五色の守人
御田義人
五色結界編
第1話 奇妙な親子の日常
目黒川沿いの桜並木が艶やかに咲き誇っている。
往来を行く人達が立ち止まっては携帯電話を片手にポーズを決めたり、目の前に垂れた枝に手を伸ばしている。夕日に映える一部分をレンズで切り取ろうと躍起になっていた。
「無理もねえなあ。こんなに美しきゃ、その目に留めるだけでなく一瞬を切り取りたくもなるってもんだ」
隣を歩く男が突如として粋なことを言ったものだから、
「バシャバシャ撮ったって何回その後見返すかな。SNSに上げた後には撮ったことさえ忘れてそうだ」
画面越しに記録に残すのと、その目で記憶に残すのと。どちらが尊い行為かなんて透夜には分からない。だって自分は携帯電話という文明機器を持たせてもらえていないのだ。けれど放課後にこぞって操作する同級生を見て羨ましく思ったのも中学に入学したての当初だけだ。今では画面に必死に食らいつく彼らを見て、大変そうだな、という感慨しか浮かばなくなっている。
「あれま。ひねくれてんなあ。そんな風に僕、育てた覚えはないんですけどお?」
養父であり保護者でもある黒須
「ほっほう。こりゃあ絶景かな」
画面を覗くまでもない。被写体は桜――ではなく、それを背景に自撮りをしている女性だろう。胸元の大きく開いた服を着ていたのが横目でも分かったから、透夜は辟易した。
「ある部分にズームするな。というか肖像権の侵害だぞ」
「だあって随分と立派に育っているしい。見て下さいと言わんばかりに開いているしい?」
「まんま犯罪者の発言だぞ。最低。えろ目的に使うくらいなら俺にも持たせてくれよ。ゲームとかしたいわけじゃないけどさ、あんたと連絡取るのに不便でしょうがないじゃん」
「高校生になるまでは駄目ですう」
真がようやく視線を画面から外したと思えば、途端に保護者風を吹かせてくる。
「いいか。今は良くも悪くも情報が溢れているんだ。真実かどうかも分からないような情報がな。だから己の目で見て、考え、行動する。そうやって若いうちは経験を重ねてその目を養わなくちゃあ将来ろくな大人になれないぞ」
「その通りだと思うよ。目の前に完成形がいるもので」
「くうう、息子が辛辣う。……でもまあそうだな。俺を反面教師として立派に育ってくれたまえ」
ちっとも堪えた様子ではない。
まったく大人は勝手だと思う。
家でも夜遅くまでパソコンと向かい合って仕事でもしているのかと覗いてみれば、真面目な顔して見つめているのはいつだっていかがわしいサイト。たまに古書店の店主としてそれらしい作業をしていることもあるが、透夜が目撃するほとんどは彼の欲にかられた背中だった。
そんな調子だから商店街の端に構える真の店はほとんど趣味の延長で、お客は日に三人訪れれば良いほうだ。飲み仲間である商工会の面々や地元郷土会の爺様方が冷かしついでに自分たちをのぞきに来るのが常だった。当然これで二人食べていける訳もなく、真はもう一つの趣味であり昔から得意としていた剣術と柔術の指導者として近所の道場を時間借りして生計を立てている。
一人だって不安定な暮らし。その上、遠い親戚の子供を引き取るなんてとんだ酔狂者だ。それでも毎日あっけらかんと笑う彼を見て透夜は感謝しかなかった。恥ずかしくていつも言えないけれど、このくたびれた背中に何度「ありがとう」と心の中で投げてきたことか。
「ん、なんか顔についているか」
家を出る前に髭を剃るよう催促したから真の顔周りは小奇麗だった。それでもまじまじと見つめていた透夜に真は不思議そうな顔をする。「別に」と透夜が視線を逸らすと思い出したように「あ」と声に出して、顎を軽く前に投げた。
透夜が手を前に差し出す。すると手の平にしわくちゃの野口英世が乗った。
「どういうこと」
「今日は続けてもう一稽古入ってんだ」
「え、聞いてないよ」
「今言ったもん」
「もん、とかつけても可愛くないから」
「可愛いもん。少なくとも教室に通うご婦人方には『真くん可愛い~』って人気ですう。というかうちの子ったら反抗期ですか。イケメンにすくすくお育ちあそばせても、かっこつけマンは今時流行らないんですからね。昨今はギャップが大事なんですから!」
これ一番大事なんだからね、と語気も強めにアニメのヒロイン然とこちらに指差しポーズを決めてくる三十八歳に戦慄を覚える。でもここでツッコミを入れたら終始相手のペースになることを察し、透夜は話題を手元に戻した。
「とにかくこのお金は晩飯代ってこと?」
のってこない息子に一笑し、彼は「ああ」と頷く。
「じゃあスーパー寄って帰るかな。七時過ぎなら見切り品もあるだろうし」
「おいおい。十四歳が放つ台詞かよ。まあその責任は俺にもあるんだろうが」
