第五章 失われるものへの賛歌

第1話  救い手は


――血が止まらない。どうしよう……。


 少年は石畳に敷かれた毛布の上に横になっていて、指先を与えられたハンカチで強く押さえ続けているが、すでに重く濡れていた。

 目立つ制服は着替えさせられ、シンプルな白いシャツ姿だ。


 この部屋に入ってすぐ壁に押し付けられ、髪の一部切り取られたと思ったら、ナイフで指先を軽く傷つけられた。小さな傷だが、砂時計の砂が落ちるように、少年から命の時間を奪っていく。


 まだ先日の負傷で失った血も回復していない。町で評判の薬屋にピアが直接依頼して調合してもらってきた造血作用のある薬はとても効いたが、それでもまだ貧血気味だ。


 そして脳裏には最後に見た少女人形の痛々しい姿がこびりつく。人形だとはわかってはいるけど、カートはとても愛着を持っていたし、ピアが入っていない時はあどけない仕草で、とても可愛かった。命があるとまでは思ってはいないが、とても大切だったのだ。



 部屋の扉の奥で、複数の男の声がする。


 ドアナ国やアメリアの名前が出て緊張し、耳を澄ませるが、彼に何かあったわけではなく、前金の分は働いたからもういいのではないかというような内容。ここのところ失敗続きだから今度こそ成功させないと旅団の評判が地に落ちると反対している者もいて、口論をしているようにも思える。


 リーダー格のような存在がこの場所にいないのかもしれない。まとめる者も諫める者もいなくて、どんどん語気も荒くなりケンカが始まりそうだ。仕切る者がいなければ、ただの荒くれ者の集団なのかもしれない。

 騒ぎになれば逃げる方法が見つかるかもしれないと、少年はハンカチを捨ててシャツの裾の一部を歯で引き裂き包帯を作ると、ぐるぐると硬く傷に巻く。


 身を起こし部屋の隅々を確認して脱出の方法を模索する。


 窓は外から板が打ち付けられていて開ける事もできない。

 あちこち触れて、押してみたりするがびくともしない。やはり出るには扉から、という事になりそうだ。


 あの少女人形の使い手が何者なのか気になる。


 ピアに匹敵する魔導士という事になれば只者ではない。ある程度、名が知れていてもおかしくないが、ピアも知らないようだった。

 さすがのピアも、他国の魔導士は熟知していないだろうけど……。



――まてよ。あの人形の女の子を最初に見たのは……?


 闇賭場の屋敷。



 あそこのボスのジグという男は、魔導士ではないが魔力が多いとフィーネから聞いている。だが魔力の多い人間は他にいる可能性もある。ジグが人形の所有者だとしたら、自分達に逃げ道を教えてくれるはずもない。


 自分達を逃がしてくれたのは、屋敷の監視を依頼している男だろうとピアは言っていた。

 その人とコンタクトを取りたいと言った時、ヘイグは監視者が元旅団員で逃亡中の脱退者だからダメだと言っていたが……。



――実は脱退者ではなく、旅団員のままだとしたら?



 あの屋敷は色々な情報が集まる闇ルートの温床だ。そこにいればいくらでも情報を集められるだろう。騎士団に雇われる体裁を保つ事で、騎士団の動きも監視し、コントロールできる。


 屋敷の主ジグとその部下達は旅団と直接は無関係でも、あの屋敷自体は旅団に利用されているのだ。事実、デルトモント公爵は闇賭場での借金返済に騎士団の情報を売っていた。

 


――あの屋敷の監視者が、人形を操る魔導士!?


「そして、今も烏羽根からすばねの旅団員……」


 カートの独り言を遮るように、バタンッと扉が開け放たれる。びくりと体を震わせて少年が振り返ると、二人の男が立っていた。先ほどの話声では六人程いそうだったが、残りの四人は隣の部屋にいる気配がない。


「こんな子供に何の力があるんだ?」

「人を魅了して操る事が出来るらしいが」

「何処に運べばいいんだ?」

「いったん、国外に連れ出すらしい」



――どうしよう、遠い所に連れていかれたりしたら。



 定期的に水晶木すいしょうぼくに魔力を吸ってもらわなければ、魔法が発動してしまう。相手の意思を吸いつくして無力化は出来るだろうが、その相手が敵だけとは限らない。無理やり、誰かを見せられたりしたら。それが何処かの国の為政者だったりしたら。



 扉が開いた今が、逃げるチャンスでもある。

 この男達をなんとかできれば。



――隙を作れば僕でもなんとか……。



 カートは、あえて弱々しく床にしゃがみ込んだ。

 

