第34話 黒龍の懺悔

 一方、神聖フェトラ王国の大聖堂では。

 神官戦士団がトルキア皇帝カシムを拘束しようとし、黒龍を討伐せんと躍起になっていた。

 黒龍は、矢を撃ち込まれると痛そうに吠えたが、人々に抵抗する様子はなかった。しかし、いつ黒龍が反撃してくるかわからないので、戦士たちは必死に黒龍を殺そうとした。

 突然、大聖堂の奥から、目を焼くようなまばゆい白い光が漏れ出てくるのを、その場にいた全員が見た。光がおさまると、なんと固く閉ざされていたはずの、大聖堂の奥扉が音もなく消えており、気絶したエリ、彼女を助け起こそうとするハロルド王太子、呆然とするヨハネスの姿が皆の前にあらわとなった。

 それと同時に、黒龍の体は元気を取り戻したかのように、全身の鱗がみるみるうちに艶めいて輝いた。羽をふるわせ、のしのしと歩き、神官戦士団に近寄ってくる。

「く、来るなああああ!!」

「ひ、ヒイィィィ!」

「殺される!」

 戦士たちは怯えた。いくら矢を撃ち込んでも剣を振るっても、鋼のような鱗を持つ黒龍にはまったく堪えた様子がないのだ。あの丸太のような腕を振るわれたら。巨大なしっぽで薙ぎ払われたら。自分たちはあっという間に死ぬだろう。巨大な黒龍の顔がぬっとこちらに迫ってきて、戦士たちは死を覚悟した。

『大丈夫ですか、皆さん』

「へ……?」

 一瞬、誰の声かわからず、皆はあたりを見回した。厳かながら、慈愛に満ちた低い声だった。

『怖がらせてしまって申し訳ない。だが、ユーフェリアの力が弱まった今、これでようやくヒトと話をすることができる』

「黒龍が……話しているのか……?」

「とても信じられない……」

 人々は呆然として黒き龍を見上げた。

『事の次第を、この国の人々に説明しなければならない、と思う。私の話を、どうか聞いてほしい』

「……わかった、聞こう」

 ハロルドが意識のないエリを抱きかかえながら言うので神官戦士たちは驚いた。

「王太子殿下、黒龍の言葉に耳を貸すのですか!?」

「異教の神と言えど、話に耳を傾けることくらい良いだろう。それに、先ほどのユーフェリア処女神よりもよほど話が通じそうだと思うが」

「何を馬鹿な……」

 言いながら、神官戦士たちは招待客たちを見回した。一同は無言だったが、やがて誰かがぽつりとつぶやいた。

「正直、ユーフェリア様のあんなに子どもじみた姿を見てしまうと……これまでのように信仰する気持ちは……」

「お前、何を言ってるんだ!」

「いや、だって……」

 一人が言い始めると、皆がだんだんと自分の思ったことを口にし始めた。

「王太子様と結婚しないと恵みを与えないみたいなこと言ってなかった? 脅迫じゃない!」

「そもそもスカーレット様が次期王妃の座を追われるなんて変だと思ったんだよ」

「結婚式の準備もあんなに贅沢にお金をかけて……あれが王妃の座におさまったらと思うと、今後の国に蓄えが心配です」

「あんなわがままな子供だとわかってしまうと、どうにも……」

 国民たちのユーフェリア神への不信感は膨らんでいく。トルキア皇帝のカシムは、あえて沈黙を守った。大神官ヨハネスは困って国王に助けを求めた。

「国王陛下! 陛下はどうお考えですか!」

「……あの小娘、ニコラスとモーガンを殺したのは自分だと言いおったな」  

 老王の声は怒気をはらんでいた。

 二人が雷に打たれて亡くなった当時は、女神にどんな不敬を働いたのかと、恐ろしさのあまり気が狂ってしまった王だったが、単なる女神の気まぐれだったとわかった今、ユーフェリアには怒りしかなかった。

「陛下、女神様を小娘呼ばわりはあまりにも」「黙れヨハネス……ものは試しじゃ。黒き龍の話を、聞いてみようではないか」

「陛下!」

「もはやおぬしも信用できん」

 国王に不信に満ちた目を向けられ、ヨハネスは打ちひしがれたようにその場にへたり込んでしまった。

 ハロルドがエリを丁寧に下ろして長椅子に座らせたのを見ると、黒龍は話し始めた。

『ありがとう。では、話そう。なぜスカーレットとアスカが入れ替わったのか。なぜエリがフェトラ王国に召喚されたのか……あぁ、スカーレットにもここに来てもらったほうがいいだろうな。鏡越しでは少々煩わしいだろう』

