第16話 トルキア皇帝の電撃訪問

 ――国王からの呼び出しで、エリとの食事を中止にしてしまったハロルドは、彼女に詫びを入れるために、聖女の部屋を訪ねた。

「ハロルドだ。入っても良いだろうか?」

 ドア越しに尋ねると、しばらくしてから「どうぞ」と返事があった。

「今日はすまなかった、聖女エリーゼど、の……!?」

「よう、ハロルド。久しぶり!」

 ハロルドがドアを開けると、エリと一緒に、何故かトルキア現皇帝のカシムが座っていた。何やらカードが数枚散らばっていて、ゲームか何かをしている最中だったようだ。

「カシム!? どうしてお前がここに!」

「フェトラの『聖女様』にお目にかかりたくてね。君からの紹介が待ちきれずにこうしてやってきてしまったよ」

 あっけらかんとしたカシムに、ハロルドは混乱している。

「いや、そもそもどうやって来たんだ? トルキアからの船が来たなんて報告は受けていないぞ」

「じゃじゃーん」

 カシムは待ってましたとばかりに、自分の椅子の近くに立てかけていた、丸まった絨毯を指し示す。

「まさか……」

「そう! 空飛ぶ絨毯! 僕の長年の夢! トルキアの叡智を集めてついに完成したのさ!」

「だが、それでどうやって城内に……」

 ハロルドの険しい表情に、エリがおずおずと切り出した。

「あっ、窓の外で待ってらしたので入れちゃいました……ダメでした? ハロルド様のお友達だって聞いていたので」

 ハロルドは頭が痛くなる思いだった。彼女の元の世界の危機管理能力はどうなっているのだろうか。

「私の友人を名乗る、見知らぬ男を部屋に入れないでくれ聖女殿……襲われでもしたらどうするんだ」

「まあ確かにすんなり入れてもらえちゃったから僕も逆に心配になったよ。もっと気をつけなさいよ、エリちゃん」

「なんでここでカシム様が裏切るんですか!?」

「待て! エリチャンとは何だ!!」


 ……話は一時間ほど前に遡る。

 食事と湯浴みを終えて、あとは寝るだけとなったものの、まったく眠くならずに手持ち無沙汰になったエリが、何気なくカーテンを開くと、窓の外に知らない男がいて、こちらを見てにっこり笑っていた。

「やあ、こんにちは。いい夜だね、聖女様」

「えっ!?」

 エリは驚いて固まる。エリの部屋は王宮の二階部分にあり、人が窓から覗き込める高さではないはずだ。

「突然驚かせて失礼。僕は隣国トルキア帝国の皇帝、カシムだ。ここを開けてもらえないか?」

 人懐こく笑うカシムは、空飛ぶ絨毯の上に乗っていた。おとぎ話でしか見たことがない光景にエリは驚きつつ、トルキア皇帝カシムと聞いて、ハロルドの友人だと思い至る。

「ハロルド様のお友達ですよね?」

「お、彼、僕のこと話してくれているのか? そいつは嬉しいなあ」

「なんというか……その、気さくな方なんですね、カシム様って」

「そう? まあハロルドはお固いからなぁ。まだ召喚されて日が浅いけど、どう? デートくらいはした?」

「はぇ!? いやいや、昨日ここに来たばっかりですから! まずは朝と夜のお食事をする約束で……まあ、早速夜は国王様に呼ばれたとかでドタキャンされちゃったんですけど……」

