第7話 敵国の捕虜

 広い廊下に、皿の破片や料理の残骸が散らばっている。そのそばには、顔を真っ赤にして怒っている年配の女性と、金髪に白い肌の少女メイド、二人に見下ろされている痩せっぽっちのこどもがいた。こどもは褐色肌に黒髪で、フェトラ王国ではあまり見ない容姿だ。

「役立たず! よくも聖女様に差し上げる大事なお茶菓子を台無しにしてくれたね!」

「わざとじゃありません、先輩がいきなり足を引っ掛けてきて……」

 褐色肌のこどもの言葉に、今度はそばにいた金髪の少女が怒った。

「人のせいにするだなんて、この恥知らず! さすがトルキア人だわね!」

「………先輩こそ、捕虜のこどもをいじめてそんなに楽しいんですか」

 こどもの言葉を聞いた若いメイドの顔はみるみるうちに紅潮した。

「黙れ! 汚らしい悪魔の手先が!!」

 若いメイドがそう叫んで、こどもをいきなり殴り飛ばしたところで、音を辿って廊下にたどり着いたエリはあわてて駆けつけた。

「何があったんですか!?」

「これはこれは聖女様……!」

 メイド二人がすかさず地に膝と手をつく。トルキア人だというこどもは棒立ちで、駆け寄ってきたエリをじろりと睨んだが、ベテランのメイドが慌てて頭を床に押さえつけた。

「申し訳ございません、このトルキア人の奴隷が粗相を致しまして、聖女様のお茶菓子を台無しにしてしまったのです。すぐにコックに新しく作り直させ、この者にはしかるべき罰を与えますのでなにとぞ……」

「罰なんていりません。こどもがやったことじゃないですか」

「しかしそういうわけには……」

「……この子をゆるしてください。聖女の命令……だと、思ってほしいです」

 拙い命令だったが、メイド二人には効いたらしく、おとなしくなった。エリは膝を折ってこどもに目線を合わせる。先ほどぶたれた頬がひどく腫れていた。

「大丈夫? 怪我してるよ、手当を――」

「触るな!!」

こどもは、治療の魔法を使おうと、かざしたエリの手を叩いて振り払った。その瞳には激しい憎悪の色が浮かんでいる。

「えっ、どうして!? 私はただ――」

「我々は、たとえ血塗れになってくたばろうとも、決してフェトラの魔女の憐れみなど受けるものか!」 

 こどもは、エリの見たところ、まだ11~12歳というところだ。そんな小さなこどもに、身に覚えの無い強い憎しみを向けられていることに、エリは圧倒されてしまう。

……しかし、これくらいのこどもから向けられる批難めいた視線を、エリは既に知っているような気もした。一体どこで………

「聖女様に向かってなんという口の聞き方を! こうしてくれる――」

 年配の女性が腰に提げていた鞭をこどもに向かって振り上げた。

「やめて!!」

 エリはこどもを庇い、代わりに自分がベテランのメイドに鞭打たれる格好となった。

「うわあああっ、痛っ…………!!」

 服の上からでも、鞭の痛みはすさまじく、エリは絶叫した。メイド頭は真っ青になった。 

「もももも申し訳ございません聖女様!!お許しくださいお許しください……」

「聖女殿の悲鳴が聞こえたが何事かあったのか」

 ハロルドが、騒ぎを聞いてやってきた。メイド頭は弾かれたように、自分の手に握っていた鞭を手離して廊下に打ち捨ててしまった。エリはじんじん響く痛みをこらえて、平静を装いながら言った。

「何でもないんです! あの……そう、ちょっと転んだんです!」

「……なるほどな。おい、そこの者共。ここをすぐに片付けるように。聖女殿は念のため、私が医務室までお連れすることにしよう。……失礼。」

 ハロルドが短く言ったかと思うと、エリの体がふわりと持ち上がった。ハロルドが軽々とエリを抱きかかえたのだ。

「ハロルド様!? あの、本当にたいしたことないので……」

「念のためだ。参るぞ」

 メイド二人とトルキアのこどもが割れた皿や食事の残骸を片付ける脇を、ハロルドはエリを抱えて歩いていった。

 使用人たちの姿が見えなくなったところで、エリを抱きかかえたまま、ハロルドが声を落として言った。

「……すぐに医者に見せよう。しばし辛抱されよ」

「あの、歩けますから大丈夫ですよ」

「鞭で打たれた貴女を歩かせるわけにはいかないだろう」

「……見ていたんですか!?」

 エリが驚いて尋ねるとハロルドは首を横に振った。

「いや。しかし血の気を失ったメイド頭の顔と、落ちていた鞭を見れば何があったかはわかる。貴女があの者らを咎めないのであれば、私からは何も言うまい」

「………ありがとうございます」

 すべてをわかっていたハロルドに、エリが礼を言うと、彼はただ「聖女殿の意向に従うのは当然のことだ」とだけ答え、医務室に着くとエリをおろした。医師は不在らしく、部屋には誰もいない。ハロルドは眉をひそめた。

