第8話 王太子の思惑

 ハロルドの執務室にて。

 予期せぬ出来事も発生したが、今日も一日の書類にすべて目を通し終えたハロルドは、文官に部屋から下がるように命じた。

 今は夕暮れ時で、炎のような斜陽がもうすぐ沈む。聖女エリーゼとの食事の前に、ハロルドはどうしても秘密の要件を済ませておきたかった。

 抽斗からペンダントを取り出したハロルドは、宝石が嵌め込まれた台座を数回まわす。

 すると、宝石がピカピカと点滅して光りだした。そしてペンダントから声が聞こえだす。

「……やあ、ハロルド」

 それは、トルキア皇帝カシムの声であった。

「カシム。例の話は考えてくれたか」

「ああ。だが本当にいいのか、僕に任せて。フェトラ国内にだって良縁はあるだろうに」

「いや、なるべく遠くに行ってもらったほうが良いんだ。国内にいて万一災難が降り掛かったら、意味がない。それに……」

「それに?」

「……カシム。私は、任せるならお前しかいないと思っている。お前は先帝の崩御後、当時わずか16歳のときにトルキアをまとめ、先帝崩御の混乱の最中、攻撃を仕掛けてきた我が父の軍勢を返り討ちにして、繁栄を守ってきた偉大な王だ。お前ほどの男でなければ、彼女を渡そうとは思わなかっただろう」

「……驚いたな、ハロルド。君からそんなに褒めてもらえるだなんてね」

「お前を信頼していなければ、最初からこんな話は持ちかけたりしないよ」

 ペンダントに向かって話すハロルドの表情は真剣そのものだ。

「………それで、彼女の気持ちは?」

「気持ちの確認など必要ない。貴族とはそういうものだ」

「おい、ハロルド! 君、そういうところだぞ!」

 ペンダントから批難めいた声が聞こえるが、ハロルドは揺らがない。

「トルキアとの和平のためと言えば、スカーレットは納得してくれるはずだ。それに、私の本当の目的を知ったら、意地でも反対するだろう。それだけは避けねばならないのだ。それだけは……」

 不意に、執務室の扉がノックされたので、ハロルドはさっとペンダントをしまった。

「どうした」

「王太子殿下! 国王様がお呼びでございます!」

「これから聖女殿との夕餉の時間だ。ご挨拶している時間はない」

「その聖女様のことで至急報告に参上せよとのことです。国王陛下は酷くお怒りで……」

「昨夜のうちに馳せ参じて報告していれば、『病床で報告など、父を気遣うこともできぬのか、なんと冷酷な息子だ』となじられただろうにな」

 嘲笑うように言ってしまってから、伝令が困った顔になったことに気がつく。ハロルドは、しまった、と思った。彼の前でこんなことを言っても仕方がない。彼は父王の命令を伝えに来ただけなのだから。嘆息をついてから、ハロルドは言った。

「すまない、今のは聞かなかったことにしてくれ。ただちに参ろう。聖女殿には、夕餉は先に食べてもらうように伝えろ」

 そう言うと、彼は国王が臥せっている部屋へと向かった。


 国王の部屋は、豪華絢爛であった。

 意匠を凝らした派手な調度品に、金の天蓋がついたベッド。豪華な刺繍がこらされた絹の布団の中に、骸骨のような骨と皮ばかりの老人が横たわっている。

「不肖ハロルド、ただいま馳せ参じました、国王陛下」

「遅い! 相変わらずのろまな息子じゃの、お前はぁ!」

 国王が、ベッドのそばに置いてあった金の置物をハロルドに投げつけた。ハロルドは避けず、胸で置物を受け止めた。

「……申し訳ございません」

 ハロルドは怒ることをせず粛々と謝る。国王はそんな様子も気に入らないようで、ふんと鼻を鳴らした。

「ヨハネスから聞いたぞ。聖女が召喚されたそうだな。何故わしは王太子のお前からではなく大神官から先に報告を受けておるのだ? え? この親不孝者が」

 それは国王が大神官ヨハネスを重宝しており、息子であるハロルドを嫌っているからだ。ハロルドはそう言ってしまいたいのをぐっと堪える。

「良いか、必ず聖女をモノにするのだ。さすれば我が王家はますます女神の恩寵を受けることができるのだからな。女神のご加護があれば、あのような青二才が治めるトルキアなんぞ一捻りよ。亡くなった2人の優秀な兄たちに代わって、お前が王太子になったからには、それがお前の存在価値だと肝に銘じよ。わかったな? もう宰相の娘には二度と会ってはならぬぞ」

「そんなことはわかっております」

 ハロルドは淡々と答えたが、国王はまた癇癪を起こした。

「……何だその目は。わしを醜い老人と侮っておるな!? お前のその、わしを馬鹿にしたような目が気に入らん!!」

 痩せ細った王が、手当り次第にハロルドに物を投げつける。毎度のことながら、ハロルドは途方に暮れた。

「おお、おお、国王陛下。いかがされましたか?」

 突然、大神官ヨハネスが音もなくハロルドの背後から現れて、ハロルドはぎょっとした。

「ヨハネス殿! 助けてくれ! 頭が割れるように痛いんじゃあ……!!」

「大丈夫でございますよ。よく眠れるお薬を差し上げますからね。……王太子殿下、ここは私にお任せくだされ」

 ヨハネスの言葉に、ハロルドは正直安堵した。呻き続ける父に一礼して、部屋をあとにする。

 国王は去年から臥せっており、ああして癇癪を起こす。もう公務をこなすことは難しく、王としての仕事はもうすべてハロルドが引き継いでおり、実際に国王としての責務を果たしているのはハロルドと言っても良かった。

 それでも父は、ハロルドが王位を継ぐことを認めていない。もともとハロルドのことが気に入らなかったらしい父は、自分の目の黒いうちは決して王位を譲らないつもりらしい。故に、王太子の権限では調印できない……たとえば、トルキア帝国との和平条約などがそうだ……書類が多く、ハロルドは実質的な神聖フェトラ王国の最高権力者でありながら、父王の嫌がらせのせいで身動きが取れない、苦しい立場に立たされていた。

 父が静かに眠っている間は心が休まる。ヨハネスが王に与える鎮痛剤には毒が入っているのではという噂も立っていたが、ハロルドはもうそれでも構わないと思い始めていた。

 いっそ、そのまま眠るように亡くなってしまえば……。そんな恐ろしい想像をしたことも一度や二度ではない。父王に会った日は、普段高潔であろうとしている自分の、醜い心を見せつけられているような気がして、ハロルドは気が重かった。

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