「ん? 腰でも抜けたのか」

「ははは、これまた随分と繊細だな」


 男がカートの左腕を掴んで立ち上がらせようとする。

 カートは余る右手でシャツの胸元を握り締め、上目づかいの潤んだ瞳で男を見つめつつ、可愛らしく身を揉んだ。


「いやだ、触らないで、こわいっ」


 小さなかすれる声で、抗いながら言う。

 あえてそういう演技をしてみたのだが、弱々しい演技をする自分が恥ずかしく、上気して頬が染まる。


 カートが右手をシャツから離す。

 パラりとシャツの前が開き、喉元から鎖骨、胸元に向けてのラインが露わになる。透き通る白い肌、整った顔立ち、宝石のような空色の瞳。芸術作品のように滑らかで繊細な美しさに、男は生唾を呑み込んだ。


「人間の男……なんだよな……? 精霊や妖精なのか?」

「これは、性別の壁を超えてるな」


 少年に見惚れる男の腕の力が緩んだ。


 カートはするっと腕を抜き取ると、全身をバネにした渾身の力で、下から掌で男の顎を突き上げた。


「がっ」


 間髪入れずにその隣にいた男の股間を蹴り上げる。


「……っ!!」


 同じ男として申し訳ない気持ちもあったが、それが確実だったので仕方ない。

 男二人が悶絶する脇を抜けて、カートは部屋を飛び出し、すぐさま扉を閉めてカンヌキをかける。


 そして外の様子を見る間もなく飛び出した。

 馬車の準備をしていた男四人が驚いて振り返る。


「あっ子供が逃げるぞ! 捕まえろ」


 カートはどちらの方向に逃げるか一瞬迷ったが、左に向けて走り出す。

 

 血を多く失ったせいだろうか、足に力が入らない。

 柵を飛び越え、茂みをかき分け必死に逃げるが、想像以上に体が言う事を効かなくなっていた。


――ダメだ、追いつかれちゃう。


 足がもつれてよろめく。

 転んでしまうと思った瞬間、ふわっと体を片腕で掬い上げられた。

 そのまま、ひょいっと担がれる。


「あっ」


 捕まってしまったと思った。

 しかしカートを抱き上げた男の手には剣があり、その切っ先は追っ手に向けられる。


 敵の足が止まり、驚愕の叫びをあげた。


「ダ、ダグラス、おまえ! 死んだはずじゃ」


 カートは恐る恐る自分を抱き上げる男の後頭部を見る。

 男がやや振り返り、無精ひげの散ったいつか見た横顔。


「生きていたのか! その子供を独り占めしようと、立場を利用しただけに飽き足らず」

「死んだ事にして逃げていたとはな。だがおまえを処刑すれば俺らの組織での地位も上がるってものだ」


 舌なめずりしながら男達は剣を構える。

 ダグラスは旅団の中でも名の知れた存在だったのか、闇雲に切りかかって来るような事を相手もしないが。


 カートはダグラスの剣技に驚く。


 小柄で軽い少年ではあるが、人ひとりを抱えたままの戦闘をダグラスは軽々とやってのけるのだ。肩に担ぎ上げられているカートは振り落とされないように必死にしがみつく事になってしまったが。


 そして医者らしく的確な急所を知っていて、男達を次々と地に伏せていった。この程度の相手はまるで敵ではないといわんばかりの強さ。

 剣士としても優秀に思える。


――あっ。


 三人目を切り伏せたところでぐらりと眩暈。

 出血のせいか力が抜け、ダグラスにしがみついていた手が握力を失う。


 同時にダグラスは戦闘を辞めた。


 残った男が逃げて行くが、追わない。明らかにカートをおもんばかってだった。


 ダグラスは少年をいったん木の根元に下すと、指の先に巻かれた布を解く。白いシャツの切れ端は赤い塊になっていた。


 ダグラスは治癒魔法が使え、留学経験もある優秀で貴重な医者だと、彼が医務室に配属になったときに皆が期待して噂していたことをカートは思い出す。


 ピアと違って詠唱が必要になるが、少年の指先の傷は光の中で癒えていく。低い声の詠唱は語り掛けるように優しくて、少年の心臓をどきりとさせた。傷が消えた事を確認すると、男は安堵の息を吐く。


「自力で逃げ出して来るとは思わなかった。よく頑張ったな、偉いぞ」


 ダグラスが微笑みながらピアと同じようにカートの金茶の髪をくしゃりと撫でたので、少年は気持ちよさそうに目を細める。まるで父親に褒められたような気分になった。


「あなたは、こんな事もできるのにどうして暗殺団に?」

「自分が優秀だと思ったからだ」


 優秀な自分に相応しい対価と評価が欲しかった。


 得られる対価が大きければ大きいほど、自分は優秀だと再確認できたから。破格の報酬は普通の町医者では得られない。


 国を捨てて親友と別れてまで進んだ道が、間違っていなかったという実感を得るには、優秀だと自分自身が信じられる理由が欲しかった。


 そうでなければ、飛び出した事に理由がつけられなかったから。


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