第12話 トルキア皇太子カシム
留学して、トルキア帝国の豊かさに、ハロルドは驚いた。まず、食事の量が多く、食材の種類も豊富だった。神聖フェトラ王国では、硬いパンとスープに、卵、新鮮な野菜が出れば上等。飲み物は水か酒しかない。たいしてトルキア帝国で給仕されたのは、ふわふわのパンのほか、香り高いスパイスが振りかけられた肉や魚、色とりどりの果物。その果物を使った果実水や酒が選り取りみどりだった。学問も盛んなようで、ハロルドは今までフェトラでは学んだことのなかった数学や星々の学問を学んだ。
「なあ、君マジメなのは良いけど根を詰めすぎじゃないのか。外の空気を吸いにいったほうがいいぜ」
カシムにそう誘われて、一緒に市に出てみれば、様々な商品がずらりと並んでいる。
豊かな食べ物の他、意匠を凝らした絨毯や織物、素晴らしい細工の工藝品。
そんな中、ハロルドは押し花の栞が目に止まった。ハロルド自身がよく本を読むので栞はもう持っているのだが、可愛らしい押花はスカーレットに贈ろうかと思ったのだ。店主も、「女性への贈り物に最適です」と言っている。
「どうした、お土産か?」
カシムが肩から覗き込んできたのでハロルドは飛び上がりそうになった。
「ち、違う! スカーレットは幼馴染で……」
「スカーレット……あぁ、前に言ってたフェトラ国のご令嬢か……一応確認なんだけど、その子栞で喜ぶタイプかい? 君から聞いた話だと外で遊ぶのが好きなタイプに思えるんだが」
「いや、本をまったく読まないわけじゃない……それに女性のお土産におすすめだと店主も言っている」
「……ハロルド、君さてはモテない男だな」
カシムは嘆息すると、栞のとなりに並んでいる装飾品を見て尋ねた。
「スカーレット嬢の髪の色は? 瞳は? 普段何色のドレスを好んでいる?」
「あっ、えっ、髪は黒で瞳は琥珀、ドレスは……赤が多いと思う」
ハロルドがそう言うとカシムは手早く2つの髪飾りを選ぶ。
「じゃあコレとコレどっちが彼女に似合いそうだ?」
ひとつは金細工に紅玉がはめ込まれた髪飾り、もうひとつは蜜色のべっ甲で花を模った髪飾りだった。
「紅玉がついたほうかな……」
「よし、悪いことは言わないからお土産はこれにしたまえ」
「えっ、なんで栞はだめなんだ」
「栞は本読んでる時しか意識しないけど髪飾りならいつも身につけてもらえるからだよ。両想いならいつも眼に入る指輪が一番良いんだが、今の君から指輪贈られたらちょっと怖いかもしれないからな」
「えっ……いや、スカーレットはただの幼馴染で、」
「へ〜ぇ? 本当にただの幼馴染か? 毎日のように彼女の話を聞かされてる僕の身にもなってほしいなあ」
カシムがおもしろがってニヤニヤ笑っている。
「よしてくれ、カシム。スカーレットは……次期国王の、兄と結婚するんだ」
ハロルドがそう言うと、カシムはニヤニヤ笑うのをピタリとやめた。
「すまない、軽率だったな。さすがの僕も少し反省だ」
「謝るなよ。彼女からはトルキアからのお土産を手紙で頼まれていたんだ。髪飾りなら運んでいる道中でも傷まないだろうし、これにするよ」
そう言いながら、ハロルドは遠く離れたスカーレットを想った。そのハロルドの表情を、カシムは、黙って見守っている。
「……僕も何か買っていこうかな。店長、この琥珀の耳飾りを試しにつけても良いかい?」
「はっ、光栄です皇太子さま!」
店長が心底嬉しそうに声を張った。
「それにしても、残念だなぁ。我が帝国とフェトラ王国で平和条約が結ばれて交易ができれけば等価交換で果物やスパイスや絨毯だって交易できるのにな」
内心、トルキアの品々と等価交換できるような価値があるものなど、神聖フェトラ王国には無いような気がしたが、ハロルドは黙っていた。
「カシム様ありがとうこざいました!」
留学してもう一つ驚いたのは、トルキア帝国の中でほぼ一人だと言っていい白い肌のカシムが、父王にも国民にも愛されているということだった。
市場を少し歩いているだけでも
「カシム様、新鮮な果物が入りました、お一ついかがでしょう?」
「新しい細工物です、カシム様!」と、みんなが声をかけてくる。カシムはその度に一人一人に「ありがとう」と手を振っては国民の声に応えるのだった。
「カシムは……その、自分の容姿が嫌になったことはないのか?」
「は!? こんなにいい男なのに!?」
ハロルドが尋ねると、さも心外だというようにカシムは目を見開いたので、ハロルドは慌てる。
「すまない、違うんだ、気を悪くさせるつもりではなかった。ただ、カシムってトルキアでは珍しい白い肌に赤い髪だろう。私は、父に似ていないと嫌われたから、カシムはどうなんだろうと思って」
