第29話 スカーレットとアスカ、邂逅する
話は少し前に遡る――。
「……おーい!」
お父様のところを飛び出したところで、突然声をかけられて、私……スカーレットは驚いて振り返った。駆け寄ってきたのは、トルキア皇帝のカシム様だった。何やら大きな包を持っている。
「もう怪我はいいのかい? 重症だったと聞いたが」
「皇帝陛下……私は、これから結婚式場に向かわなくてはならないので、失礼致します」
「ひとりで結婚式を止めに行くつもりかい? それは流石に無謀すぎるんじゃないか? ……ゴトー・アスカ嬢」
一瞬、誰の名前を言ったのかわからなかった。
……それが、元の自分の名前だと気がつくのに数秒を要し。私は飛び上がりそうなほど驚いた。
「なっ、どうしてその名前を!?」
「ああ、良かった! やっぱりあたりだ!」
カシム皇帝はそう言いながら、包の結び目をほどいた。中から出てきたのは、古めかしい鏡だった。
「スカーレット嬢。こちら、ゴトー・アスカ嬢だ」
皇帝が鏡に向かって話しかける。私が鏡を覗き込むと、やがて鏡の中に一人の少女が現れた。……元の私、後藤明日香の姿が。
『はじめまして、ゴトー・アスカ嬢。わたくしは、今あなたの身体をお借りしております、スカーレット・バイルシュミットです』
「本物のスカーレット、さま……?」
今までのやり直しで、本物のスカーレットが干渉してきたことなどなかった。いや、そもそも私の元の身体がまだあると思っていなかった。
さっきの、スカーレットになじられる夢を思い出して身体が震えた。彼女はきっと、私を恨んでいる。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
『……アスカ嬢。お尋ねしますが、あなたが私と入れ替わろうとしてこのような事態になったのですか?』
私の声をしたスカーレットの言葉は、冷静で穏やかだった。
「い、いいえ! 私も気がついたらあなたになっていて……私、元の世界で死んで、あなたに転生したんだと思っていました」
私は、スカーレットの顔が怖くて見られない。
『そうでしたか……元の世界の自分は死んでいると思ったから、元に戻ろうとも思いつかなかったのですね……あなたが私の身体に入ってしまってから、今まで何があったのか、余さず聞かせていただけますか?』
「は、はい……」
私はすべてを話した。スカーレットが落馬事故から目覚めたところから私のスカーレットとしての人生が始まったこと。姉のエリが、聖女という名の女神の器として召喚されて、やがてはハロルドと結婚……しかし、それは女神ユーフェリアの陰謀であったこと。そのたびにフェトラ王国はめちゃくちゃになったこと。私は何度も何度もそれを止めようとして死を繰り返し……今がちょうど100回目であること。
「エリちゃんが召喚されてから結婚式までの、この1か月を100回繰り返している……?」
カシム皇帝は困惑していた。信じられないのも無理はないわ。
『では、あなたは姉のエリ嬢を救うために? 健気な姉妹愛ですのね……』
私の姿をしたスカーレットが、心底感心したように言うので、私は耐えられなくなった。
「そんな、いいものじゃ、ありません。私は、スカーレット様と入れ替わる前、エリにわがままばかりで、酷いこともたくさんしました。私がエリを助けたいのは、償って、その罪悪感を軽くしたいからです」
私の言葉をカシム皇帝とスカーレットは何も言わずに聞いている。泣く資格なんてないのに、涙がぼろぼろ溢れてきて止まらない。
「でも、私はそのためにスカーレット様の人生を横取りして……何食わぬ顔であなたの大切なものを奪ってしまいました。優しいお父様も、ハロルド様も、あなたを慕う人達も。……私なんかがあなたと入れ替わってなければ。あなたならハロルド様と協力して、この状況を変えられたかもしれないのに。本当にごめんなさい……。恨まれても仕方ないです。私は嘘つきでわがままな泥棒です。スカーレット、あなたになら私――殺されても文句は言えません」
私は項垂れた。今のスカーレットに手は出せなくても、カシム皇帝に頼んで私の首を斬ることなど容易いはずだ。100回目は、結婚式場に辿り着くことすらできずに失敗か。もしかしたら、これでもう本当におしまいで、私はもうやり直すことなどできないのかもしれない。最後の最後にスカーレットが復讐を遂げるためにやってきたのかもしれない。
『……ふふ。アスカ嬢、あなたってやっぱり苛烈なお方ですわね』
スカーレットがくすくすと笑う声が聞こえた。耳を疑って恐る恐る顔を上げると、スカーレットは私の顔で上品に微笑んでいる。
『困った子ですね。でも優しい子ですわ。私と入れ替わったことについて、あなたが謝る必要はないでしょう? 私だって、あなたの身体をお借りして、この世界の智慧や文明を享受しておりますわ。あなたのご両親もとても素敵な方たちですのね。私は、母を早くに亡くしてしまいましたから、嬉しかった……ひとつ後悔しているのは、ハロルド様のことです』
スカーレットは、私と入れ替わる前、ハロルドの兄二人が突然死したことで二人の婚約が成立したが、それが却って二人の間に溝を作ってしまったことを語った。
「心の底から間違いなく愛しているのに、それを忘れてあの方が傷つくことを言ってしまいました。あのときの私には余裕がなくて……あなたがお姉様にあたってしまったのも、きっと同じ理由でしょう?」
スカーレットの言葉に私はうなずいた。自分の身体のことと、自分の将来に希望が持てなくていっぱいいっぱいで、エリに辛くあたっては自己嫌悪に陥っていた。そのことに気が付けたのは、スカーレットの健康な身体を手に入れて、自分以外のことを考える余裕ができたからだと思う。
『きっと、ハロルド様もエリ様もわかってくださると思います。……でも、そのためには、きちんと謝らなくては』
スカーレットに言われて、私ははっと気がついた。この100回の繰り返しの中で、私はまだエリに一度も、アスカとして謝っていない……。
『私達の、本当の気持ちを伝えにいきましょう。あなたはアスカとして。私は、スカーレットとして。……トルキア皇帝陛下、我々を大聖堂に連れていってくださいますか?』
「勿論だとも。……来い、絨毯!」
カシム様が指を鳴らすと、鷹よりも速く、絨毯がこちらに向かって飛んできた。
「さあ、乗りたまえ。振り落とされるなよ!」
カシム様に手を差し出されて、私が絨毯に乗り込んだ瞬間に、絨毯は一気に加速した。
「えっ、うわっ、速いっ、いやーー!!」
元の世界にいたときは心臓が悪かったからジェットコースターの類に一度も乗ったことがない。気を失いそうになるのを堪えて、私は絨毯にしがみついた。
カシム様は慣れた様子で、絨毯に立ち乗りして、スカーレット様が映っている鏡をしっかり抱えている。途中、スカーレット様の『キャー! 速い、すごーい! 私も生身で乗ってみたかったな〜!』という声が聞こえた。
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