第2話 少年の新たな危機


 カートは横抱きされたまま、馬に乗るダグラスの腕の中に素直に身を任せていた。抗う体力もなく、少なくとも今の彼は味方である。

 あんな立ち回りをした後だというのに凪いだような感情が伝わってきて、少年の心も徐々に落ち着きを取り戻して来た。


「体調はどうだ」

「大丈夫です」


 そっけない返事をし過ぎたかなと思い、カートは顔を上げてダグラスを見る。少し無精ひげの散った顎、その髭にもちらほらと白いものが混じり、頬は以前よりこけていた。


「どうして、助けに来てくれたんですか」

「俺が君を助けるのはおかしい事だろうか?」


 前を見ていた顔が下を向き、二人の目が合う。眼鏡の下の目に、これといって特別な感情は見えない。


「……わからないです」

「そうか。それでいい」


 目線が外れダグラスは再び前を見据えた。感情は読めないが、カートの返答になんとも思っていないというような感動の薄い口調でもあった。


 揺れる馬の振動と危機が去った安堵感、暖かな温もりに包まれてカートはウトウトとし始め、ダグラスは少年の体重が完全に自分に預けられた事に気付いて、やっと感情を出す。


「本当に君は、かわいらしいな」


 愛おしさを籠めて、やりきれない思いを少年に刻みつけるがごとく、カートの体をきつく抱きしめた。少年はそんなダグラスに縋るように、ぎゅっとシャツを握り返す。


そのまま馬はゆっくりと歩を進める。

この時間を味わい尽くし、大切にするように。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「カート君」

「……は、はい」

「ついたぞ」


 カートは、知らず知らずにしがみついていたダグラスの体から慌てて離れると、キョロキョロと周囲を見渡す。


「ピアさん!」


 門扉の灯火の下に見知った青年の姿を認めてカートは顔を輝かせるが、肝心のピアは腕を組み苦虫をかみつぶしたような顔。

 場所は宮廷魔導士の屋敷ではなく、かつて二人で暮らした庭のある小さな家だ。


「お疲れ様、というべきであろうか」

「無事であった事を祝って欲しいかな」


 不敵に笑いながら馬を降りたダグラスは、手を差し出してカートにも下りるように促す。少年はその手を無視して自分で馬から降りようとしたがふらついて落ちかけ、結果的にダグラスに抱き止められる形になってしまった。


「変な意地は張らない方がいい」

「意地なんて……」


 赤面してしまったが丁寧に地面に下されると、少年は間髪いれずにピアに駆け寄って抱き着いた。


「ピアさん……!」

「カート……」


 ピアはカートを抱きしめ返し、髪を何度も撫でた。しばしそうしていたが、ダグラスに目線を戻す。


「で、何を要求するつもりだ」

「ここで立ち話もなんだろう? 俺もさすがに疲れた」


 そうは言いながらも、疲れた顔は一切していない。

 ピアは眉をしかめたが、少年の肩を抱くようにして無言で玄関に向かうと、ダグラスもその後に続く。




 ソファーに深く腰掛けたダグラス、その前にピアが座り込み、カートはその傍らに。突貫で修理された少女人形が、ぴょこぴょこと跳ねるように動いてお茶を淹れている。

 そんなストロベリーブロンドの少女を見てダグラスは笑う。


「まさかこの小娘が人形だったとはな。あの時、直接操作していたのはおまえだったか」

「そうだ」


 少女人形が三人の前に、小さな女の子のままごとのような動きでお茶のカップを置き、続けてピアの右隣に座るとゼンマイが切れた玩具のように目を閉じて動かなくなった。


「で、何が望みだ」

「俺はもう旅団には、カート君を独り占めしようとした事ですでに裏切り者として認知されている。今回のことで生きているのもバレてしまった。この後は追っ手から逃げまわる毎日になるだろうな」


「元を辿れば自業自得だ。知った事か」


 年若い青年に粗雑に言い返されて、ダグラスは笑いながら出された紅茶に口をつける。


「毒は入ってないようだな」

「おまえじゃあるまいし」


 ピアも続けてカップに手を伸ばすと、ずずっと音を立ててすすった。


「あちっ」


 慌ててカップを卓上に戻すが、カートが心配そうにピアを見上げた。目が合ったピアは気恥ずかしそうに顔を逸らす。

 そのやり取りをダグラスは羨まし気に見つめながら、口を再度開く。


「遠いところに行こうと思う」

「逃亡資金か?」


 ダグラスは思わせぶりな視線をカートに送った。

 目線がかち合って少年はピクリと反応する。

 息を吸ってから男は要求の言葉を紡いだ。


「彼との一夜の思い出を」

「はぁ?」


 大声をあげるピア。

 カートはピアの袖をぎゅっと反射的に握った。


「連れ帰らずにそのまま何処かで思いを遂げても良かったのだが、何せ未成年だからな。保護者の許可を取っておこうかな、と」


 くっくっと、楽し気な笑いが男の口から洩れる。

 カートは蒼白になって焦ったが、ピアは考えに沈む。


「むぅ……」

「ピアさん、そこ悩むところですか?」


「カートの気持ち次第だ。少年が嫌がる事をしないのなら」

「決まったな」


「ちょっとピアさん……」


 ピアはカートに向き直ると真剣なまなざしで少年を見る。


「不本意だが、ボクではおまえを助けられなかった。こいつがカートの命の恩人であることは間違いない。犯罪者との約束だからとぶっちぎれる程、倫理観も壊れてないんだ。少年から見てどうなんだ? 助けられたのはお前だからな。その返礼の手段もカートが考えるべきだ」


 そう言われてカートはしばし思いを巡らせる。確かに彼が来てくれなければ、到底逃げ切れたとは思えない。傷だってそのままにされてしまっただろう。

 改めて考える。ダグラスが自分に求めている物は何なのか。


 単純に肉体的な関係を望むだけなら、彼の言う通りここに帰らずに自分のねぐらにでも連れ込めばカートの腕力では抵抗できなかった。ここに連れ帰ってくれたのだから、そのような事を無理強いはしないと思える。


「お話だけなら……?」


 ダグラスはニヤリと笑い、ピアは「やはりそうなるか」と溜息をつく。


「せっかくだし二人きりがいいな。保護者の見ている場所でのおしゃべりは気を使う」

「えっと、僕の部屋はこっちです」


 少年は立ち上がると自室に向かうべく階段に足を向け、ダグラスもそれに続いたが、男はピアを振り返り目配せをする。


 階段を登りきり少年の部屋の扉が閉められた音を聞き終え、二人を見送っていたピアが目線を前に戻すと、ダグラスの使っていたカップの下に紙がはさみこまれていた。


 いぶかし気にそれを取り、中を読むピアから表情が消えた。


「あの野郎……」


 グシャリとその紙を握りつぶし、顎に手をやるいつもの考え事の癖を見せ、苦悩するように眉根を寄せると、その後は時が過ぎるまでひたすら耐える。

 少年の部屋でこれから何が起ころうと、カートがダグラスに何をされようと、自分はここで待つしかないのだ。


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