第6話 ハロルドとの朝食と聖女のおつとめ
エリが神聖フェトラ王国に召喚された翌朝。
エリは侍女に起こされ、朝の身支度を手伝われていた。花が浮かぶ湯船のなかで身体を洗われて、ドレスの袖に手を通され、丁寧にブラッシングをされる。なんだか着せ替え人形になってしまったようだ、とエリは思った。
王宮で侍女頭を務めているというシャーロットという女性は落ち着き払った声で言う。
「聖女様には、ハロルド殿下の婚約者として朝と晩の食事をともにしていただくところから始めていただきます。朝食が終わりましたら、大神官様に教えていただきながら、聖女のおつとめを始めていただきます。わたくし、精一杯お仕えさせていただきますので、よろしくお願いいたします」
「ですから、わたしは昨日出会ったばかりの王子様と婚約なんて……」
尚も戸惑うエリに侍女シャーロットは言う。
「聖女様。我ら臣下にとって、殿下と聖女様とのご結婚は悲願なのです。どうか私達をがっかりさせることをおっしゃらないでください」
エリは年上の侍女、下手をすれば親ほど年が離れている彼女の、切実な表情に困惑した。
「もしも、私と殿下が結婚しなかったらどうなるんでしょうか?」
「みんな死にます」
「えっ」
「女神ユーフェリアの御威光に逆らおうものなら、必ずや我ら国民に天罰がくだることでしょう」
「そ、そんなに恐ろしい神様なんですか!?」
「いいえ、女神ユーフェリアは慈悲深い女神です。しかし神に逆らうとはそういうものですわ。ですから聖女様、どうか我らのためにもハロルド殿下とご結婚なさってくださいませ」
思っていたよりも大変なことになってしまった、とエリは思った。こわばってしまったエリの表情を見て、侍女があわてて言う。
「そう固くお考えにならずともよろしゅうございます。ハロルド殿下は立派なお方。必ずや聖女様もお好きになるに違いありません」
シャーロットに自信満々に言われて、エリは曖昧にうなずくしかなかった。
身支度を終えてから、食堂に案内されて中に入ると、ハロルドは既に待っていた。
「おはようございます、王太子殿下」
「ああ、おはよう」
相変わらずハロルドの顔は険しい。もしかして怒っているわけではなくて、産まれたときからこんな顔なんだろうかとエリは思った。
食事はエリが想像していたものよりも質素で、パン2つにスープと野菜の盛り合わせ、水のみであった。
「昨日は、よく眠れたか」
「あ、はい」
「そうか。何か不自由なことがあれば遠慮なく言ってくれ」
「ありがとうございます……」
……会話が続かない。外でさえずる小鳥の声がやたら大きく聞こえる。エリは、何か喋ったほうが良いのだろうかと焦った。
「あの、ハロルド殿下」
「エリーゼ殿、」
ハロルドが同時に口火を切った。
「あ、すみません。殿下からどうぞ」
言われて、ハロルドが改まって言う。
「……この度は、私の事情に巻き込んでしまってすまない。異なる世界の君に、私の妃の役を押し付けるなど、どうかしているとは思うのだが」
ハロルドも内心でこの話が無茶苦茶だと思っていることがわかって、エリは少し安堵した。
「勝手なのは承知だが、まずはこの世界での生活を受け入れてもらえるだろうか」
ハロルド王子は身分が高い人間なりに、本当に申し訳がなさそうにしている。悪い人ではないんだな、とエリは思った。
「それより私からもお尋ねしたいんですが、ハロルド様は良いんですか? よく知らない女の子といきなり結婚しろだなんて嫌じゃありませんでした?」
「王族の結婚に、本人の決定権など無い。国の為になる結婚であるかどうか、それだけが大事なのだ……聖女殿の故郷では、そうではなかったのかな?」
「たぶん私、もとの世界では王族なんて身分ではなかったと思うので何とも……」
「そうか」
「………王子様と結婚したら、やっぱり私、元の世界には帰れないんですか?」
エリは不安そうに尋ねる。
「帰りたいのか?」
「よくわからないんです。元の世界の記憶は曖昧になってますし、帰らなきゃいけなかったのかどうかも。でも、誰かが私を待っていたような、そんな気だけがしていて」
「……そうか」
「あ、はい…………」
その後も、緊張しているエリと寡黙なハロルドでは会話は長続きせず、そのまま朝食が終わってしまいそうになるところで、エリは聞きたかったことを思い出した。
「……あっ」
「どうかされたか」
「あの、昨日襲ってきた怪物は何なんでしょう? 神官戦士団長さんは『なりそこない』って言っていましたけど」
「ああ、あれはここ最近現れるようになった、異形の怪物だ。何か、と聞かれると、正体などはわからない……神官たちが、人の世にまつろわぬものとして『なりそこない』と呼んでいるようだ」
「は、はあ……」
「だが、奴らがこの王都にまで入ってくることはない。貴女は何も心配いらない。だが、もし『なりそこない』のせいで怪我をした者が出たら、昨日のように治してやってくれないか」
「それは、もちろんです。私にできることですから」
エリが言うと、ハロルドもうなずいた。
