第2話 別れ


 声が聞こえた。


 

 人々の叫びが。

 民衆の怒りの声が。



 リドリー三世は椅子から立ち上がり、蒼白になってキョロキョロと周囲を見渡す。


「なんだ、なんだこの声は!」


 歓声のような意味を成さない叫びはやがて合唱になる。

 王を討て、愚王を打倒せよと。


 この部屋にいるリドリー三世の部下は蒼白になり、お互い顔を見合わせるとじりじりと後ずさりしていく。

 自分達の人数が多くない事も知っていて、先程のラザフォード国の騎士達の言葉も脳裏に木霊する。最悪の事態になる可能性を感じとると、人質に手を出すのはまずいと思った。

 王の失脚に巻き込まれるのは御免だ。その程度の忠誠心である。



 リドリー三世は自分を愚王だと思っていないので、それが自分を指しているとは気づかない頭の悪さを披露する。


「いったい、どこの王を討つというのだ」


 周囲は脱力した。こんな王に皆が苦しめられていたのかと。もう終わりにしなければダメだと。



 それを心から痛感したらしいラザフォードの騎士の一人が剣を抜いた。

 残る三人が慌てて諫めようとするが、一歩前に出て王に向けて剣先を突き付ける。


「なっ、何をするっ」

「父上。いえリドリー三世。この私の手で弑奉しいたてまつる、国民のために」

「ま、まさかアメリアか……!」


 少年騎士の一人。

 赤毛の少年は、静かに凪いだ青い海の瞳を父親に向けた。

 父などと呼びたくもないが。


 王は自分を守るはずの部下を周囲を見渡して探すが、先程まで控えていたはずなのにその姿がない。逃げたのだ。兵の家族を見張っていたはずの者達の姿もなかった。


「あ、あいつら、今までどんなに優遇してやったか。恩を忘れたか!」


 毒づく王を前に、アメリアは静かに声をかける。


「あなたは私の顔もろくに覚えてらっしゃらなかったのですね」


 じりじりと近寄る騎士服姿の元娘を見て、王は脂肪を震わせた。


 こんな男でも。


 父親らしい片鱗が何処かにあるのではないかと思っていたが、それは幻想だった。自分の事しか考えず自分しか見ていない、欲にまみれ権力にしがみつくだけの愚かな男。

 これと同じ血が流れていると思うだけでもおぞましい。


 自分が剣を振るえば、全てが終わる。ドアナの長い恐怖政治が終わるのだ。父殺しとそしられようと、この男はもう生かしておいてはダメだと思ってしまった。

 捕らえて退位を迫るのはもう、選択肢から外れる。



「それ以上近づいたら、おまえの母親と妹は死ぬぞ!」


 アメリアの足が止まる。王は椅子の傍にある紐を手に持っていた。


「そうだ、それでいい。この紐を引けば、あの牢の天井が落ちる仕組みなのだ! 近づけばあの二人はぺしゃんこだ、ふははは」


 卑怯過ぎて嫌になる。こういう所の悪知恵だけが優秀。



「アメリア、わたくしたちに構わずやっておしまい!」


 母が叫んだ。


「そうよお兄様! 私達二人がこの国で流れる最後の血になるだけよ」

「うるさい、だまれおまえたち!」


 王は震えながら叫び、紐を持つ手に力を籠める。


「アメリア、おまえが死ねば民衆は旗印を失う。お前が死ねばこの民衆の反乱が終わるんだ! この国のために死ぬべきは、おまえだ!」


 閃いたぞ、いいアイデアが! とでも言いたげに王は勝ち誇る。


「第二、第三の私が出るだけですわ」


 静かに答える。


 王は落着きをどんどん失い、民衆の声が近づく恐怖に勇気をかき集めて虚勢を張る。


「おまえさえ、いなくなれば! おまえさえ!」


 突然、轟音が室内に鳴り響いた。


 王の宝石のついた豪華な錫杖は、暗殺団から買い受けた火薬を使う仕込み銃。王は叫びながら錫杖の先をアメリアに向けて引き金を引いたのだ。



 しかし凶弾は、アメリアを撃ち抜かなかった。



 かつてカートに護身用として譲ってもらった短剣を、彼は王に向かって投げていた。短剣は肩にささり、硝煙を上げる銃口は天井を向いている。


 外すとは思っていなかった王は、「あっ」という間抜けな顔をした。


 次の瞬間にアメリアは王の目前にいて、彼は何の躊躇も、一切の迷いなくまっすぐ剣を振り下ろした。



 愚かな王が最後に見たのは、ただ冷たく凪いだ海の色。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 ドアナを恐怖で縛る愚かな王はもういない。


 人質は解放され、城門は開け放たれ、兵も民衆も抱き合って喜びを分かち合う。

 アメリアは功を誇るでもなく、静かに即位を宣言し、国を立て直し、国民と共に民衆のために生きる事をバルコニーから誓った。


 国王の傍でさかしく甘い汁を吸っていた官僚たち、逃げ出した部下は次々と居場所を密告され、牢に入れられた。


 王の贅沢による散財で枯渇しつつあった財政の再建など、やるべき事は山積みである。


 国を統べる者としての仕事を一切せずに、その立場と地位に安穏と胡坐をかいていた男の後始末は中々大変だと愚痴るアメリアの前で、アーノルドは居心地が悪そうにしていた。


――かつての自分も、規模は違えど同じだった、あの王と。


 与えられた地位を当たり前に享受して、努力もせずにいた昔の自分がとにかく恥ずかしい。

 そんな自分を変えるきっかけをくれた親友に、会いたくなった。


――体の具合はどうだろう。


 調子が良くなっているという手紙は届いているが、やはり実際会わなければ安心できない。



「ラザフォードの方々には随分とお世話になってしまった」


 改めて、正式な同盟を結びたいという旨の書簡と、アメリアの護衛で殉職した兵の家族に向けての見舞金が準備され、騎士達に託される。



「アーノルド、おまえ海を近くで見て来るんじゃなかったのか?」


 そろそろ帰国の準備をするという段階になって、隊長騎士が声をかけてきた。金髪巻き毛の少年は、しばし逡巡する。


 ずっと間近で海を見たかった。


 しかし初めて近くで海を見る感動を、一人で味わうのが勿体ないと思ってしまう。感動を分かち合って、遠い将来それを思い出話として語り合える相手と共に、最初の海を感じたいとも思うのだ。


 その相手は、カートしか思いつかない。


 彼が最初に海に触れた時、どんな顔をするかを想像するだけで心臓がどきりと跳ねて、気持ちが募る。

 

――会いたい……。



「何か、ドアナらしい土産物が欲しいですね」

「貝細工や真珠が有名よ。家族に? 彼女に?」


 アメリアが何でも用意してくれると言ったが断り、街を散策する時間をもらって露店を回る。

 王の失脚を待ち構えていた商人達が街にあふれ、とても活気があった。

 ラザフォードの王都よりも賑やかかもしれない。



 アーノルドは昨日届いた手紙で、カートが婚約した事を知った。


 カートが以前から好きだった子が相手だという。その祝いを兼ねるのもいいだろうと、雑貨類を見ていたが。


――婚約者とお揃いで持てる物がいいかな?


 と思った瞬間、胸がチクりと痛む。


「ん? なんでだ?」


 自分の方が年上なのに、先を越されたからだろうかと考える。

 

 悩みに悩みぬいた結果、アーノルドは土産としてで、貝の細工が美しい万年筆を購入した。


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