第35話 女神の誘惑

 白くひろがる神域では、ユーフェリアがずっとエリを懐柔しようとしていた。

「ねえ、エリ。アスカはもともと生まれなかったことになるだけよ。存在しなかった人を失って悲しむ人なんて誰もいないわ。あなただってすぐに妹のことなんて忘れるわよ」

 ユーフェリアは甘い言葉をエリにかけ続ける。

 アスカさえ居なければ、スカーレットは落馬事故でそのまま死に、ハロルドが女神の器と結婚するのを邪魔する者は誰もいなくなるからだ。 

 ただの器だと侮っていたエリが神の力を得るとは予想外であったが、うまく彼女の力を利用してしまえばいい。エリはきっと誘いにのるだろうという確信が、ユーフェリアにはあった。

 何故なら、ユーフェリアは人間だった頃、血の繋がった家族を憎んだからである。

「アスカだって苦しむわけじゃないわ。むしろこの世に生まれた苦しみを味あわせなくて良いかもしれない……いや、無理に高尚な話にしようとするのはやめましょうか。あの子さえいなければ、あなたは素敵な世界を手に入れる。それでいいじゃないの」

 ユーフェリアの言葉をエリは黙って聞いた。そして、ぽつりとつぶやく。

「……確かに、明日香がいなかったら、私はもっと自分のことに自由に時間を使えたと思う。それはきっと、事実だよ」

「そうでしょう、そうでしょう」

「妹はいつも自分勝手でわがままばっかり、両親も明日香のことばっかり。友達も、私が明日香の世話があるからって遠慮して疎遠になった子が何人もいる……明日香さえいなくなったら。そんなこと、何度も考えたよ」

 こんな話をするのは、絵里にとって初めてだった。明日香は病気のかわいそうな子なのだから、文句を言わずに甲斐甲斐しく世話をしてあげなければならない。文句も言わない姉の姿は健気で素晴らしい……そう、思われたい。思われていなければならない。無意識のうちにずっとそう思っていたのだ、と絵里は気がついた。

「……それでも、そんなに簡単に捨てられないの」

「人間の身ではね。でも神の力なら簡単に、」

「違う。……簡単に消そうと思えないくらいには、私やっぱり明日香のことが好きなんだよ」

 エリの言葉にユーフェリアの顔が歪んだ。

「アスカは、百回もスカーレットとしての転生を繰り返し、百回も諦めずに私を助けようとしてくれた。……だったら、今度は私が守らなくちゃ」

「なっ……そんなの、合理的じゃないわ。家族という名の呪いよ、足枷よ!」

「……そうかもしれない。それでも、本当に消えたほうが良いとまでは、私は思えないというだけ」

「な、なんでよ!!邪魔なら消しちゃえば良いじゃない! だってわたしはずっとそうしてきた!」

 ユーフェリアは金切り声をあげる

 ……神の力を得たエリには、先ほど、見えてしまった。

 ユーフェリアの過去が。家族の中で一人だけ生贄に選ばれたこと。その怨みから、神の力でその家族たちを変死させたこと。

「……ああ、ユーフェリア。あなたは、自分の家族を……」

『そうよ! 神の力で殺してやったのよ! 私は間違ってない!……両親は、跡継ぎの兄と、良家に嫁ぐ姉のことばかりかわいがって、私のことはみんな爪弾き。だから私、神になってからあいつらに復讐してやったのよ! 素晴らしかった、せいせいしたわ!」

 肩を上下させて、興奮しながら話すユーフェリア。自分は無罪だと必死に訴える、罪人のようだった。

「……そうか。ユーフェリア、あなたは、あり得たかもしれない私の姿、だったんだね」

 アスカが自分のために繰り返し転生してくれたことを知らなければ。あと少しユーフェリアの甘言に心を動かされていたら、自分も彼女のようになっていたかもしれない、とエリは思う。

『そうよ。だからきっと、私達同調したのよ。

……黒龍に食べられて神になって、辛くて引き裂かれた心を、恋心で満たして幸福にしてくれたのがハロルドだったの。彼を思えば胸に熱い気持ちがこみあげて、彼の為ならなんでもできると思ったし、本当にやってあげたわ。だから、ハロルドは私と結ばれないといけないの。すべてハロルドの為にやってきたのよ』

 めちゃくちゃな論理を振りかざすユーフェリアを見て。エリは、うなずいた。

「そう……わかった。じゃあ私、決めたよ。ハロルド様を、この世から消すね」

 エリの言葉に、ユーフェリアは凍りついた。

「……は? ちょっと待って、お前は何を言っているの?」

「あなたがハロルド様に恋をしなかったら、今頃こんな事になってないんでしょ? スカーレットに嫉妬して落馬事故を起こすこともないし、あなたが女神の器を召喚しようとして、多くの人が犠牲になることもない。あなたがハロルド様に恋しなければ、お兄さんたちが順当に王位を継いでいたはずだもんね……うん、それが1番いいわ」

「えっ、やだ、嘘でしょ? ちょっと待って」

「ハロルド様は高潔な方だもの。世界の平和のためなら、きっとわかってくれるから、大丈夫よ。いっそ、生まれてきた苦しみを味わうことなく、彼も幸せかもしれない……よし、じゃあ願うね」

「い、イヤアアアア!! お願い、やめて!!」

 ユーフェリアは絶叫した。

 あたり一面がまばゆい光に包まれた。

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