「はぁ、相変わらず女性の扱いがなってないやつだな。まあ、あの芋親父に呼ばれたんなら仕方ないだろうけど……えっと、聖女様? 君、お名前は?」

「エリーゼ……いや、エリ! エリ・ゴトーです!!」

 急に、スカーレットに言われた「自分の名前を忘れないようにしなさい」という言葉を思い出して、エリは元の名前をカシムに告げた。

「ふーん、エリちゃんか。かわいい名前じゃないか」

 いきなりちゃん付けで呼ばれてエリは面食らってしまう。

「あの、ところで今日はどうしてこちらに? ハロルド殿下なら、今どこにいるのかは私もよく知らないのですが……」

「いや、ハロルドなら良いのさ。僕は……君に興味があって来たんだから」

 カシムは、空飛ぶ絨毯の上にあぐらをかいたまま、紅色の宝石のような瞳で、エリをじっと見つめた。すっ、とカシムの華奢な指がエリのあごに触れる。

「…………だっ、誰かッもごッ」

 叫びそうになったエリの口をカシムはあわてて覆った。

「ウソウソ嘘嘘!! ごめん冗談だよ!! ホントはハロルドに会いに来たんだ。ここで待たせてもらっていいかな?」

 なんとかエリを落ち着かせ、彼女の口を覆っていた手をカシムは離した。

「えっなんで私の部屋で!?」

「ハロルドは、今夜君との食事ができなかったことを詫びに必ず君の部屋を訪ねるはずだ。僕の見立てでは……恐らくあと1時間以内には来るだろう」

「1時間かあ……あのー、お部屋入れてあげますから、そのかわりに絨毯、ちょっと乗せてもらえません……?」

 エリはうずうずして尋ねた。こんなにおもしろそうなもの、試してみないともったいない気がした。

「おっ、良いねぇ! エリチャンには遊び心がある!」

 カシムはエリの申し出にむしろ好感を抱いたらしい。カシムに手を借りて、エリは絨毯の上に座った。

「わっ、すごーい!! ほんとに浮いてる!!」

 絨毯は、小舟のような乗り心地で、少しゆらゆらするがしっかりした乗り心地だった。絨毯そのものとしても一級品で、紫色の地に金や銀、その他色とりどりの糸で花模様をあしらった華やかな絨毯である。

「よし、じゃあ飛ぶぞ!一時間もあれば、フェトラ王国はぐるっと一周できる」

「えっそんな早く? うわーーーぁ!!」

 エリは絨毯の端をぎゅっと掴んだ。絨毯はふわりと浮き上がり、空高く舞い上がる。

 王宮の姿が見る見る間に小さくなり、フェトラ王国の街が一望できた。中央教会も、街の様子も、模型のように小さく見えた。意外なことに神聖フェトラ王国の王都から遠く離れたところには山が多く、川も流れていて、エリが想像していたよりも自然が豊かだった。またたく星が、手を伸ばしたら届きそうなほど近くに見えた。

「わあ、とても素敵……!! ありがとうございます、カシム様!」

「これくらいお安い御用だとも。……あ、そろそろ戻らないといけないんじゃないか?」

 カシムとエリが部屋に戻ったちょうどそのときに、ドアをノックする音が聞こえたので、エリはあわててカシムをクローゼットの中に隠した。エリはドギマギしながらシャーロットを迎え入れ、ハラハラしながら夜の挨拶をした。

 そして、何食わぬ顔で夜食と水差しを頼み「このあとハロルド様がいらっしゃると思うので今夜はもう来ないでください」と適当なことを言ってシャーロットたちを下がらせ、現在に至る。

 そういうわけで、当然ながら軽食と水を飲むグラスは二人分しか用意されていない。

「今日は本当にありがとうございました、とても楽しかったです、カシム様。……あの、わたしのパン半分食べます? ハロルド様は?」

「私は結構だ。それから聖女殿、こいつには構わなくて大丈夫だ」

「優しいねぇ。さすが聖女さまだ。では、いただこう」

「カシム、お前はもう少し遠慮しろ……」

 エリは、カシムの前では少し言動が砕けるハロルドを見て安心した。人間味があって、昨日自分と二人きりだったときよりも、よほど好感が持てる。そう思いながらエリはほとんど無意識に手を動かし、カシムのぶんのパンをちぎって渡した。

