第26話 エリとユーフェリア、邂逅する

「聖女エリーゼ様、お喜びください。ハロルド殿下との結婚式が明日に決まりましたよ!」

 どうにも気分がすぐれずベッドで休んでいたエリは、突然現れたシャーロットに言葉を失った。

 何故いきなり明日? あまりにも急すぎるのではないか? ハロルド殿下はなんとおっしゃっているのか? 身体を起こして、山程訊きたいことを尋ねようとして、口を開いた。

『まあ素晴らしい! 待ちきれないわ! 早速ドレスを試着させて頂戴!』

(えっ!?)

 自分の意志とはまったく違う言葉が口から滑り出し、エリは驚いて自分の口を押さえた。しかし、自分の意志と関係ない言葉は止まらず、エリはシャーロットにまったく質問することができない。

『ドレスもヴェールも、宝石と刺繍を散りばめたとびきり豪華なものになさい。ブーケは白い薔薇がいいわ。ウェディングケーキは野苺のケーキがいいわね』

「エリーゼ様、野苺はあまりお好きではなかったかと思いましたが……?」

『いいのです。用意なさい』

 それから、エリは自分でも信じられないほど冷たく、じとっとした声を出して、シャーロットに言った。

『今から、わたくしの言葉は、すべて女神ユーフェリアの言葉だと思いなさい』

 エリは、そう口に出した途端、冷たい指で背後からじっとりと頬を撫でられる感触を覚えた。背後からナイフを首もとにあてられた気分だ。

 シャーロットは、恐縮して畏まり、ドレス試着のためにすぐに聖女担当の衣装係を呼ぶのと、コックにメニューの変更を伝えるために行ってしまった。エリが必死にかぶりを振って、手ぶりでシャーロットを引き留めようとしていたにもかかわらず。

 自分の中に、自分ではない、何かがいる。

 エリは、口を押さえていた手を恐る恐る離して、手のひらを握ったり開いたりして、自分の感覚を確かめる。それから立ち上がって、姿見に自分を映してみると。青い顔をした自分の肩にまとわりつくように、白い靄のような、少女の姿が見えた。

「誰なの!?」

 思わず自分の肩を抱きしめてエリが大きな声で叫ぶと、クスクスと鈴を転がしたような笑い声が、自分の口から飛び出した。

『あら、私と会話ができるなんてすごいじゃない。よほど私と波長が合うのかしら』

「あ、あなた誰……?」

 自分の口から勝手に飛び出す言葉を押さえつけながら、エリは尋ねる。他人から見れば、ひとりで勝手にしゃべっているような格好だ。

『さっきも言ったでしょう? 私は女神ユーフェリア。この国の最高神よ』

 ユーフェリアは、愉快そうにクスクスと笑う。その声は、女神というよりはいたずら好きの子どものようだとエリは思った。

「ユーフェリア……? あの、みんなに崇められている神様……? どうしてこんなことするの?」

『こんなことって?』

「なんで……私の中で、しゃべってるの……?」

『え? だってそのための人間でしょう? ヨハネスから聞いてなかったのかしら』

 ユーフェリアはあっけらかんとして言った。

『お前は、わたくし女神ユーフェリアの器。私が下界に降り立ち、力を行使し、ハロルドと結婚するための容れ物なのよ。本当はこんなことまで教えなくたって良いんだけど。せっかく会話ができる器に出会ったから親切に教えてあげるわ』

「な……なんですって……ふざけるのもいい加減に……」

『いえいえ、本当に感心してるのよ。今までの器候補は私が身体に入ろうとした瞬間に発狂して使い物にならなくなってしまったもの。やっぱりヨハネスに異世界からあなたを召喚させて正解だったようね!』

