第21話 2018年東京
2018年 東京 大東亜病院にて……
「後藤さん! 後藤絵里さん!! 聞こえますか!」
病院では、交通事故に巻き込まれた後藤絵里の、医師たちによる懸命な救命活動が続いていた。処置室の外では、絵里の友人たちが手を握り合ったり、涙ぐんだりしながら、彼女の無事を祈っている。
そこへ、絵里の両親が駆けつけてきた。娘が車に轢かれたと聞いて職場から飛び出してやってきた後藤夫妻は顔面蒼白だった。
「おばさん、おじさん……」
友人たちのうち、絵里と小学校時代からの親友、橘由依がソファから立ち上がり、夫妻に頭を下げた。
「ごめんなさい。私が悪いんです。私が遊びに誘ったから……」
まるで自分一人に責任があるような由依の言い方に、他の友人たちが思わず立ち上がる。
「由依だけじゃないです、あたしたちも強く誘っちゃったから」
「絵里はテスト終わったあとにまっすぐ病院に行くつもりだったんです、寄り道もしないで……だから怒らないであげてください」
口々に由依と絵里を庇う友人たちの姿に、後藤夫妻は、首を振った。
「みんな、どうか自分を責めないで。絵里はみんなと遊べて嬉しかったと思うわ」
「さあ、みんな。今日はもう疲れただろう。早く帰った方がいい。タクシーを呼んでおくから」
名残惜しそうに去っていく娘の友人たちを見送ってから、妻の京子は膝から崩れ落ちた。
「私が、私がいけなかったんだわ! 絵里がしっかりしてるからって、明日香のこと全部任せっぱなしにして! 私たちずっと絵里に頼りすぎてしまった……こんなことなら明日香の入院が決まったときに私が仕事を辞めれば良かったのよ!」
「京子さん落ち着いて。君が悪いわけが無いじゃないか。そんなこと言うなら仕事を辞めなかったのは僕だって同じだ。……とにかく、今は絵里の無事だけを考えるんだ。自分を責めないで」
心苦しいのは夫の康政も一緒だった。しかしここで自分まで落ち込んではどうしょうもない。康政は妻を励ましながら、絵里の無事を祈った。
処置室のランプが消え、中から執刀医が出てくる。
「後藤先輩……」
執刀医が康政を見て声を上げる。そう、後藤夫妻はかつてこの大東亜病院に勤務していた医師夫婦なのだ。現在はそれぞれ別の病院に勤務し、日々忙しく過ごしている。
「如月くん。娘は、絵里は?」
如月医師は深いため息をついてから、努めて冷静さを保ちながら告げる。
「……手は尽くしました。しかし、意識が戻らない状態です。呼吸と心音は安定している、いわゆる植物状態になっています。」
「そんな……」
京子はぼろぼろと泣いた。如月は心苦しく思いながらも、更に後藤夫妻に言葉を続ける。
「それから妹の明日香さんも、意識を喪い、現在は安西が処置中です。もちろん全力を尽くしますが……」
「……そうか、わかった」
康政は如月の態度と言葉だけで彼の言いたいことを察した。残酷なことだが、最悪、後藤夫妻は二人の娘を一度に喪うことを覚悟しなくてならないのだ。安西は信頼できる腕のいい医者だが、それでも医療は100%ではない。
「しかし明日香は昨日までは変わりなかったんだろう? 一体どうして」
「今のところ原因がまったくわからないのです。突然ベッドの上で倒れて動かなくなってしまって」
「そんなことがあるのか……」
如月は憶測で物を言うのを避けるため、明日香についてはそれ以上口にしなかった。絵里のほうに話題を変える。
「きっと声は絵里さんにも聞こえるでしょう。たくさん声をかけてあげください」
如月に言われて、夫妻は眠る絵里のそばに近寄った。顔には傷ひとつついておらず、まるで本当に眠っているだけのようだ。
「絵里、お母さんよ……ごめんね、絵里は何も悪くないのに、ねえ……代われるものなら、私が代わってあげたいわ、本当に」
泣き崩れる京子の肩を、康政は黙って支えた。如月は歯がゆく思った。後藤夫妻は、ふたりともこれまで多くの患者の命を救ってきた高潔で優秀な外科医である。どうして、二人がこんな不幸な目に遭わなければならないのかと思った。
ふと白衣の胸ポケットを見ると、院内用携帯電話が点滅していたので如月は電話を取った。
「はい……本当ですか! わかりました、すぐに行きます」
如月は短く言うと、後藤夫妻に告げた。
「後藤先生、妹の明日香さんが目を覚ましたそうです!」
目が覚めると、私の目の前に広がるのは、見覚えのない白い天井だった。人の気配を感じて身を起こそうとすると、白い服を着た女性2人が、自分を見てひどく驚いていることがわかった。
「目を開けたわ! 良かった! すぐに先生を呼んできて! ご家族にも連絡を!」
「はい!」
2人のうち若い方の女性が部屋を飛び出していく。
「ゴトーさん、ゴトーアスカさん、わかりますか?」
部屋に残った方の女性が私の顔を覗き込んみながら尋ねてくるけれど、一体何を言っているのかしら。ゴトーアスカという人と私を間違えている? それにしてもなんて変わった名前なのかしら。
でも、そんなことよりも、状況を把握しなくては、と思い直した私は、目の前の彼女に尋ねようと口を開いた。
「あなたはどなた?」
あら? なんだか自分の声が変ね……。
「ここはどこです? 王宮でも、病院でもなさそうですが……お父様は? ハロルド様は……?」
「えっ? 何を……」
自分の声が妙に幼く聞こえて、私は戸惑う。けれど、目の前の女性は私よりもっともっと戸惑っているようだ。
「あの、ご自分の名前、わかります?」
尋ねられて、私は優美な笑みをたたえて、答えた。常に優美であることが、私の家の信条ですもの。
「私はスカーレット・バイルシュミット。神聖フェトラ王国の宰相の娘です」
そう名乗ると、目の前の女性はとても困った顔になってしまった。
「あの、何か…………」
ふと、何気なく自分の手が目に入って、私はぎょっとした。なんだか、手が小さくて、黄味がかっている。これは、私の手じゃない……!