 黒龍はそう言うと、長い尻尾を器用に使って、宙に魔法陣を描き始めた。尾の動きに合わせて、黒い光がインクのようにあらわれて、空間に召喚魔法陣を描いていく。

『我が命のもとに、来たれ異世界の少女よ。そして、魂よ、あるべき肉体に還り給え』

 黒龍がそう唱えると、魔法陣が光り輝き、中から少女の足がにゅっと現れ、そのままするするとアスカの姿をしたスカーレットが出現し、大聖堂に降り立った。そしてスカーレットとアスカの互いの胸が光り輝き、その光が宙に浮かぶと、交差してそれぞれの肉体の中へとおさまった。

「スカーレット……! 帰ってきてくれたのか……!」

 ハロルドは改めてスカーレットを見つめた。今度こそ、正真正銘、確かに愛しき彼女だった。

「はい、スカーレットでございます。ただいま戻りました、留守にしてしまい、誠に申し訳、」

 挨拶の口上を述べている途中のスカーレットを、ハロルドはたまらずに抱きしめた。

「いいんだ、君が無事で本当に良かった……」

「ハ、ハロルド様っ、みんなの前ですよ! あ、あと痛い、傷口がものすごく痛いですわ!」

 スカーレットの言葉に、ハロルドは慌てて離れた。スカーレットは腹を抑えながら、なんとか淑女らしい姿勢を保たんとしながら、言った。

「それにしても、こんなに容易く異世界召喚と、魂の交換ができるなんて驚きですわ」

 スカーレットが言うと、黒龍は静かに応える。

『召喚される側に、こちらに来る意思が明確にあるのならば、それほど危険なものではないよ。もっとも、召喚される側が了承済なのは非常に稀なことだが。魂の交換も、あるべきものをもとに戻しただけのことだ』

「こんなに簡単に戻せるなら、もっと早く戻してくれればよかったのに」

 アスカが言うと、黒龍は今度は首を横に振る。

『それは無理だったんだ……もともとこのフェトラ王国はユーフェリアの領域で、本来、私はこの地に降り立つことすらできない。今はユーフェリアの力が一時的に弱まっている故に、こうして私も力を振るうことができた。あなた方にとっては不本意だろうが、この国の宰相令嬢が瀕死の重傷を負うことで、国の守りに乱れが生じたことも、私がここに来られた要因のひとつだ』

「えっ……じゃあ、私が刺されるのが真ルートだったってこと……? ちょっとそれは厳しすぎじゃない……?」

 アスカが思わずつぶやくと、黒龍は首を傾げた。

『シンルート……? は、よくわからないが。とにかく、ユーフェリアはハロルド王太子への恋心故に暴走しすぎた。暴走を止めるために私はできうる限りの干渉をさせてもらった。……初めに謝罪しよう。スカーレット嬢とアスカ嬢の魂を入れ替えたのは私だ』

 思いもよらぬ言葉に、一同は騒然とした。しかし、スカーレットひとりは落ち着いている。

「……私が、落馬事故で死ぬはずだったところを、異世界の少女と魂を入れ替えることで防いだ、ということでしょうか」

『そうだ。スカーレットの命はあそこで尽きる運命ではない。それなのにユーフェリアは神の力を使って貴女を亡き者にしようとした。モーガン王子とニコラス王子を神の力で亡き者にしたことで、たかが外れてしまったのかもしれない』

「なんということじゃ……ニコラス……モーガン……」

 老王は悲しみに顔を覆った。

『二度目のあまやちを見逃すことはできず、ちょうど異世界で生死の境をさまよっていたアスカの魂と、スカーレットの魂を入れ替えることで、二人の魂をなんとかこの世に繋ぎ止めたのだ。さぞ驚いただろうし、不便をかけただろうが、他に助ける手はなかった』

 黒龍の言葉に、アスカもうなずいた。

『それで諦めてくれれば良かったのだが、ユーフェリアは今度は自分の魂の器を下界に用意して、自分がヒトの身体を使って降臨し、ハロルドの妻になることを考えた。そこで神官たちに異世界召喚を命じたわけだが……

