第3話 思い出*


 カートは部屋に入ると、枕元のランプに火をともす。オレンジ色の温かな光が部屋に満ち、なんとなくムードのある雰囲気になり慌ててしまうが、真っ暗は更にダメな気がして。


 そしてこの部屋には椅子はなく、ベッドしかない。嫌な予感しかせず、カートは後悔を深め立ち尽くしたが、固まった少年の腰にダグラスは手を添えてベッドに向かわせる。


 ぺらりと毛布をめくり上げベッドの端にカートを座らせると、続けてカートの靴を脱がし、戸惑うまま何もできずにいるカートの両肩に手が添えられ、とさっと体を横たえさせられる。狼狽えている僅かな時間の出来事で、少年は抵抗のタイミングを失っていた。その隣にダグラスは滑り込み、腕をカートの頭の下に差し入れる。


「あの雨の日以来だな」


 カートは、ずぶぬれになった一夜の出来事を思い出す。あの日も彼は、こうしてくれていた。

 冷え切っていた体を温めてもらっていなければ、もしかしたらあの時、自分は死んでいたかもしれないと今ならわかる。

 今夜も夜露に濡れて体が冷えていたことに、ダグラスの体温がしみて気づいた。


「さて、何の話からするかな」


 そう言われて、少年は目を見開いた。


「何を驚く、話をすると決めたのは君だろう? それとも別の事を期待していたのか?」

「期待なんて……」


 少年は別の想像を働かせていたことが急に恥ずかしくなり、頬を上気させてしまったが、ダグラスはそれを見て面白そうに笑う。


「そんな風に顔を赤らめられると、違う気分になって来るな」

「ふざけないでください」

「そうだな、真面目に昔話でもしてみるか」


 そう言うと、ダグラスは懐かしそうに天井を見上げ、語り始める。


「学校に入ったばかりの事だったろうか。俺はこんな性格だから、なかなか友人も出来なくて」


 ある日、学校の裏で複数の少年に囲まれて虐められている一人を見かけた。貴族の子弟らは、退屈な毎日の刺激欲しさに、自分より弱い者を見ると気軽にいじめに走る最低な奴らが多かった。別に正義感でもなく、ただそいつらが気に食わなくてケンカを売り、多数相手に無謀だったからボコボコにされた。

 だがそれで貴族の少年たちはスッキリしたのか、虐めをやめて立ち去ったのだ。


 地面で大の字になる自分を覗き込む心配そうな顔。涙目で「大丈夫?」と何度も問いかけてきて、その都度頷いてみせても「本当に大丈夫?」としつこかった。


「あいつら最低だな、女の子をいじめていたのか」

「俺、女じゃないよ……?」


 ダグラスは思わず痛みを無視して体を跳ね上げた。


 目の前にいる少年は、もじもじと涙目。アイスブルーの瞳、サラサラの長い金髪、少し高い声に低い身長。どう見ても女の子にしか見えなかった。しかし制服は間違いなく男子のもの。

 弱々しく見えた彼は商売に成功した富豪の家の生まれだったが下級貴族で、恰好の虐めのターゲットになっていたのだった。


「驚いたな」

「俺、ヴィットリオ。助けてくれてありがとう」

「ダグラスだ」


 それが二人の出会いだった。



 出会い話を聞いたカートは驚いた顔をしていて、ダグラスは指の背で少年の頬を撫でる。


「おまえは母親似だと思われているようだが、俺からしてみれば父親似だな。口元なんかはそっくりだ。髪や瞳の色は母親譲りなんだろうが。ヴィットリオが顎髭をたくわえていたのは、少しでも男らしく見せるためだ。あいつは中々の女顔だった」


 その後もダグラスは、ヴィットリオと過ごした日々の出来事をカートに語る。一緒にやった悪戯、無断外泊しての冒険、隣の国まで足を延ばして海も一緒に見て来た。親の目を盗んで高い酒を飲んだり、街で可愛い女の子に声をかけてまわったりもした。その時の成功談や失敗談が面白おかしく伝えられる。


 気付けば若き日の父親の話に、カートは夢中で耳を傾けていた。


 本来ならこういう武勇伝的な話は父親自身の口から語られるものであろうが、ヴィットリオはもういない。ダグラスが代わりにその役目を果たそうとしてくれている事に気が付いて、カートの中の警戒心は解けていく。


