第19話 女神の成り立ち
太古の昔。荒れ狂う黒龍の怒りを鎮めるために、村長の娘、フェリアは龍に捧げる生贄にされた。
後世の伝説では、この少女が自ら進んで生贄になったとされているが、それは事実と異なる。跡継ぎには彼女の兄がいて、姉は良家に嫁ぐことが決まっていた為、余り物の妹が爪弾きにされたのである。村長の家から生贄を差し出したのは、村人からの文句を村長が恐れたからだった。
少女は自分を黒龍の生贄に差し出した家族を呪い、村を恨み、黒龍以上の災いを振りまいた。少女の家族は皆、不審な死を遂げ、村には謎の疫病が蔓延した。
生き残った人々は少女の呪いを恐れ、彼女の怒りを鎮めるために神として崇め奉ることとした。それが後の世に伝わる女神ユーフェリアである。
彼女を祀った人々はやがて神聖フェトラ王国という国をつくり、女神ユーフェリアを祀る立派な教会を作った。それからこの国に産まれる赤ん坊の祝福、死亡した民の葬儀、王の戴冠式などに教会は使われることになり、国にとって欠かせない存在となった。人々の信仰が集まれば集まるほど、女神ユーフェリアの力は強くなった。
人々の女神への信奉はあつく、ユーフェリアは呪いをまき散らす神から、慈愛の女神へと変わった。しかし、彼女は退屈だった。あまりにも。
そんなとき、神聖フェトラ王国の第1王子ニコラスの成人の儀のために、国王とニコラス、弟王子二人が教会を訪れることになった。もはや王子の成人の儀など飽きるほどやってきたユーフェリアは、慣例通りさっさと祝福を与えて終わらせようとして……第3王子ハロルドの顔を見て、ドキンと胸が高鳴った。
王家の人間といえば、これまでずっと同じような顔立ちの芋男ばかりであったのに、ハロルドは父や兄には似ても似つかぬ美しい少年だった。揺れる金の髪、柔らかく白い肌、晴れ渡った空のように青い瞳、気弱そうだが聡明そうな顔立ち……ユーフェリアはもうニコラスやモーガンのことなど目に入らなくなっていた。思い返せば、ハロルドが産まれたとき、生誕の祝福を与えたので、赤ん坊のときに一度会っている。確かにそのときにハロルドを美しい赤子だと思っていたが、こんなに美しい少年になるとは思っていなかった。
それから、この女神はハロルドのことしか考えられなくなってしまったのだ。……そう、彼女は初めて恋をした。人間だった頃、恋も知らずに死んだ乙女は、女神になって初めて王子に恋をしたのだ。
初めは、教会に祈りに来る彼の姿を見ているだけで良かった。
しかしある日を境に、ハロルドは急に教会に訪れなくなる。ハロルドが遠き異教徒の地に留学の形で追いやられた為にユーフェリアはその全貌を知ることができなかった。死ねば魂が天に召されるため、ユーフェリアには必ずわかる。よって、ハロルドがどこかで生きているという確証はあったものの、どうして彼が訪れないのかがわからず、ユーフェリアは恋の炎に身を焦がして苦しんだ。
それがある日、ニコライとモーガンが日課の祈りのあとに、ハロルドのことを話しているのを聞いてしまった。
ハロルドにはトルキアの軍事機密の密告を期待していたが、あれは本当に使い物にならない。トルキアの市場や学問の様子などくだらぬことばかり報告してくる。ニコラスが王位継承をするにも、ハロルドの存在はもはや不要である。もう何食わぬ顔でトルキアに攻め込んで殺してしまおうか、と……。
ハロルドを蔑ろにするニコラスとモーガンが赦せず、ユーフェリアは神の怒りたる雷を二人に落とした。女神を怒らせた二人の王子はむごたらしい死に様であった。当然の報いだ。
これはユーフェリアは計算していなかったことだが、兄二人の訃報を聞いて、ハロルドが帰ってきてくれた。久しぶりに見た彼は、身体が男らしく大きくなったが、少年時代の美しさが損なわれることはなく、むしろ凛々しさが加わって、輝くほどに立派な青年になっていた。
少し前までは、遠くから見ているだけでいいと思っていた女神の恋心は一気に加速した。彼の隣に立って笑い合いたい。彼の腕に抱かれてその体温を感じてみたい。そんな欲が渦巻くようになっていた。
ああ、ハロルド、私の愛しいハロルド!
