第30話 女神との対峙

 ユーフェリアに抱きつかれて阻まれながらも、ハロルドは鏡の中の少女を見つめて、手を伸ばす。

「本当に、君なのか? スカーレット……!」

 姿形はまったく違うが、淑女らしく、凛とした彼女の雰囲気が、自分の愛するスカーレットを彷彿とさせるのだ。

 ユーフェリアは焦ってますます強くハロルドに抱きつく。

「やめてよハロルド! あなたと結婚するのはこの私よ! ほ、ほら! 私と結婚しないと女神の加護が受けられないわよ! 国民を守れなくなるわよ、いいの!?」

「それは……っ」

 歯噛みするハロルドを脅す、エリの姿を、鏡の中のスカーレットは小首をかしげてじっと見つめて言った。

『あなたがアスカ様のお姉様である聖女エリ様、ですか……アスカ様に聞いて想像していたお方とは随分印象が違いますね?』

 エリを不思議そうに見つめる、鏡の中のスカーレットに、今目の前に立っている方のスカーレット……中身はアスカが、応える。

「エリはこんな人じゃありません。恐らく、女神ユーフェリアの影響です……もう、人格まで乗っ取られてしまったの……」

 悲痛な表情をする彼女に、精神をとじこめられたエリは、私はここにいると言ってあげたくなった。アスカ、という人物のことは思い出せないのだが、自分の眼の前で悲しむスカーレットのことは、どうにも放っておけないのだ。

「っていうかアスカって誰なのよ!? エリも知らないって言ってるわよ!」

 その言葉に、スカーレットがひどくショックを受けた顔をして、口を手で覆った。

 一方、カシムは片眉をあげて、花嫁の言葉を反芻する。

「えっ……つまり、あなた様はエリちゃんの身体を乗っ取って、精神を共有しているユーフェリア神その人ということですか……」

 カシムの言葉に、ユーフェリアは、一瞬しまったという表情になったが、すぐに開き直って言った。

「そうよ! 皆の者、跪きなさい。ユーフェリア神の降臨よ」

 ユーフェリアがそう言うと。教会に集まっていたフェトラ王国の民すべてが……ハロルド王太子や神官ヨハネスも含めて、一斉に地に膝をついた。スカーレットも、何か見えない大きな力で身体が押しつぶされるような感覚に陥り、力なく膝をつく。……そんな中、トルキア皇帝カシムと、鏡の中のアスカだけが平然としていた。

「なっ!? なんでお前たちはピンピンしてるのよ!?」

「僕は黒龍様を信仰してますからね……貴方は、神の生贄になった憐れな少女としか思っていない」

『私は異世界に身を置いておりますから、影響がここまで及ばないようですわ。……ちょうどいい。この際はっきり言わせていただきましょう』

 鏡の中の少女が、エリの身体を借りたユーフェリアをじっと見据える。

「な、なによ」

『ハロルド様と婚約の儀式を交わしてから、変だな、とは思っていたのです。今までひいたことがなかった風邪はひくし、失くしものはするし、果ては落馬まで。私の信心が足りないせいだと思っておりました。……でも、そうではなく、女神様が私を一方的に恨んでおられたから、だったのですね』

 淡々と落ち着いて、しかし聴くものの注意を引き付ける声音で言うスカーレット。

『ユーフェリア様は、ハロルド王太子をお慕いしておられるのですね。神としてではなく、女として彼を愛している。そのために私の魂を異世界へ追いやり、ご自分の依代となる少女を神官ヨハネス殿に召喚させた……女神様のやり方は、回りくどすぎますわ』

 スカーレットは、ふう、とため息をついてから、意を決したように言った。

『私からハロルド様を奪いたいのなら、正々堂々と、正面から勝負なさいませ。私は女神様相手でも怖気づいたりしませんわ!』

「スカーレット……!」

 ハロルドの瞳には、もう、アスカの姿をしたスカーレットしか映っていない。

「………もぉおおおお!! 何なのよおおおお!!」

 ユーフェリアはこどものように癇癪をおこして、ヴェールをはずして地面に叩きつけると頭を掻きむしり、ウエディングドレス姿で地団駄を踏んだ。客席のユーフェリア信者たちはあ然として花嫁の醜態に釘付けになっている。

「ハロルド! あの女のどこが良いのよ! ただの宰相の娘でしょう!? ちょっと人より賢くて美人に生まれただけで調子に乗ってるのよ! その自慢の容姿も入れ替わっちゃって今はただの子供だわ……私は神よ? あなたの為なら何でもできる力があるわ! 現にあなたの兄二人が死んだから、こうして貴方は王太子になることができたじゃない!」

『……今、なんとおっしゃいました?』

 鏡の中のスカーレットの表情がこわばった。

 亡きモーガンとニコラスの死因が『神の怒り』だとは知らされていなかった全員が、ざわざわと騒ぎ出す。ハロルドもまた、驚いて目を見張って花嫁を凝視した。

「……兄上達は、あなたが私を王太子にするために殺した、と……? 神に対して不敬を働いた為ではなく……?」

「そう! そうよ! だってあの猿ども、あなたを役立たずだってひどいことを言ったのよ! 私あなたのためにやったのよ! 喜んでくれるでしょう? ねえ、褒めてよ、感謝してよ、ハロルド!」

 必死に言うユーフェリアに対して、ハロルドは静かに拳を握りしめてワナワナと震えた。

「なんということを……私は、兄上たちに死んでほしくなかったし、王位など望んでいなかった!!」

 ハロルドが怒るのを見て、ユーフェリアは焦って言葉を並べ立てる。

「えっ、でも国民のみんなだって、あんな豚が次の国王の座につくより嬉しかったはずでしょ!?」

「……黙ってください。人の命をこんなにも軽んじる、あなたを崇拝していた私が馬鹿だった」

 ユーフェリアを見るハロルドの目は氷のように冷たい。

ユーフェリアは、愛する男の冷たい眼にたじろいで……ふと、あることに気がついた。

――自分の力が、弱くなっている。怒りに任せて鳴らしていた脚が、思うように上がらなくなってきた。それに、先ほど跪かせた民達が、身を起こし始めているのだ。

「なっ、スカーレット、あんた何したのよ!」

『私は何もしておりません。……神の力の源は、人々の篤い信仰心ですわ。信仰心が離れた結果、あなた様の力が弱まるのは道理。身から出た錆、というものですよ』

「民の分際で偉そうに……! 何をぼけっとしてるの! 誰かこいつらを捕まえて! 反逆者よ、異教徒よ! ついでに私を少しでも疑うものはみんな処刑してしまいなさい!」

 ユーフェリアは喚いたが、警備にあたっていた神官戦士団も困惑して動かない。ユーフェリアは躍起になって叫んだ。

「ああああもう! スカーレット、あんたは落馬で死ぬはずだったのに! なんで異世界のこどもと入れ替わってのうのうと生きてるのよ、意味わかんない!」

『……えっ、私とアスカ嬢の魂を入れ替えたのはユーフェリア神ではないのですか!?』

 スカーレットとアスカは驚いた。てっきり女神ユーフェリアが嫌がらせでやらかした事だと思いこんでいたのだ。

「そんな回りくどいことしないわよ。落馬事故おこして死なせようとしたのに一体何が……」

 ユーフェリアが言いかけたところで。

 突然、大聖堂の壁がびりびりと震え、地面が揺れた。

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