第15話 立太子の儀と月夜のすれ違い

 大神官と宰相の助けを借りながら、ハロルドは無事に兄二人の葬儀を終えた。安堵したのもつかの間、次は立太子の儀が迫っていた。国王はハロルドの立太子を認めないと喚いていたがそういうわけにも行かない。

 ハロルドが王太子になるということは、同時にスカーレット・バイルシュミットと婚約することを意味していた。立太子の儀と同日に婚約の儀が行われる。

 幼い頃から思い焦がれてきたスカーレットが自分の婚約者になる。長年望んできた、叶わないと思っていた恋が実るというのに、ハロルドは喜んではいけないような気がしていた。

「これより、ハロルド様の立太子の儀を執り行います」

 中央教会の大聖堂にて。大神官ヨハネスが取り仕切る儀式で、ハロルドは神に見守られながら、王太子の証である剣を授けられる。

 そのような大切な儀式であるにも関わらず、父である国王は姿を見せない。貴族たちはひそひそと囁きあった。

「国王陛下はニコラス様とモーガン様を喪った悲しみで臥せっておられるとは聞いていたが、立太子の儀にご参加されないとは……」

「よほどお悪いのか、ハロルド殿下を後継者としてお認めにならないつもりか」

「これでは先が思いやられるな……」

 小さな声でも、そういった話はハロルドの耳に嫌でも入ってくる。彼等の懸念はその通りであったので、ハロルドも気が重かった。

 その時。不意に大聖堂に陽の光が差し込んできて、祭壇の十字架……ユーフェリアと黒龍の像が輝き出した。ハロルドに授けられる剣も、きらきらと輝き出す。人々は奇跡のような光景に驚いた。

『おめでとう、おめでとう! ハロルド!』

 不意に頭上から少女の声が聞こえて、ハロルドは上を見上げた。大神官ヨハネスもなにか感じたようで、ハロルドと同じ方向を見上げている。

『わたし、あなたの為ならどんなことでもしてあげるわ! ハロルド、わたしの愛しい大切な人。わたしがあなたを守ってあげる!』

 無邪気な少女の声が、空から降ってくる。

「おぉ、おぉ、素晴らしい……! ハロルド殿下は女神の祝福を受けておられる。輝く剣と像がその証! 皆様、神聖フェトラ王国の前途は明るうございますぞ!」

 貴族たちの不安は払拭されて、彼らは歓喜の声を上げた。ハロルド王太子様、万歳! と声が上がり、拍手と歓声が沸き起こる。

 ハロルドは安堵し、女神の加護に感謝した。

 その後に続いたスカーレットとの婚約の儀に入ってからは、女神の福音はまったく聞こえなくなってしまったが、ハロルドもヨハネスも、女神の声がそうずっと聞こえるものではないと思っていたので気にしなかった。

 婚約の儀にのぞんだスカーレットは、先日王宮の中ですれ違ったときより更に美しく、ハロルドは見惚れてしまった。トルキアから贈った髪飾りを相変わらず身につけていてくれたことも嬉しかった。……だが、無惨な死に様の兄ふたりと、錯乱した父王の犠牲の上に成り立っていることを思うと、浮かれてはいけないと思った。

 二人は形式通りに婚約の指輪を交わし、形式通りに言葉を述べた。二人はお互いのことを気にしながらも、目を合わせることができなかった。

 婚約の儀が終わると、夜には王宮の大広間で盛大な宴が催されたが、ハロルドはどうにも酒を飲む気分にはなれず、最初の挨拶だけ済ませると、一人夜風にあたるために中庭に出た。

「殿下、ご一緒してもよろしいでしょうか」

声をかけられて振り返ると、スカーレットが立っていた。

「スカーレット……もちろんだ。座ってくれ」

 夜の中庭のベンチに二人は腰掛けた。王宮の窓から漏れ出す光に照らされたスカーレットの顔は不思議な陰影を映していて、儚げな印象を与える。あれが、かつて、お転婆に駆け回っていたスカーレットだろうか、とハロルドは不思議な気持ちになった。

「不思議ですね……子供の頃は、中庭が森のごとく広々としていると思っていたのに。大人になって見るとこんなに小さかったかしら、と思います」

 スカーレットの言葉にハロルドはうなずく。あんなに果てしないと思っていた中庭が、大人になると数十歩で一周できそうなほどに小さい。

「あの頃のわたくしは、ただただ無邪気でした。未来の王妃になるということはこの上ない幸せなのだと……ですが今、私は恐ろしいのです」

 不安そうなスカーレットに、ハロルドは意を決して言った。

「スカーレット……私は、貴女をずっと愛していた。子供の頃から、ずっと。トルキアに留学していたときも、貴女を忘れたことなど一度もなかった」

 スカーレットは、驚き、信じられないという顔で目を瞠ってハロルドを見た。

「ハロルド様、何をおっしゃるんです……?」

「ずっと兄が羨ましかった。そして貴女への想いが実ることは永遠にないのだと諦めていた。だが、こうなったからには、私は未来の夫君として、この先何があっても貴女を守る。だから怖がらなくて良い」

 そう言って、ハロルドはスカーレットに手を伸ばす。しかし――

「い、いやっ!!」

 スカーレットはハロルドの手を拒んだ。

 予想外のことに、ハロルドは驚き固まってしまう。何が起こったのかわからないでいるハロルドに、スカーレットは彼を恐ろしいものを見るような目で見つめた。

「そのためにニコラス様とモーガン様を……やはりハロルド様は変わってしまわれたのですね」

 スカーレットの言葉にハロルドは己の耳を疑った。彼女は、自分が兄二人を謀殺したと思いこんでいるのか?

「スカーレット、何を言うんだ!? トルキアにいた私が兄上達を……殺すことなど、できるわけがないだろう!」

「命令など手紙でいくらでもできますわ……事故に見せかけて相手を死に追いやることなど、よくあることですもの」

「違うんだ、兄上たちは……!!」

 女神の怒りとしか思えない落雷に撃たれたのだと、言いたいのをハロルドはぐっと堪えた。亡兄二人の名誉に関わる問題だからだ。

「……ご安心ください、ハロルド様。お相手がどなたであろうと、私は次期王妃として、王家の跡継ぎを産むことがつとめ。その役目は必ず果たすとお約束致します。ただ……今宵はどうかご容赦ください。婚約者を亡くしたばかりの身でございますので」

 スカーレットは逃げるようにその場を去ってしまう。

「……ちがう、ちがうんだスカーレット!!」

 ハロルドは己の言動を悔やんだ。神に誓って、スカーレットに手を伸ばそうとしたのは、怯える彼女を慰めようと思ったからであって、下心など少しもなかった。

 だが、少し考えればわかることだ。ハロルドがトルキアにいる間にも、スカーレットとニコラスは婚約者同士、交流を深め、愛を育んでいたのに違いない。それが、急に婚約者を亡くし、悲しみにくれているところに、突然帰国してきた自分が愛の告白をしてきた……怖がって当然だった。

 ハロルドは己の言動を悔やんだ。今追いかけても彼女を怖がらせるだけだろう。

 ……それから、ハロルドとスカーレットの間には、小さな溝ができてしまったのだった。

 それでも、ハロルドの、スカーレットを守ろうという気持ちは揺らぐことはなかった。彼女が自分を嫌っていても良い。スカーレットの幸福のために自分は尽くそうと。

 そしてそれから数年後、女神の託宣がくだされ――

 

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