第31話 黒龍、襲来
「なんだ、地震か……?」
招待客たちが訝しんでいると、突然大聖堂が暗くなった。薄曇りだった外に影が落ちて、夜のように暗くなったのだ。バサバサ、と何かが羽ばたくような音も聞こえる……かなり大きな音だ。
と、その時突然。雷鳴のような、獣の雄叫びが天空から鳴り響いてきた。その吠え声は凄まじく、皆が思わず身を縮める。
「た、大変です!」
大聖堂の外で警備にあたっていた神官戦士があわてて中に駆け込んできた。
「何事ですか?」
ヨハネスが尋ねると、戦士は青い顔になる。
「黒龍が……荒ぶる神が現れました! ああっ! こっちに降りてくる……!」
外をちらりと見た戦士があわてて大聖堂の中に駆け込んでくる。その背後、巨大な扉から、黒い龍の頭が覗いてきたのである。
「黒龍だー!!」
「キャーー!!」
結婚式場は大混乱となった。我先にと皆がほうほうのていで逃げ出そうとする。巨大な黒龍は、大聖堂の扉を片足でひょいと押しのけて破壊すると、逃げ惑う人々を気にも止めず、ただ、のしのしと歩き始めた。
「黒龍様……!」
黒龍を鎮めるために祀っている国、トルキア帝国のカシムは逃げずに地に膝をついて礼をとったが、黒龍は彼のことも特に気に留めなかった。黒龍はただまっすぐに花嫁だけを見つめていた。
「は? 黒龍……? どうしてここに……?」
ユーフェリアはあ然としていたが、すぐにハロルドにしがみついた。
「キャー! 怖い! 助けてハロルド様〜!」
黒龍はユーフェリアを見て、静かに唸った。
だがしかし。ユーフェリアに心をとじこめられたエリには、黒龍の言葉が、人間の言葉に聞こえてきた。
『不本意な形ではあるが、スカーレット嬢が負傷したことにより、フェトラ王国の護りの結界が揺らぎ、私が降り立つ隙ができたようだ。ユーフェリア、もう良いだろう。これ以上皆に迷惑をかけてはいけない』
黒龍の言葉は穏やかで、ユーフェリアよりも、よほど理性的であった。エリは、何故この優しい龍が皆に恐れられているのかわからなかった。
「殿下と聖女様をお守りしろ! かかれー!」
結婚式に参列していた貴族たちを大聖堂の外に避難させ終わった神官戦士団が、一斉に黒龍への攻撃を開始した。一斉に剣を振りかぶり、黒龍を殺そうとする神官戦士たち。
「そうよ! 邪悪な黒龍をやっつけちゃってちょうだい! さあ、ヨハネス。式の続きをしましょう!」
神官戦士たちを鼓舞し、黒龍の襲来にも関わらず、尚も式を続行しようとする聖女にハロルドは驚愕した。
「何を言うのだ。結婚式どころではないだろう!」
「嫌っ! 嫌よ! せっかくここまで来たのに今更中止になんかさせないわ!」
駄々っ子のような花嫁の姿にハロルドは困惑する。そのさなか、トルキア皇帝カシムが怒鳴った。
「それより黒龍様への攻撃をやめるんだ! 怒りに触れれば災いが降りかかるぞ!」
カシムは、荒ぶる神、黒龍の怒りがフェトラ王国に向けられることを本気で心配したのだが、フェトラの神官戦士たちは嘲笑った。
「誰が敵国の王の言うことなど聞くものか」
「どうせ、トルキアが黒龍を招き入れて式をめちゃくちゃにしようとしたに違いない」
「敵国の王を捕らえろ!」
カシムはいきなり神官戦士たちに取り押さえられてしまった。
「おい、何をするんだ! トルキア皇帝を離せ!」
ハロルドが言うと、ヨハネスがいきなりガシッとハロルドの肩を掴んだ。
「王太子殿下。殿下はフェトラ王国とトルキア帝国、どちらの味方なのです?」
ギリギリと手に力がこめられ、ハロルドは痛みを覚える。
「式さえあげてしまえばこっちのもんだわ! ヨハネス! 早く奥へ! 早く!」
そう叫んでいたユーフェリアは突然、自分で自分の頬を思い切り引っ叩いた。