「グラスは……やっぱり2つしか無いので、カシム様がイヤじゃなければ、まだ口つけてないので私のを使ってもらっていいですか? って、なんで笑ってるんです!?」

 カシムが肩を震わせて笑いをこらえているのにエリは気がついた。

「いや、ごめんごめん。君の甲斐甲斐しいお世話っぷりがちょっとおもしろくなっちゃった。水筒くらいは持ってきたから大丈夫だよ」

「本当に物見遊山のつもりで来たんだなお前……バレたら国際問題だというのに」

「それはともかく……」

 ハロルドから叱られるのをかわすようにカシムが話題を変えた。

「エリちゃんは人の世話をやくのが上手いねえ」

「えっ、そうですか? これくらいは普通だと思いますけど……でも確かに、お世話されてるよりも、自分でこうして動いている方が気が楽かもしれません」

「君、元の世界では人の世話をする仕事をしていたのかもしれないね。あるいは歳の離れた弟か妹がいるのかな」

「おい、カシム。お前何を……」

 カシムが、いきなりエリの故郷を思い出させるようなことを言うのでハロルドは咎める。カシムは、口元には笑みを浮かべたまま、探るような鋭い眼をエリに向けている。

「わたし……いえ、仕事はしてなかったと思います。まだ高校生だし……妹、妹がいたのかな……」

 エリは何かを思い出しそうな気がして記憶をたどる。しかし、突然頭に鈍い痛みが走って、思わずうめいた。ハロルドとカシムが慌ててエリの顔を覗き込む。

「大丈夫かエリちゃん」

「医者を呼んだほうがいいか?」

「だ、大丈夫です。ちょっと痛んだだけですから……うーん、でもどうして前の世界のことが思い出せないんだろう」

 エリは痛みに顔をしかめながら、首を傾げた。

「とりあえず今日はもう横になったほうが良いんじゃないかい? 邪魔しちゃって悪かったね。僕はハロルドと話をしたら帰るよ。また会おうエリちゃん」

 カシムはそう言ってエリに別れを告げると、廊下でハロルドと二人きりになった。

「あの子、いいこだね。……かわいそうにな」

 カシムの言葉にハロルドは眉根を寄せる。

「わざわざそれを言いに来たのか? 彼女を『女神の器』にする罪を背負ってでも、私は国とスカーレットを守る。もう決めたことだ。……お前、協力してくれるんじゃなかったのか」

「スカーレット嬢をトルキアに迎えることには協力するとも。でも『女神の器』を完成させることにまで協力する義理は無いね」

 肩をすくめるカシムをハロルドは睨んだ。

「……女神の器を享受することは我々の悲願だ。それを邪魔するならお前でも容赦できなくなる。……それに、あまり彼女に故郷のことを思い出させるようなことをしたり、絨毯で楽しませたりなど、残酷なことをするな」

「残酷って何さ?」

「……異世界召喚の魔法に応じたということは、彼女は元の世界での命をまっとうしたということになる。仮に女神の器にならなかったとしても、彼女はもう……」

 ハロルドはその先の言葉を続けることができなかった。しかしカシムは容赦しなかった。

「今更? 自国の犠牲を強いたくないから彼女を呼んだんだろ」

「お前に言われなくてもわかっている。余計な情をかけたりなどしない」

「……いや、かけろよ情を。彼女を一人の人間として、ちゃんと扱え」

「は? お前なにを言って……」

 ハロルドが振り返ると、カシムは、珍しく真顔になっていた。

「彼女は便利な道具じゃないんだぜ。異世界からやってきた、何も知らない普通の女の子だろ。彼女の人生を犠牲にして国を守るんだって自覚をもって、苦しめ。人柱を差し出しすっていうのはそういうことだろ」

「カシム……」

「今日はそれだけ伝えに来たんだ。じゃあなハロルド」

 カシムはそう言うと、「エリちゃんごめ~ん君の部屋からじゃないと僕帰れないや」とふざけた調子でまた部屋に入っていく。ドア越しにエリが「さようなら〜!」と遠くに向かって言う声が聞こえたので、窓から絨毯に乗って帰ったようだ。

 ハロルドは、深々とため息をついた。

 罪をきちんと背負うつもりだったが、自分にはまだまだ覚悟が足りなかったのかと、ハロルドは目眩がした。

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