言われて、カシムがふっと遠い目をした。
「まあ……つべこべ言うやつはみんな処刑しちゃったからなぁ……」
「えっ……」
「……あはは! 嘘だよ! 冗談が通じないな、ハロルドは!」
カシムは絶句したハロルドにケラケラ笑った。
「脅かすなよ、カシム」
「はは……そりゃ僕が小さいときは物珍しい目で見る連中もいたらしいけどさ。堂々としてれば結構何とかなるもんさ。それに、トルキアで白い肌の子どもが産まれるのは縁起が良いとされているんだ。古き異国の血が再び顕現するのは、更なる繁栄の証だとね」
「古き異国の血……?」
「トルキアの首都のあたりは、まだ人々が国境を決める前から、他所の国からの交流が盛んだったんだ。その中には、少ないけれど色白の西洋人もいたからね。偶にこうして先祖返りが起こる」
「そ、それは王家として大丈夫なのか!?」
「えっなんで? トルキア皇家は外国から妻を迎えることも珍しくないんだよ?」
「そうなのか……」
神聖フェトラ王国は、異人種を嫌う傾向がある。トルキア人のこともそうだが、そもそも自国以外の民を嫌っており、外から人をあまり入れようとしない。王家の血は濃く、歴代の王たちはみんな顔が似ている。だから父に似ていない自分はそれだけで王子には相応しくないと言われ続けてきたし、自分でもそう思っていた。
「そうか……私は、父に似ていなくても良いんだな」
「良かったじゃないか、あんな芋男に似なくて。お母様に感謝したまえよ」
「人の父親に芋男って言うなよ」
軽口を叩き合って、ハロルドとカシムは年相応の少年らしく笑った。
「まあ、この通り見た目も心意気もとびきりいい男である僕だが、そんな僕のことを快く思わない連中もいるんだ」
「えっ、誰だそれは……」
ハロルドが尋ねようとしたその時、「キャア!
」と群衆から悲鳴があがった。見ると、女性が地面に倒れており、群衆がなんだなんだと騒ぎ始めている。
「……ハロルド! 身を守れ!」
「えっ!?」
「危ない!」
カシムが鋭く叫んでハロルドを突き飛ばした。見ると、一人の男がカシムに向かって走ってくる。市民に紛れていたカシムの護衛がそれを取り押さえた。男は手に短剣を握っており、得物は護衛に叩き落された。
「無礼者、おとなしくしろ!」
「く、くそぉ……!!」
男が無念そうに唸っている。ハロルドは心臓がバクバクして、息があがっていた。
「お怪我はありませんか、フェトラの王子様……」
ハロルドに、反対方向から一人の女性が近付いてくる。全身を覆うローブをまとっているが、トルキアでは一般的な服だ。
「ああ、ありがとう……」
差し出された、ローブに隠れた手を、ハロルドが取ろうとしたその時カシムがハロルドの腕を掴んだ。
「よせハロルド! そいつは護衛隊にいない顔だ!」
カシムが言うのと同時に、もうひとりの護衛が女に飛びかかって取り押さえた。果たして、女の長い袖から短剣が転がり落ちたので、ハロルドは息を呑んだ。
「お怪我はありませんか、ハロルド様」
今度は正真正銘カシムの護衛に助け起こされてハロルドは礼を言おうとした。しかし全身が恐怖で震えてしまい、ヒューヒューと肺が鳴ってうまく言葉が出てこなかった。
そんな中、カシムは、自分とハロルドに襲いかかった犯人をじっと見下ろしている。二人の犯人は怒り狂って喚いた。
「くそ! 敵国フェトラに媚びへつらう売国奴め! 貴様等のような弱腰外交なぞトルキアの権威を貶めるだけだ!」
「黒龍様の怒りを受けて地獄に堕ちろ!」
二人の怒る様を見下ろしていたカシムは、驚くほど冷淡な声で言った。
「……お前たちは暴力で自分の意を通そうとして、善良な市民を巻き込もうとした。ここで異国の友人を傷つければ戦争の引き金にもなる。黒龍様の威信を借りて事に及んだ罪は重い。……連れて行け」
犯人が連行されると、先程倒れていた女性に近づく。
「怪我はないかな」
皇太子みずから地面に膝をついて、女性を助け起こした。
「はい、ありがとうございます。カシム様……」
女性の無事を確認して安堵のため息をついたカシムは、おびえた民衆たちをぐるりと見回して言った。
「みんな、怖い思いをさせてすまなかった!引き続き市を続けてくれ。具合が悪い者は遠慮せずに、これから来る帝国診察医にみてもらうように。……それから善良な民にまぎれる卑劣なイェラルの連中がいるならよく聞け!」
ピリリ、と空気が震えるのをハロルド達は感じた。
「我々のやり方に文句があるならいつでもアビヤッド宮殿に来るが良い! 今日のように市井の人々を巻き込むことは、僕は絶対に赦さないと、覚えておけ!」
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