……いや、身体の奥底に閉じ込められたエリの魂が、ユーフェリアに抗ったのだ。
「ヨハネスさん! こんな女神の言いなりになって本当に良いんですか! 黒龍への攻撃を止めてください!」
ユーフェリアから口を取り戻したエリが言う。
「エリ……! あなた、もとに戻ったの……!」
スカーレットが驚いて目を開き、瞳を潤ませた。
ヨハネスも驚いてエリを一瞬凝視し、すぐに渋い顔になる。
「聖女様……しかし、異教徒の王の言うことなど……!」
「黒龍は、フェトラ王国を襲いに来たんじゃありません! ユーフェリアを迎えに来たんです!」
「……何をおっしゃっているのです?」
ヨハネスは訝しげにエリを見た。
「私には、黒龍の声が聞こえました。穏やかで優しくて、これ以上みんなに迷惑をかけてはいけないとユーフェリアを説得しています」
「……なんと」
「黒龍は悪神でも荒ぶる神でもありません……ヨハネスさん。あなたのやり方は強引だけど、あなたは国民のみんなの平和を願ってるんですよね? だったらこの結婚式は今すぐ中止にしなきゃ駄目です。あなたは、女神に騙されている。ユーフェリアを完全に降臨させたら、きっと碌でもないことになります!」
エリの説得を、ヨハネスは黙って聞いていた。しかし……。
「……なんということだ。我らが召喚した聖女は黒龍の魔女となったか。いや……? それとも最初から、そうだったのか? なんと恐ろしい!」
ヨハネスは、義憤に満ちた瞳でエリを見た。しまった、とエリは思ったがヨハネスが怪力で腕を掴んできた。逃れられない。
「私は、忠実なる女神の下僕! 異教徒に式を害されることなど絶対に許せません! これより私はこの魔女を調伏し、女神を降臨させましょうぞ! 神聖フェトラ王国に幸あれ! ユーフェリア神万歳!」
そう大声で言うと、ハロルドの肩とエリの腕をを掴んだまま、早足で祭壇の奥に入ってしまった。
「ハロルド様! エリ!」
中身はアスカのスカーレットが手を伸ばすが、無情にも扉は閉まってしまった。
祭壇の最奥、水晶が光り輝く秘密の部屋に、ハロルドとエリは、ヨハネスに突き飛ばされるようにして押し込められた。
水晶体はユーフェリアの御神体だろうか。
「うっ……」
エリは水晶に近づくと再び身体が重くなり、ユーフェリアに身体を乗っ取られる感覚を覚えた。
「エリーゼ殿、大丈夫か?」
ハロルドはエリを気遣った。
「ハロルド様、逃げてください……こいつと結婚なんてしたら終わりです……」
エリは声を振り絞って言ったがハロルドは首を振った。
「何を言う、君を置いていけるものか……!」
『あら、間違えちゃダメよハロルド? こいつはただの器。愛すべきはこの私ユーフェリアよ?』
エリの口調と仕草が豹変した。ハロルドは肌が泡立ち、とっさに彼女から飛び退こうとしたが、腕を掴まれてしまった。
『ヨハネス、儀式を!』
「かしこまりました……」
ヨハネスは頭をさげ、呪文を唱えながら両手を宙で動かして、光を水晶に集めていく。
『私に身体を明け渡せ、女神の器よ!』
ユーフェリアがそう叫ぶと、エリの胸が光り輝いた。
「おお、これが女神の完全降臨の光でございますか……」
ヨハネスが感動して呟いた。しかし、ユーフェリアは驚愕して顔を歪めた。
「いえ、これは……!? こんなの知らないわ! 待って、何が起きてるの!」
ユーフェリアが悲鳴をあげる。
「ぐ、エリーゼ殿……!」
ハロルドがエリを助けようと手を伸ばすが、あまりの眩しさに目を開けることができない。
儀式の部屋が、太陽のような真っ白なまばゆい光に包まれた。
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