「あ、いきなり起きちゃだめですよ」
女性の静止を聞かず、私はベッドから飛び出して、部屋にかかってあった鏡を見る。
「えっ……? ええーーーっ!?」
目も耳も鼻も口も。すべて私のものではない。そこに映っていたのは、12歳位の、全然知らない女の子だった。
「誰なのこれは!? 私はどうなってしまったの!? この子は誰!?」
知らない女性は、私を落ち着かせようとしているのか、ゆっくり声をかけてくる。
「明日香さん、落ち着いてください、すぐにお母さんとお父さんが来てくれますよ」
「わたしのお母様は小さいときに亡くなったはずよ! 一体何がどうなっているのです!」
その時、扉が開いて「あすか!」という声とともに、一組の男女が入ってきた。……やはり、知らない人達だった。
「明日香! 目が覚めてよかった……!」
「病院から知らせを聞いたときはどうなることかと思ったよ」
優しそうな人たち。でも、本当に知らない人達なので私は困ってしまう。
「おばさま、おじさま、申し訳ないのですがどちら様ですか……?」
私が尋ねると、二人は雷にでも撃たれたかのような顔になってしまった。
「なんですって! 明日香、お母さんが分からないの!?」
「お父さんだよ、明日香!」
私はの魂は今、この人たちの娘の身体の中に入ってしまっているということなのか。それなら、私の身体はどこに行ってしまったの……?
「私はアスカさんではありません。神聖フェトラ王国が宰相、フェリクス・バイルシュミットの娘、スカーレットです。誰かフェトラ人はいませんか? フェトラの民ならば必ず私のことを知っているはずです!」
私の言葉に、目の前のご夫婦も、部屋にいた女性も、ご夫婦についてきた白衣の男もすっかり困った顔になってしまっている。
「如月くん、これは……」
「ええ……記憶が喪失し、せん妄状態、といったところでしょうか……」
「それにしてもこんなに架空の記憶が具体的な例は初めて見るな……」
ところどころ、知らない単語が出てくるけれど、どうやら私が妄想でものを話していると思っているらしいことはわかった。
「架空の記憶などではございません! 信じてください、わたくしはアスカさんではないのです!」
「わかった、わかったわ。あなたはスカーレットなのよね?」
アスカさんの母を名乗る女性が優しく言った。
「何にしても無事に目が覚めて良かったわ。大丈夫、大丈夫よ。私たちはあなたの味方ですからね」
……アスカさんの母は優しく言ったけれど、これは相手を落ち着かせるために同調しているだけだ。私の話などきっと信じてもらえていない。
「えー、それでは……スカーレット、さん。落ち着いたら検査をしますので、もうしばらく横になっていてください。病室まで車椅子で運びましょう」
キサラギという男の指示で、白衣の女性たちが車椅子を持ってきてくれたけれど……わたしの知っている車椅子と随分ちがう。銀色のパーツがゴツゴツしていて、布もペラペラ、車輪もなんともふてぶてしい。
「わ、わたくしにこれに乗れと……?」
「あ、歩けます? それでしたらどうぞ」
そう言って白衣の女性が指し示したのは、何とも心もとない、緑色のペラペラのスリッパだった。よく見れば、私の身にまとっている寝間着も、いつものシルクのネグリジェではなく、ピンクと白の格子柄の薄い綿の服だった。
私は途方にくれてしまう。ここは、一体どこなの……???
「おかしいな、脳にはどこにも異常は見られないんだが……」
医師の如月は後藤明日香の検査結果に首をひねる。
「なにか、精神的なものかもしれないな。如月くん、明日香の他の具合はどうなんだい。ずいぶん元気そうに見えたが」
「ええ、どうやら今回の心臓の手術はうまく行ったようで、このまま経過が順調なら退院できそうです。あの一時的な心神喪失は何だったのかと思うくらいですよ」
如月の言葉に、京子はうなずいた。
「じゃあ、なるべく明日香が早く退院できるように力を尽くしましょう。私はしばらく休暇をとって明日香と絵里のそばにいるわ」
「僕も休むよ。明日香には、絵里のことはどう説明する?」
「……時期を見て、落ち着いてから話しましょう。明日香が目覚めてくれたんですもの、きっと絵里だって目を覚ましてくれるはずよ、ね?」
康政と如月は顔を見合わせ、うなずいた。
まずは明日香の無事を喜び、彼女が元の記憶を取り戻せるように、尽力しようと三人は決意した。
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