 ……聖女とは、女神に捧げる生贄のことだったというのか。しかも、自分だけでなく、過去にも犠牲者がいた、と。

 ユーフェリアの言葉で、エリは唐突に理解した。理解できてしまった。

「まさか……『なりそこない』って、今までの器候補の人たちの成れの果て……!?」

『ああ、ヨハネスがそう呼んだの……そう、そのとおりよ。彼女たちは私の存在に耐えきれずにヒトの形を保てなくなってしまった。でも、女神降臨という大義のためには仕方のない犠牲なのよ』

「なんてことを……ゆるせない……うぐ……」

 エリは口だけでなく体も異様に重く感じて、自分の思う通りに動かないのを感じていた。それでも身をよじって部屋を出ていこうと身体を動かす。

『あら、どこに行こうとしてるの?』

「は……ハロルド様に、あんたの本性を伝えてくるのよ……」

『あら〜ダメよ! っていうかハロルドも女神の器のことは全部知ってますからね? まあ『なりそこない』についてはヨハネスがずいぶん誤魔化して話したみたいだから知らないかもしれないけど? 女神降臨の儀式を王太子が知らないわけないでしょう』

「そんな……」

 あのハロルドまで、知らぬふりをして秘密を自分に隠していたのか。

『明日の結婚式の儀式を行うことで、私は完全に降臨するのよ。そこであなたの魂は外に抜け出しておしまい。あとのことはすべて私にお任せなさい。お疲れ様でした』

「いや、よ……あんたみたいなのが降臨したらぜっったい碌なことにならないでしょう……」 

『んもう、器のくせにうるさい女ねぇ。……もうここからは楽しい楽しい結婚式の準備だけなんだから、お前はもう出てこなくていいわ。黙っていて頂戴』

「え、ちょ、だ、誰か――!」

 エリは慌てて大声で助けを呼ぼうとしたが、一歩遅かった。ユーフェリアの一言で、エリは完全に自分の言葉を声に出すことができなくなってしまったのだ。

『ふうん、それにしても妙だこと……お前自身の魔力はそれほどたいしたことはないのに、祈りの力がと私との因果で後天的に力が強くなってるのね……?』

 ユーフェリアが何を言っているのかエリにはまったく理解できなかった。エリが訝しんでいるのがユーフェリアにも伝わったのか、女神はエリに聞かせるように言った。

『つまり、お前は誰かに祈られて、99回、私に会った事があるのよ。その因果でお前は力を手に入れてしまった』

 そんなまさか。あり得ない、とエリは思った。こんな邪悪な女神、会ったら二度と忘れるはずがない。

『あまり不敬なことを考えないほうがいいわよ。私にはお前の考えはすべてわかってしまうのだから……ふん、覚えていなくてもいいのよ。お前は99回も祈られて女神の器となり、そのたびに私との因果が深まっていたんだわ。祈りの主は……スカーレット・バイルシュミットね。つ・ま・り……お前が苦しんでいるのは、あの女のせいってわけよ!」

 ユーフェリアはエリの身体で高らかに意地悪く嗤った。

『……何とか言ったらどう? あ、そうか私が黙らせたんだったわね。……あらあら? ずいぶん怒ってるわねぇ? お前あの女とお友達だったの!? よせばいいのに……まあ99回も女神の器になったのだもの。100回目もどうせ一緒よ。これはもはや運命だわ』

 ユーフェリアはさんざん好き勝手なことを言うとまた高笑いをした。やがてやってきた衣装係と一緒に大量の豪華なウェディングドレスを試着してはしゃぎ出してしまい、エリの魂は身体の中に閉じ込められたまま、誰にも見向きされなかった。

 ユーフェリアによって魂を身体に閉じ込められたエリは、ひとつ気がついたことがあった。

 この世界に召喚されて初めて治癒の奇跡を使おうとした時。

『願いを、聞きましたよ』と応えてくれたあの声は、ユーフェリアのものではないということに気がついたのだ。こんな子供っぽい声ではなく、もっと落ち着いた、あたたかく優しい声だった。

 ――あのときの声は、誰のものだったのだろう?

 自分も、ハロルドもヨハネスも、何か大きな勘違いをしているのかもしれない。そんな予感が、ひしひしとした。

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