人の背中がどんどん遠ざかっていく。透夜たちはそれをいつまでも見送っていた。


「初めてです」

 

 そうぽつりと透夜がこぼせば「うん?」と隣に佇む朱門が透夜を見やる。


「名前で呼ばれたの。『透夜。任せたからね』って。いつもは『お前』って呼んでくるのに」


「はは。あやつは天邪鬼あまのじゃくだからなあ。……しかし本当はそなたに人一倍期待しているのだ」


「そうなんでしょうか」


「そうだとも。だからこそ、その期待に恥じぬよう今晩よりしっかりと励まねばな」


「え?」

 

 朱門は何気ない口調で言う。


「今晩より妖始末にともに赴いてもらうぞ。なにせ人手不足であるからな」


「ええぇっ! さっき言っていた覚悟って、もしかしてそういうこと!?」


「さよう」


「お。さっそくわあの出番か?」

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