第3話 新しき名、エリーゼ

「殿下、ご無事でしたか」

 森の出口に止まった馬車の前には、御者のおじさんの他に、一人の若い男性が立っていた。この人も夢で見た。私とハロルド様の結婚式で神父役をしていた、大神官のヨハネスだ。長い黒髪をひとつにまとめた、切れ長の目の美青年だ。白くて袖と裾が長い服を着ていて、ゲームに出てくる神官みたいな服装だなと思った。

「ヨハネス殿、こちらが――」

「ああ、この可憐な方が、異界からの聖女様ですか。お初にお目にかかります。中央教会にて大神官を勤めております、ヨハネスと申します」

 ヨハネスさんは柔和な笑みをたたえ、私に丁寧にお辞儀した。私も慌てて頭を下げる。

「ヨハネス、彼女はこの地に召喚されたばかりで、この国のことを何も知らない。お前から話してやってくれ」

「御意……さあ聖女様、こちらへ」

 ヨハネスさんが手を差し出してくれる。それにしても「聖女様」と呼ばれるのはどうにもむず痒い。でも、そうか。まだ名前を言っていなかったな。

「ありがとうございます。あの、私、後藤エリと言います」

「聖女様。あなた様には古き地における俗名など、もはや不要でございます」

「え……」 

ヨハネスさんが笑顔を崩さないまま言った。

「そうですね……今後はエリーゼ、と名乗られませ」

 ゾクミョウって……うーん。見たところ、ここは日本よりはゲームに出てくるような架空のヨーロッパに近そうだし、名前も合わせろってことなのかな……英語で自己紹介するときに苗字と名前逆に言ったりするし……ホームステイのときはその土地の名前のあだ名つけられることもあるって聞くし、そんな感じ……?

「わかりました……じゃあ、できれば聖女様、じゃなくて、エリーゼと呼んでください」

「承知いたしました、エリーゼ様」

 ヨハネスさんに手助けしてもらいながら、私は馬車に乗り込んだ。

 馬車なんて初めて乗ったけど、壁一面に綺麗な装飾が施され、椅子には赤いビロードが貼られていて座り心地もふかふか。でも中は狭いので、ハロルド王子様も乗るんだから詰めて座らないと。そう思って奥の方に膝を揃えて身を少し縮めて座ったのだけれど。

「では、聖女エリーゼ殿。道中お気を付けられよ。私は神官戦士団と共に戻る」

「えっハロルド様は乗らないんですか?」

 てっきり一緒に乗るものだと思っていたのでびっくりして尋ねると、ハロルド王子の方も面食らった顔をした。

「は? 婚前の異性が二人きりで馬車に同乗するなど、あり得ないだろう」

「えっ、でもヨハネスさんは…」

「ヨハネスは神官だが?」

「えええ………???」

 男女二人がまずいなら逆にハロルド王子がいない方がまずい気がするんだけど?

 まあ、でもハロルド王子がヨハネスさんに任せたんなら、この人が私に車内で変なことする心配はないか……

「ご安心を。エリーゼ様は私が必ず無事に送り届けます」

 ヨハネスさんはニコニコとした表情を崩さず、長い身体を折り曲げるようにして馬車に乗り込んだ。

「それでは、手始めに……この国に伝わる伝説の聖女、ユーフェリアのお話を致しましょうか」

 

 ※ ※ ※


 はるか昔。  天空の黒龍が荒れ狂い、日照りが続き、田畑は荒れ、民は飢餓に苦しんでいた。

 そんな時に、人々を救うために一人の乙女が立ち上がった。

 村で一番美しかったその乙女、ユーフェリアは、黒龍の暴虐を鎮めるために、自ら生贄となることを申し出て、十字架に磔となったのだ。

 黒龍は乙女を喰らうことで怒りを鎮めた。尊い犠牲になった悲劇の乙女の魂は天に昇り、悪神黒龍に相対する女神に神格化され、人々からの信仰を集め現在に至る。

 女神となったユーフェリアは今もなお民の苦しみを背負い、救ってくれているのだという。

「ユーフェリア処女神のお導きにより、国を救うためにあなた様は召喚されたのです、聖女エリーゼ様」

「……まさか、私にその黒龍を倒せとおっしゃってます……?」

「いえいえ! その心配はございません! 悪しき黒龍は我らが女神ユーフェリアが鎮めてくださっております。怪物共が、たまに人を襲うことがありますが」

 ヨハネスさんの言葉にとりあえずは安堵した。

 女神様が悪い龍を鎮めてくれているのなら、さっき見た龍は危険な龍ではないのだろう。

「あの、女神様のお導きで召喚されたっておっしゃっていましたけど……私はいつになったら元の世界に帰れるんでしょうか?」

「お帰りに? どこにお帰りになるというのです?」

「それは……」

 自分のいたところを語ろうとして……言葉が出てこなかった。

 私は確かにここではないどこかからやって来たはずなのに。前いた自分の故郷がどんなところだったのか、家族や友人の顔はどんな顔だったか……頭にモヤがかかったみたいに、思い出せない。

 そもそも、そんなに急いで帰る必要あったっけ……?

「……世界が貴女を必要とすれば、いずれ元の世界に帰ることもありましょう。ですがそれまではどうか、この神聖フェトラ王国に力をお貸しくださいませ」  

ヨハネスさんが頭を下げる。  

……うん、そうか。今の私は、どうやらこの国で必要とされているらしい。前の世界では、そんなにすごい存在なんかではなく、ごくごく平凡に暮らしていた気がする。

「わかりました、私でお役にたてるなら、協力させてください」  

 私が言うと、ヨハネスさんは綺麗な顔でニコリと微笑んだのだった。

「では、早速でございますが。聖女様にはハロルド殿下と婚姻を結んでいただきたく思います」

「………は?」

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