そう言って自嘲気味に鼻先を指でかくと、真は頭を振った。
「今晩は作ってくれなくていい。
「来週の郷土会の集まりで使う資料、ずいぶんあるね」
透夜は左手に下げた紙袋を軽く持ち上げる。中には紙束がぎっしりつまっていた。
「爺さん風邪をこじらせて二週間ほど入院していただろう。渡せていない資料がうちに溜まっちまっていたからな。まとめて届けてやってくれ」
「そっか了解。それじゃあ笹爺のうんちくを聞きながら晩飯としゃれこみますか」
「ははっ! 年寄りの話はどうしたって長くなるからな。まあ適当に切り上げて帰れよ」
「そのタイミングを図るのが難しいんじゃんか」
透夜が口を尖らせれば、真は「違いない」と苦笑した。
「……でもよ。真面目な話、お前も店番に稽古に家事にで疲れているだろう? 新学期始まるまでは少し羽を休めろよ」
「ちゃんと休ませてもらっているよ。稽古はおっさんが指導者とはいえ、俺だけタダでみてもらっているわけだし、店番は閑古鳥が鳴いてばっかだからもっぱら読書の時間だし」
「おい。それは俺も泣いちゃうから言わないでくれたまえ」
「それに。郷土会の集まりは俺、好きで付き合っているんだけど?」
透夜が得意気に見上げれば、真はきょとんとした後、目尻に短い皺をすっと刻んだ。
「そうだな。お蔭でお前は近所の爺様方のアイドルだ。ただなあ。年相応のお友達がちったあいてもいいと思ったまでだ。春休みっつうのにお前、誰ともつるんだりしてないじゃないか。なに。いじめられたりでもしてんの」
「そうならないように俺を鍛え始めたのはあんたじゃないか。要らない心配だね」
「ならいいが」
真の手が透夜の頭をごしごしと撫でる。その手に巻かれた数珠の水晶玉が夕日を受けて視界の端でちらちらと反射する。これは二代目だ。それまで真が肌身離さず着けていたものは、今は自分の左手に巻かれている。先月「立志の祝いにやるよ」と真から貰い受けたのだった。幸い学校でも禁止されていなかったから身に着けて登校していたが、そのせいでクラスメイトからは「どこの宗教だよ」と冷ややかな目を向けられることもあった。
こんな状態だから友達と呼べる存在は学校にはいない。でもそれを悲しいと思うことは透夜にはなかった。近所の大人たちが透夜にとってはいつだって話し相手だったからだ。
彼らは経験豊かであらゆる事を教えてくれる。そうして彼らから新しい事を教わる度に、透夜は心の底から湧き立つような歓喜にその身を震わせていた。特に真が加入している地元郷土会の集まりだ。これに参加させてもらう時なんて本当にもう興奮の一言に尽きる。資料館の学芸員や役所の観光課職員、神主や住職もメンバーにいて、彼らの話からかつての地元を想像する時間はとても有意義だった。
そんなふうにして得る知識が、同級生からは「オタク」やら「残念」の言葉で片付けられてしまう。それこそが残念な話じゃないかと透夜は思う。だからと言って彼らに話題を合わせるのは違う気がする。では新学期はどう対応していこうかと透夜が悩んでいると、
「そういやあ頼んだ本も届いていたっけな」
真の声に現実に引き戻された。
「透夜。帰りついでにコンビニに寄って受け取ってくれ」
「ネットでこの前取り寄せていたやつ?」
「そうそれ。これ荷物番号の控えね」
真は今度は逆側のポケットを漁り、くしゃくしゃの紙屑を透夜に手渡した。
紙屑を広げれば数字の羅列が二段控えてあった。先日大阪の同業者から真が個人的に依頼した本だ。ついでに絶版になっていた透夜お気に入りの小説の続巻もその店にあったらしく、一緒に頼んでくれたらしい。
断る理由はなかった。というか早く受け取りたい思いで稽古にも俄然やる気が湧いた。
分かったよと頷くと二人は再び川沿いを歩き始めた。
「にしても便利な時代になったもんだ。欲しい物があっという間に手に届く。令和の時代には我々はどこまで進化するかねえ」
「まるで大昔から生きてきたみたいな言い方。そういうのが年寄り臭いんだぞ」
「ぬぬ。おっさん通り越して年寄りとは。失敬なやつめ。まだまだ現役ですう。今日だってワンチャンあるかもしれないっていうのにいって……しまった」
「やっぱり今日のもう一つの稽古ってあれだろ。《働く女性限定護身術》とかいう。……そりゃあ稽古上がりに俺がいたんじゃ邪魔だよなあ」
「そ、そういうわけじゃないよう。透夜くん」
「じゃあやっぱり晩飯を作って帰りを待っていてやる」
「遠慮します。戸締りして先に寝ていて下さい。お願いします」
「そらみろ。本音はそれだろ」
透夜が冷ややかな視線を向ければ「かなわないなあ」と取り繕ったように真が笑った。
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