 黒龍の言葉に、皆は首を傾げた。

「はっ……? 何をおっしゃる。ヨハネスが異世界召喚に成功したからこそ、エリーゼ殿はこの国に来たのだろう?」

 ハロルドの問いにヨハネスはうなずくが……わずかに顔が引きつっている。

「もちろんでございます。黒龍は何を言っているのやら……」 

 そこで、いきなりカシムが声を上げた。

「じゃあ、どうしてわざわざ彼女をシエンナの森に召喚したんだ?」

「そ、それは……十分な広さを……」

「女の子ひとり呼び寄せるだけだろう? この大聖堂でも十分だったはずだ。王都から離れた、魔物がやってくるかもしれない危険な森にわざわざ魔法陣を張ったのは何故だい? あそこにはお前が大嫌いなトルキアからの移民も暮らしているのに」

「ぐ……」

 皆に見つめられて、ヨハネスは言葉に詰まる。その様子を見て、ハロルドはぽつりと言った。

「……もしや、大聖堂に魔法陣を描いたのに、ここには聖女は現れず、何故かシエンナの森に爆発的な魔力を感じたから、それを聖女召喚に成功した、としてしまったのか……?」

 ざわざわ、とざわめく一同。

「異世界から聖女を召喚するなど、他に誰もやりようがないではありませんか! ですから、座標のズレこそあれ、無事に召喚に成功したものだと」

「ヨハネス殿、人間の召喚魔法で座標がズレたら、呼ばれた人間の身体は裂けて内臓が飛び散りますわよ」

 スカーレットはさらりと指摘した。

「エリ様をシエンナの森に召喚したのは、ヨハネス殿ではなく、黒龍様……目的は、ユーフェリアを止められる人物を呼び寄せる為でしょうか?」

『話が早いな、スカーレット嬢。そのとおりだ。私は、わずかに私の信者が住むシエンナの森で召喚魔術を行使し、エリを呼び寄せたのだ……ユーフェリアを止められる可能性を持ちえる少女をね。まさかアスカ嬢と姉妹だとは思わなかったが』

「それにしてもユーフェリア神も考えがめちゃくちゃだな……」

 カシムの言葉に、黒龍の方がすまなそうな表情をした。

『……だが、ユーフェリアがこうなってしまった責任の一端は、私にある……かつて私はこの地を荒らし回り多くの災害を起こした。それを鎮めるために人身御供として差し出されたのがユーフェリアだ。私に喰われた彼女は恋も知らぬまま神になってしまった。自身を差し出した人間たちを呪い、私を恨み続けた中で、初めての恋に歯止めが効かなくなってしまったのだ……力で彼女を征服した私が、今壮大なしっぺ返しをくらっているところなのだ』

「……ふざけないでよ」

 アスカの声は怒りに震えた。

「黙って聞いてりゃ、結局、ぜんぶユーフェリアと黒龍の勝手な都合で、私たちはただ巻き込まれただけじゃない! もうあなたやユーフェリアが、この国がどうなろうが知ったこっちゃないわ、早くエリと私を日本に帰してよ!」

『それについては返す言葉もない。申し訳なかった……。もちろん、君たちを帰したいのは山々だが……エリ殿は、今や小神ほどの力を持ってしまった。今恐らく、彼女の意識はユーフェリアと共に、ヒトの及ばぬ神域の中にある』

「じゃあ、どうしたら……」

「きゃあっ!」

 突然、スカーレットが悲鳴をあげた。彼女の淑女らしからぬ大声に一同は驚いたが、彼女の身に起こっていることがわかると二度驚いた。彼女の手が、半透明になって透けているのだ。

 アスカも、はっとして自分の手を見た。こちらの手も、透けて向こう側が見えてしまっている。

『これは……まずいな、神域でエリ殿がユーフェリアに誑かされたか。スカーレットとアスカが2人まとめて消えかかっている』

「なんだって」

 ハロルドは焦燥にかられてスカーレットとアスカ、そしてエリを見比べた。

「何か我々にできることはないのですか」

『できることはなにもない……エリ殿がユーフェリアの口車に乗らないことを祈るしか……』

「どうしてエリがユーフェリアに騙されると私達が消えるの……?」

 アスカの言葉に、黒龍は躊躇し、言いにくそうに言った。

『……妹のアスカがいなければあなたは自由だ、とでも言われたのかもしれない』

「そんな……エリ、お願い、待って。せめて、一言だけ謝らせてよ……」

 アスカは、目を覚まさないエリに、半透明になった身体ですがった。 

 

 

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