 もっと話を聞かせてとせがむようになった少年を見て、ダグラスは優しく微笑む。


「ヴィットリオは二十歳を過ぎたあたりから熱を出したりはしなくなったから、カート君もそれぐらいの年頃になれば丈夫になるだろうな。身長も、あいつは十八ぐらいまで伸び続けたし」


 大人になるまで生きられないと知りながらも、その話が嬉しかった。


「本当ですか? よかった僕、背が低い事としょっちゅう寝込むのが恥ずかしかったんです。お父さんみたいに髭を伸ばせば、もっと男らしく見えるのかな……?」

「ははっ、髭は辞めた方がいい。ヴィットリオだって似合ってはいなかっただろう?」


 そう言われてカートは笑う。くすくすと楽し気に、ダグラスの腕の中で体を揺らして。それがとてつもなく愛おしく、男の胸を締め付ける。


「カート君……」


 ダグラスは体を起こすと、カートの顔の両横に手を置く。

 かつての医務室の出来事を少年は思い出したが、じっと青い瞳はダグラスを見つめ返した。


「俺は、ヴィットリオが好きだった。今だから言えるというか、死ぬ間際になってから気づいたのだが、心から愛していたと思う」

「半身だと思うほどに?」

「……ああ……」


 カートの心に様々な想いが去来する。目の前のこの男は、叶う事のない恋心に今なお縛られていて。


 危険を承知で王都に留まったのは、ヴィットリオの墓から離れたくなかったのだろうと、いじらしくも思えて来る。


 そして彼の趣味も、それがきっかけなのだ。気づかずにいた父の罪深さも感じてしまう。

 父以外をいくら愛でても、満たされる事などなかっただろうに、恋した頃の彼の面影を求め続けて。「これはただの趣味で、楽しみのためだ」と自分を騙しながら探し続けていたのだ、心を満たすものを。


 切なさと哀しみと深い愛に満ちた目の前の男の想いをカートは肌で感じ、芽生えた信頼感と親愛の情に背中を押され、勇気を出して言葉を紡ぎ出す。


「僕、父の代わりになれますか?」


 そう言われ、ダグラスは目を見開く。がちがちに緊張していたかつての少年は、今は緩み切って男を見つめている。


「あなたがこれから、父の友人として恥じないように生きてくれるなら、僕も頑張って……みます」

「本当に君は優しいな。ヴィットリオの代わりに、俺の愛を受け入れてくれるというのか」

「……はい」

「それがどういう事なのか、君はわかって言ってるのか?」

「僕ももう、小さな子供じゃないので」


 怖くないと言えば嘘になる。でも生きられてもあと数年だと思うと、自分が出来る事があるなら全てやり尽くしておきたかった。


 この国を離れるというダグラスの、思い出になれるなら。


 少し瞳に緊張の色が戻るが逸らされる事なく、青空はまっすぐにダグラスに向かう。


「僕……本当の名前は、カーティスっていうんです」

「それは、初耳だな」

「本当のお母さんだけが呼んだ名前です」

「教えてくれるという事は、俺にもそう呼ぶ権利をくれるという事かな?」


 少年は頷くと目を閉じて、震えながらも自らのシャツのボタンに手をかけて外そうとしたので、ダグラスは手を添えてそれを止める。


「カーティス……」

「ダグ……」


 ダグラスは、カートを本名で呼んだ。

 カートは、ダグラスを愛称で呼んだ。


 二人の心の距離は失われ、唇が触れあった。


 男は少年が怖がらないよう、嫌がったらすぐに止められるよう、ついばむような軽い口付けでゆっくりと反応と気持ちを確かめながら、繊細な腕の中の宝物を丁重に扱う。


 ヴィットリオはヴィットリオ、カートはカートであって、二人は別々の存在。代わりになる事はない。


 それでも、受け入れてもらえるのがダグラスは嬉しかった。確かに心は満ちたのだ。

 そしてこのように、自らを簡単に差し出して犠牲にしてしまう少年の性格と姿勢が、男の決意をゆるぎない物に変えた。


――君は優しすぎる。優しすぎるんだ……。


 軽い口づけは少しずつ深みを増すが、少年はそれへの応え方がわからず戸惑い続ける。

 翻弄されるままに、喉に向かう突然の異物感を体の反射で飲み込んだ。


「ん……んくっ?」


 ぱっと目を見開くと、顔を離したダグラスの微笑み。

 慈愛に満ちた、優しい笑顔。


――今のなに……?


 少年がそう問おうと思った直後に思考は途切れ、瞼はゆっくりと勝手に閉じていき、意識は深い眠りの底へ。


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