第9話 スカーレットとの夕餉

 一方その頃、王宮の食堂では。

「あ、スカーレット。お水、おかわりいる?」

「い、いえ結構よ……」

「じゃあ私のお肉半分あげようか?」

「結構よ。あのね、わたくし子どもじゃないの。構わないでくださる? あと必要なことがあれば給仕係が対応するのだから彼等の仕事を奪わないでちょうだい」

「あっそうかゴメンね………何故かわからないんだけど、スカーレットってお世話したくなる顔だって言われない?」

「あなた……聖女じゃなかったら私への不敬罪で首が飛んでるわよ」

 エリとスカーレットが食卓を共にしていた。どうしてこうなったのかと言うと………。

数分前、ハロルドとの夕食のため食堂で待っていたエリは、急きょハロルドが来られなくなってしまったことを告げられた。

「お仕事なら仕方ないけど、こんな広い食堂で一人で食べるのなんかイヤだな……シャーロットさん一緒に食べません?」

 侍女のシャーロットに訊いてみたが、彼女は首を横に振った。

「聖女様とお食事を共にするなど、ハロルド様か位の高い貴族のお方か、大神官様にしか許されないことでございます」

「そう、なら仕方ないかぁ……」

 シャーロットが嫌がるのであれば、エリはそれ以上強要はしない。しかし、そんなに気を使われると、却って傷付く。エリがそう言おうとしたところで、食堂のドアの外から声が聞こえてきた。

「おやめください、スカーレット様!」

「このスカーレット・バイルシュミットに指図するなんて、偉いメイドもいたものね。お退きなさい」

 それから、程無くしてスカーレットが食堂に入ってきたのである。何故か大慌てのメイド数人の姿もあった。

「聖女エリーゼ様。貴女にお話があるの」 

「スカーレット! ちょうどよかった! 一緒にごはん食べていかない?」

「えっ」

 予想外の出来事にスカーレットは絶句して固まってしまい、メイドたちも困惑するなか、エリは自分でも驚くほどスムーズに席までスカーレットの手を引いて座らせると、メイドたちにスカーレットのぶんも食事を出すように言い、ともに食事をするに至ったのであった。

「あなた、よくお節介って言われない?」

「え……うーん、前の世界でのこと、記憶が曖昧だから、あんまりよくわかんないわ」

「……そんなに、記憶がなくなっているの」

 同情やら沈痛を通り越して何故か怒っている様子のスカーレットに、エリは慌てた。

「いや、あのね! そこまで悲観してないって言うか、そんな悲しくないから大丈夫なんだよ! ほんとほんと」

 両手をぶんぶん振りながら言うエリに、スカーレットは苛立ったように頭を抱える。

「……悲しくないから問題なんでしょうが」

「えっ?」

「……もう良いわよ。それより私の話を聞きなさい」

「あっ、ハイ」

 エリがスカーレットに気圧されてうなずく。

「あなた、ハロルド様とご結婚するつもりなんですってね」

「するつもり、というか、しなきゃいけないらしいというか……」

「ハロルド殿下との結婚はおやめなさい」

「えっ」

 周りがみんなハロルドと結婚しろと言う中で、はじめてそう言われたエリは少し驚く。

 スカーレットは、手紙の束を取り出して、エリに差し出した。

「これは?」

「これは、スカーレットにハロルド様がくださった手紙よ」

 エリよりも、シャーロットが驚いた。

「スカーレット様、何を……! 聖女様、ご覧にならないでくださいませ」

「いいから、読んでご覧なさい。ハロルド殿下からスカーレットへの想いが込められているわ」

「逆にわたし読んでいいのこれ!?」

「いいから!」

 スカーレットに促されてエリは手紙に目を通してみる。不思議なことだが、手紙の文字は明らかに日本語ではないのにも関わらず、エリは自国の言葉のように手紙の文字が理解できた。確かにそこには「遠く離れていても貴女の息災を祈っています」だとか「貴女の好きそうな髪飾りを見つけたので贈ります」だとか、スカーレットを気遣う言葉に溢れていた。あの無表情のハロルドがこんなに優しい文を書くのかと、エリは正直なところ、驚いた。