あなたの為なら、私はどんなことでもしてあげる!
邪魔者はみんな消してあげるし、あなたの身に降りかかる不幸はすべて私が払い除けてあげる。私には、それができる力がある……!
だから戴冠式ではかつてないほどありったけの祝福を込めた。自分の声も聞かせてあげた。
しかしハロルドは幼い頃からスカーレットという娘に夢中でまるでこちらを振り向いてくれない。彼女の存在が憎かった。何故あの女はハロルドに笑いかけてもらえるのか。愛していると言ってもらえるのか。自分が彼女の隣に立ったなら、絶対に自分のほうが美しいに違いないのに。
……そこまで考えて、女神ユーフェリアは思いついた。そうだ、自分が天から降りてしまえばいいのだと。女神の器となる女を探し、それを王子の妻とするように託宣を授け、その器に憑依する。そうすれば自分がハロルドの隣にいられる。ハロルドも自分を愛してくれるはずだ。
女神の器は、誰でも良いわけではなかった。試しにそこいらの村娘や貴族の令嬢などで憑依を試してみたが、並の娘では身体が保たないらしく、みんな残らず発狂してしまった。自分の器たる女を見つけるには、もう異世界からふさわしい人間を引っ張り上げてくるしかない。
女神の力を分け与えるために、異世界から女神の器たる聖女を召喚しハロルドの妻とせよ、と大神官に御言葉を与えてやれば、彼は大喜びで励んだ。
ハロルドもこれを了承した。スカーレットとの婚約を破棄し、彼女との接触を一切絶ち、ゆかりの品を処分した。
ユーフェリアはこれを喜んだ。しかし、ある時、ひとりで静かに教会で祈りを捧げるスカーレットを、執務で教会前を通りかかったハロルドが熱いまなざしで見つめているところをユーフェリアは見てしまった。
あの女は生きている限りハロルドの胸の中から消えることはない。そう気がついたユーフェリアは、スカーレットの馬を錯乱させ、落馬事故で亡き者にしようとした……のだが、何故か彼女は息を吹き返してしまった。
忌々しい女。だが、生き返ってしまったものは仕方がない。一度引き戻された魂をむりやり天へ送ろうとするのは骨が折れるのだ。いつかまた機会があるだろう。
そう思っていたユーフェリアだったが、いざ己の器が召喚され、それがハロルドと信頼関係を築き始めると、ハロルドに会えないスカーレットの姿に愉悦を感じるようになっていた。
仮にハロルドが未だにスカーレットを慕っていたとしても、彼の声を間近で聞き、彼の肌に触れ、腕に抱かれる権利があるのは妻たる女神の器もとい自分だけなのだ。そう思えば、生かしておいてやるのも悪くないと、ユーフェリアはにたりと笑った。
指をくわえて私とハロルドが結ばれるのを見ていればいい、スカーレット・バイルシュミット。
「……ユーフェリア。もうやめにしないか」
鬱陶しい声が聞こえてきて、ユーフェリアはうんざりとした顔になった。声の主たる黒い龍は、心配そうにユーフェリアの周りをうろうろしては、ときたまこうやってユーフェリアの気持ちに水を指すようなことを言ってくるのだ。
「こういうのは、君のためにもハロルドのためにも良くないと思う……」
「あら、あなたにそんなことを言う資格があるのかしら」
くるりと振り返り、その赤い瞳をにらみつける。
「私はあなたのせいで恋も知らないまま死んだのよ。その私の初恋を邪魔する資格は、あなたにだけは無いと思うわ」
そう言えば黒龍は何も言えなくなってしまう。だったら最初から黙っていればいいのに、とユーフェリアは思った。
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