ハロルドの過去

第11話 第3王子ハロルドはトルキアへ追いやられる

「ハロルドさま! 早くこちらにいらして!」

 快活な黒髪の少女が、元気に中庭の芝生を駆ける。

「待って、スカーレット!」

 線の細い美少年のハロルドは、必死に追いかけるがなかなかスカーレットに追いつけない。ようやく彼女に追いついた頃には、ハロルドは息があがって肩を上下に揺らしていた。

「大丈夫ですか? ハロルド様。ごめんなさい、私また速く走りすぎてしまいました」

 スカーレットは少しかがんでハロルドの顔を覗き込むと、少ししょんぼりして彼に謝罪する。

 ハロルドからすれば、自分なんかのためにスカーレットが悲しそうな顔をするのが耐えられなかった。

「僕のことは大丈夫だよ、スカーレット。だからそんなに悲しそうな顔をしないで。君は君の思うままに過ごしてくれた方がいい」

「そうですか? ではわたくし、今から木に登りますから見ていてくださいましね!」

 そう言ってスカーレットは気をよじ登り始めた。

「これ、スカーレット! またお前はそんなお転婆をして!」

 そこにやってきたスカーレットの父、バイルシュミット卿が咎める。バイルシュミット卿の後ろからやってきたハロルドの二人の兄第1王子ニコラスと第2王子モーガンは笑ってなだめた。二人とも、鳶色の髪に緑色の目で、父の国王によく似ていた。

「良いではないか。元気なおなごは将来、子をたくさん産んでくれるでしょう。病弱な女よりずっと良い!」

「スカーレット、君は将来王妃になってこどもをたくさん産んでくれよ」

「そうそう。ただ、元気なのは良いが顔にだけは傷をつけちゃいけない。わかったね?」

「はい!わかりました!」

 スカーレットはよくわからないままうなずいたが、ハロルドの心は沈んだ。

 将来国王になるのは、第1王子のニコラスだ。万一ニコラスに何かあったとしても、第2王子のモーガンがいる。スカーレットは生まれる前から未来の国王の妃となることが定められていて、現在は王妃になるための教育を受けている真っ最中だ。

 だから、ハロルドがどれほどスカーレットを愛しく思っていても、この恋が実ることは絶対に無い。

 狩猟や剣術が趣味で、身体が丈夫な兄二人と違って、線が細くて病弱なハロルドを、父である国王は嫌っている。二人の兄が国王に似ているのに、ハロルドが亡母そっくりでまったく父親に似ていないことも、嫌われている原因の一つだろう。王家から追い出して出家させてしまいたいと考えているらしい。そんな話をハロルドはモーガンから聞いていた。

 神官になるならそれも良いかもしれない、とハロルドは思った。敬虔な神の使徒となって、スカーレットの幸せを穏やかに願えるようになれたら、きっと自分も周りも幸せだ。正直なところ、城を追い出すなら早くしてほしいと思った。

 ところが数日後、父王からハロルドに申し渡されたのは意外な命令だった。月と砂漠の国、トルキア帝国に留学しろと言うのだ。

 両国の和平のため、というのが建前だったが、父王からすれば、野蛮な異教徒の国に大切な息子を送り出すわけにはいかないから、邪魔な自分を寄越してしまおうと思っていることはハロルドには良くわかった。ハロルドならば万一トルキア帝国で殺されたとしても惜しくはないし、ハロルドの身になにかあったら、トルキアに戦争を仕掛けるいい口実になるだろう。生きて帰ってきたなら、国の内情を報告させることができる。つまり、ハロルドを留学させることは出家させるよりも利があるのだ。

 ハロルドが留学に旅立つ日、スカーレットは泣きながら見送ってくれた。

「わたくし、お手紙を書いてもよろしゅうございますか?」

「もちろん。とても嬉しいよ」

「ハロルド様、どうか、どうかご無事でお帰りください」

 スカーレットは、ハロルドの手をぎゅっと握る。ハロルドも彼女の手を握り返した。これがスカーレットとの最後の思い出になることを覚悟していた。

「あなたが待っていてくださるのなら、わたしは必ず帰ってまいります」


 船に乗って海を渡り、死を覚悟してトルキア帝国の地に降り立ったハロルドを待っていたのは、皇帝からの熱烈な歓迎の宴だった。

「ようこそ! 月と砂漠の美しき帝国、トルキアへ!」

 トルキア皇帝は、快活な豪傑だった。浅黒い肌に筋骨隆々とした体躯が美しく、大きな瞳は少年のようにきらきら輝いていて、笑うと白歯とえくぼが印象的な男性だった。

「神聖フェトラ王国の王子がこれほど美しい少年だとは思わなかった。ハロルド殿、異国の地では心細いことも多かろうが、どうぞここを第二の我が家と思い、ゆるりと過ごされよ。私のことを第二の父と思ってくだされば嬉しいことだ」

 トルキア皇帝の優しい言葉にハロルドは困惑した。何故なら、我が家たる王城でハロルドがゆるりと過ごせたことなど一度も無かったからだ。それに、実の父とまともな交流をしたことがないから、第二の父と言われても、どう接すれば正解なのかがわからない。

「父上、いきなりそのように馴れ馴れしくしては、ハロルド殿もお困りでしょう」

 そう言って皇帝の背後からひょっこり現れたのは、ハロルドと同じ、11、12歳くらいの少年だ。彼は父とは違い、白い肌に赤い髪をしている。

「おお、カシム! 紹介しようハロルド殿。これは私の自慢の息子、カシムだ。どうぞ仲良くしてやってくれ」

 そう言って皇帝は、自分と似ていないカシムの頭を撫でる。

 カシムはにこりと微笑み、ハロルドに手を差し出した。

「よろしくね、ハロルド!」

 ハロルドはおずおずとカシムに手を伸ばす。カシムはなんの迷いもなくハロルドの手を握り、嬉しそうに笑った。

 

  

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