「こんなときにいないとは……おそらく巡回だろうからすぐ戻ると思うが」

「あ、そうなんですね。じゃあ一緒に待ちましょうか」

「……………は?」

 エリは何気なく言ったつもりだったのだが、ハロルドが固まっている。

「ちょっとお聞きしたいこともあったし……お医者さんが来るまで、座って待っていましょう」

「いや、しかし………朝夕の食事を共にすること以外は、まだ駄目だ。約束と違う……」

「椅子に座るくらいで何をおっしゃってるんですか? さっき抱きかかえてくれましたよね?」

「いや、あれは緊急事態だったゆえ………」

「とにかくもっと楽にしてください。」

 エリがそういうと、ハロルドはすらりとした体躯をぎこちなく動かして、本当に少しだけ脚を広げて長椅子に座り直した。

 さっきまで颯爽とエリを抱えて歩いていたのが嘘のようである。

 まあいいか、とエリはため息をついて長椅子の空きに座る。

「ところで、さっきの子は一体誰だったんですか?」

「彼女はトルキア帝国の捕虜だ。」

「あの、トルキア帝国って……?」

「……ああ、そうか。知らなくて当然だったな」

 ハロルドにとっては、当たり前過ぎて説明を忘れていた類のものらしい。

「トルキア帝国はここから東の海にある、月と砂漠の国だ。黒龍を神として崇め奉っていている。トルキアと我が国は緊張状態で、たびたび小競り合いを起こしていてな。先程のこどもは5年前の戦で捕らえた捕虜で、城の下働きをさせているのだ。……父上には、子どもでも容赦なく殺してしまえと言われてしまったが」

「えっ」 

「禍根を残しかねない、甘い判断だと批難されるのはわかっている。しかし、私にはどうしても子どもを殺せと命令することはできない」

「全然いいと思いますよ!?」

 エリは思わず言った。

 その様子に、ハロルドは少し驚いたように目を見張る。

「驚いた。しかし、君は異世界の人だからそう思ってくれるのかもしれないな。……邪教徒のトルキア人は皆殺しにするべきだと思っている臣下と民がほとんどだと言うのに。女子供であってもトルキア人は悪魔だ、赦してはならないと」

「……本当に、トルキアはそんなにひどい国なんですか?」

 エリの問いに、ハロルドは首を振った。

「いいや。トルキアは美しい国だ。大きな市には、瑞瑞しい果物に美しい織物、こちらでは手に入らないスパイスや菓子がずらりと並んでいて。眩いばかりの白い宮殿も立派だが、市井に住む人々も笑顔で豊かに暮らしている。昼間の太陽は焼け付くように熱いが、月が照らす夜の光景はこの世のものとは思われぬほどに美しい」

 トルキアを語るハロルドの瞳には、微かな優しさがあった。とても敵国のことを語っているようには見えない。まるで遠く離れた故郷のことでも話しているようだ。

「ハロルド様は、トルキアに行ったことがあるのですね?」

「ああ。こどものころ、両国の和平のために留学に行ったことがある。現皇帝のカシムとはその時に友人となった」

「そこまでしておいて、なんでまだ和平が結ばれてないんですか……?」

「国王陛下はトルキアの富を欲しがっておられるのだ。トルキアに足を踏み入れたことがない臣下や民は、ただ彼らの肌の色が浅黒いというだけで、悪魔のように忌み嫌っている。民に根付いた悪感情はそう簡単には変えられない。……だが、まだ和平を結ぶ手立ては残っている」

 ハロルドの声には、確かな決意がこもっていた。

「あの、その手立てというのは」

「……しゃべり過ぎてしまったな。これ以上は貴女の知るところではない」

 ハロルドはいきなり立ち上がった。

 まるでそれが合図であったかのように、巡回していた医師が帰ってきた。

「聖女様にハロルド殿下!? これはこれは……」

「挨拶は良い。聖女殿が怪我をされた。診てさしあげろ」

 ハロルドは短く言うと、そのままずんずん歩いていく。

「それでは、私は残りの公務に取り掛かる。今度こそ夕餉にお目にかかろう、聖女殿」

「あ、あのっ……!」

 エリはハロルドを引き留めようとしたが叶わず、彼は行ってしまった。

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