「……では、また夕餉の席にてお会いしよう、聖女殿」
「は、はい。ありがとうございました」
ハロルドは公務のために自室へ戻るそうで、エリは、馬車に乗って中央協会に向かった。
「お待ちしておりました聖女様!」
大神官ヨハネスが大仰にエリを出迎える。
「それで、聖女のおつとめというのは……」
「はい、そう難しいことではございません。癒やしを求めて……具体的には、怪我や病気を治してもらいに訪れる人々を、聖女様のお力で、治していただきたいのです!」
「えっと……この国にも病院はあるって聞いたんですけど」
昨日のスカーレットの言葉を思い出してエリは尋ねた。
「確かに、医師はおりますが治療費は高く、一部のお金持ちしか治療が受けられないのです」
「えっ、じゃあ普通の人たちは……?」
エリの言葉に、ヨハネスは長い袖で顔をおおい、おいおいと泣き出した。
「貧しい民は満足な治療を受けられず、ただ苦しみに耐える他無かったのです。そのまま亡くなっていった民も数知れず……そんな中、異世界召喚に応じていただいた貴女様は、まさに救世主なのです!」
ヨハネスはエリの手を包んでぎゅっと握った。
「どうか我等をお救いくださいませ。女神の器たる聖女エリーゼ様」
「わ、私でお役に立てるのであれば、喜んで……!」
エリは、自分が大勢の人々を助けられるという誇りと喜びに身体が震えた。
スカーレットは出しゃばるなと言っていたが、人助けは良いことのはずだ。これまで助からなかった命が救える。それはとてつもないことだと思った。
初日の「聖女のおつとめ」には、国民が殺到した。病気の母を連れたこどもや、ひざを擦りむいたこどもを連れた親や、ぎっくり腰の老人など、重症なものから軽症の者まで有象無象の民が訪れた。
「まあ、胸が軽くなったわ!」
「手の怪我があっという間に治った!」
「ずっと直らなかった子供の熱が下がりました!聖女様、本当にありがとうございます!ありがとうございます!」
「聖女様」
「こちらもお願い致します、聖女様……!!」
エリはほとんど飲まず食わずで聖女の力で人々を癒やすことに尽力して、気がつくと昼の3時になってしまっていた。
「お疲れ様でございました。聖女様、あなた様のおかげでどれほどの民が救われたことでしょう……誠にありがとうございました」
ヨハネスいわく、今日は初日なのでここまでとしましょう、ということで、エリは開放された。
聖女の力を使ったことで体力はかなり使ったはずだが、高揚感であまり疲れを感じなかった。自分が多くの人びとを救ったという満足感は何事にも代えがたく、エリを誇らしい気持ちにさせたのであった。
ハロルドとの夕餉までは好きに過ごしていい、と言われている。ならば、とエリは王宮内を探検することを侍女のシャーロットに願い出た。当然ながら一人では歩かせてもらえず、侍女が案内兼護衛という役回りで傍らにつくことになった。
王宮の建築はそれは見事なもので、高い高い天井に、広々とした廊下、精緻な彫刻があちらこちらに飾られ、とても豪華だ。
しかし、エリは不思議と寂しさを覚えた。巨大な王宮はかえって圧迫感があり、城全体に活気が感じられないのだ。無人というわけではない。忙しそうに働く使用人も数人見かけた。それでも、何だか城内の雰囲気がどんよりと暗く、空は晴れているのに王宮の中だけ曇り空になっているような、そんなじわじわとして陰鬱感をエリは感じていた。
「お城には中庭もございますよ。お散歩されますか?」
シャーロットの言葉にエリはうなずく。
中庭に出てみると、みずみずしい植物が色とりどりに咲き誇っていた。ここは屋外だからか、いくらか開放感があってエリは少しほっとした。
「きれいなお庭ですね」
そう言うと、シャーロットもにこりと笑った。
中でも美しかったのは、小さな紅色の可愛らしい薔薇だ。絢爛豪華な大輪の薔薇もたくさんあったが、野に咲く花のようないじらしさが、エリには好ましく映ったのだ。
だからエリは、ごく自然に「このお花の名前はなんですか?」と尋ねた。
「この花は『スカーレット』という品種でして、ハロルド殿下がスカーレット・バイルシュミット様のために作られ……アッ」シャーロットが気まずそうに口を手で抑える。
「ハロルド様がスカーレットのために? へぇ〜! 仲がいいんですね!」
エリはただ感心して言っただけなのだが、シャーロットは顔を青くして、怯えたようにエリに頭を下げた。
「誠に申し訳ございませんでした! この花はただちに撤去させます!」
「えっ、どうしてです!? かわいい花ですから撤去なんてしないでください」
「では本日からこの薔薇の品種は『エリーゼ』に名を改めましょう!」
「なんでそんなことするんですか!?」
エリが彼女の不可解な言動が理解できず戸惑っていた、その時。
ガシャアアアアアアン!!
何かが壊れるような音と、誰かの悲鳴が廊下に響き渡った。
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