「ね、わかるでしょう? ハロルド様はスカーレットを愛しているの。お願いだから身を引いてちょうだい」

「スカーレット様! お戯れも大概になさいませ! もうあなた様とハロルド殿下とのご婚約は白紙となったのですよ!」

「えっ!? スカーレットとハロルド殿下って婚約してたの!?」

 初耳だったエリは驚く。シャーロットが、しまった、という顔になったがもう遅い。 

「わたしはエリーゼ様に言っているのよ。口出しをしないでシャーロット」

 侯爵令嬢にそう言われてはシャーロットも引き下がる他ない。エリは、少し考えてから口を開いた。

「スカーレット。これって、いつの手紙?」

「な、何よその質問は」

「いや、紙が古いなと思ったんだけど。これ2〜3年くらい前の手紙だったりしない?」

「だったら、何なのよ!」

「2〜3年前のことを、今持ち出すのは違うと思うよ」

「………本当はこれだけじゃなかったのよ。スカーレットにくださった手紙は。けれど、あなたが召喚されることが決まってから、秘密の抽斗ひきだしにしまってあったこの手紙以外、すべて燃やされてしまったのよ」

「えっ!? な、なんで!」

 驚くエリに、シャーロットが言った。

「ハロルド殿下が聖女様とのご結婚をお決めになった際に御命令されたのです。スカーレット様とのご縁を断ち切るために」

「そんな、何も手紙を燃やさなくたって……」

「手紙だけではございません。ハロルド様はスカーレット様との思い出の品をすべて処分されました。ええ、ええ、確かにスカーレット様とハロルド様はかつてご婚約されておりました。お二人でお心安くお過ごしになった日々もございます。しかし、殿下は妻を新しく迎えるのに、昔の婚約者との思い出の品をお持ちでは不誠実だろうとおっしゃって。宰相殿もご承知のはずでしょう。スカーレット様もお心をすでに決められたと伺っております。何故今になって話を蒸し返すのです?」

 言葉に怒りがにじんできたシャーロットをエリはなだめた。

「落ち着いてくださいシャーロットさん。……スカーレットは、ハロルド殿下のことが好きなのね?」

「………そうよ、スカーレットはハロルド様を心からお慕いしているのよ。ハロルド様もきっとスカーレットを愛しているの。二人を引き裂く悪役にはなりたくないでしょう?」

 それは勿論そうだ。少し前のエリならば、すぐにスカーレットの言うことを聞いて、ハロルドの婚約者の座をスカーレットに返上していただろう。ハロルドと会ったばかりのエリには、未練など無い。

「ハロルド殿下は、確かに私のことは愛してない……ような気がするし、スカーレットのことを愛してる、のかもしれないね」

「! そうよ、あなただってそんなのつらいわよね? だったら……」

「でもね、それでもこの結婚、ハロルド殿下が決めたことなら、私ひとりじゃ覆せないよ」

 ここで自分が勝手に「わかりました、結婚しません」と決めてしまうのはいけないと思った。ハロルドが己のことよりも国全体のことを考える人間であることだけは、会ったばかりのエリにも理解できたからだ。

「あなたは本当にそれでいいの? 別にあなた、ハロルド殿下のこと好きなわけじゃないんでしょ?」

「私は……確かに、ハロルド殿下に恋しているわけじゃない。でも、信頼できる人だとは思う」

「あ……あなた、好きでもない男と結婚して抱かれるというの! はしたない聖女様もいたもんだわ!」

「スカーレット様! それ以上の暴言は看過できませんよ!」

 シャーロットが声を上げる。スカーレットは苛立ったように立ち上がった。

「……失礼。さすがに言い過ぎたわ。今の発言は無礼でした。お許しください……でも、どうかご婚約の件はご一考くださいますよう。今夜はこれで失礼いたしますわ」

「あっ、スカーレット。よかったらまた一緒にごはんかお茶しようね」

「ウソでしょ今その言葉かけられる?」

 ともあれ、スカーレットは食堂をあとにしたのであった。

「……シャーロットさん、どうしてスカーレットとハロルド殿下が婚約されてたって隠してたんですか?」

「婚約されるのに、以前に婚約者がいたなどと言われては不愉快になるかと思いまして……」

「それはそうなんでしょうけど、さっきみたいに後で秘密がわかるのはもっとイヤですよ。これからは隠し事はしないでほしいです」

「……はい、申し訳ございません」

 シャーロットが頭を下げ、エリも食堂をあとにした。

 後片付けをしながらら給仕係たちが首を傾げてつぶやく。

「それにしてもスカーレット様、ずいぶん雰囲気がお変わりになったなぁ……?」

「ねぇ? 以前は芯は強くとも、もっと控えめなお方でしたのに」

「さすがのスカーレット様も、婚約者を取られるとあって気が立たれるのは仕方ないと思うわよ? いくらなんでもお気の毒だわ……聖女とはいえ余所者に殿下を取られるなんて……」

「落馬事故に遭われてからよ、雰囲気が変わったのは! やっぱりあのとき頭を打って……!」

 給仕係たちの雑談が盛り上がってきたところで、給仕長たちの喝が飛んだ。

「こら! 口より手を動かしなさい!」

 給仕係たちは慌てておしゃべりをやめて、急いで食器を片付けた。

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