第4話 別れ道の終着点


 もし少年が助けを求めるようなら駆けつけるつもりで、ピアは耳を澄ませていたが、不自然なほど家の中は静寂に包まれていた。

 それもまた不安を煽る。


 ギシッという板の軋む音。


 ぱっと向けた目線の先に、毛布で眠る少年を包み込み、大切そうに抱いた男が降りて来ていた。

 カートは毛布にくるまったままソファーに横たえられる。


「どこまでやったんだ?」

「それを聞くのか?」

「気になるじゃないか」


 憮然としているピアが面白くて、ダグラスは口角を上げる。


「薬を飲ませるために、口づけを少々。それだけだ」

「本当に?」

「まさかカート君が、俺を受け入れようとしてくれるとは思わなくて危なかったが、それ以上の素敵な贈り物をもらってしまったからな」


「贈り物?」

「秘密だ」


 そう答えられて追及もできず、ピアはカートの寝顔を見る。


 人の心の機微に敏感な少年が受け入れる姿勢を見せたという事は、ダグラスとカートには何かの絆が生じたのだ。

 それに対し形容しがたい悔しい気持ちが沸いて来た。カートが頼るのは自分だけであって欲しいという独占欲がじわっと胸を支配しそうになるが、それをなんとか追い払うとピアはダグラスに向き直る。


「おまえ、本当に?」

「死にぞこないの使い道としては優秀な案だろ? 中途半端に生き続けるのも中々疲れるものだしな」

「だからと言って」


「カート君を一番幸せにできるのが俺だと知っての嫉妬か」

「何を言ってるんだ、馬鹿か」


「俺がカート君の中の魔法をあの世にもって行く役目をしよう。それぐらいの手土産がなければ、ヴィットリオは俺を許してはくれまい」


 くっくっと押し殺したように笑う。


 親友の息子の重荷の鍵を開けてしまった罪悪感が、この男の選択肢を決定したようにピアは思う。

 このまま王都に隠れ住み、カートの成長を見守る事も選択肢のひとつだったのだろうが、抜けたはずの暗殺団に目を付けられては、王都には最早留まる事も難しい。魔法を体に宿す限り、カートの命が長くない事もあのレポートを読んで知ったのだろう。

 この男にとってカートのために何かできるのは、今夜が最後のチャンスであることも、ピアには理解できる。


 今まで多数の命を屠ったであろう、医者にあるまじき暗殺者。


 それでも。


「カートの代わりに、おまえが死ぬというのか」

「君の実力があれば、カート君の瞳の力を他の魂に結び付け直す事が可能なはずだ」

「可能だ。だが対象が魔力のある人間であることは条件になるぞ」


 そう言ってピアはハッと気づく。ダグラスは治癒魔法が使える。

 ニヤリと眼鏡の男は笑う。


「おまえが殺しそこなったんだ。今度はしっかりトドメをさせ」


 親指を胸に向け、ここをきちんと狙えよと、無言で指示する。


 鋭く強い目線は眼鏡越しでも有無を言わさない迫力で、金色の瞳も見返すが、死を覚悟した強い気持ちには押し負けるしかなかった。


「要望があるなら聞いておこう」

「そうだな、墓は……泉の公園の傍がいい」


 そこは、ヴィットリオの眠る墓地である。


「カート君には、ダグラスは国外に逃げたと言ってくれ」

「承知した。だがカートは聡いぞ、絶対に気付く」

「それでも、どこかで生きているのではないかと思えるのがいいだろう? 現に俺は死んだように見せかけて生きていたわけだし」


 自分の身代わりになって誰かが死ぬ。

 それを知って平常心でいられる少年ではない。


 例え相手が誰であろうとも。


 もし死ななければならない一人が必要なら、自分が手を挙げるような子だから、ずっと罪の意識に苛まれるのは想像に難くない。絆が生まれたこの男を犠牲にしたと知ったら特に。


 沈黙の中、カートが身じろぎをする。小さな子供ように口元に握った手を寄せて、むにゃむにゃとした仕草を見せたから、少年を見下ろしていた二人の男を和ませる。


「薬はどれくらい効いているんだ?」

「二日は起きないな」

「そんなにか?」

「多少の時間が後片付けに必要だろうからな。だからと言ってあんまりのんびりするのはやめよう、決心が鈍る。できればもうやって欲しい。もっと傍にいたいという欲が俺に出る前に」

「……わかった」


 ピアはダグラスを促してソファーに座らせると、そのままカートを横抱きにさせ、少女人形に命じて必要な儀式の道具類を手早くそろえ終えると、二人の前に立つ。

 ダグラスはピアを見上げる。二人は視線を交わし合うが、そこに一つの目的を目指す協力者として友情めいたものが芽生えていた。


「血縁ではないおまえの魂に瞳の魔法が留まっていられるのは短時間だ。移し終えたら即、死出の旅に出てもらわねばならない」


 ダグラスはその言葉に、最後の別れを済ませて欲しいというピアの意図を感じ取ると、眼鏡を外して机に置き、もう一度眠る少年の顔を見て、ぎゅっと力強く抱きしめる。華奢な細い体から伝わる体温。


 可愛らしいと思った。

 顔立ちも仕草も。

 ヴィットリオと似ていたけどやはり違っていて。


 愛おしいという気持ちもあるが、今はどちらかというと父親のような気持ちなのだと思う。彼の成長を見届けたくなっていたから。


 こんな激動の日の一夜ではなく、何処かの森に出かけて一緒に釣りでもし、焚火の傍で野宿をして父親の話をしてやればよかったとも。しかしそんな悠長な時間もなかった。心残りとしてはそれぐらいである。


 男は再び顔を上げてピアを見る。


「失敗するなよ、天才魔導士」

「するものか」


 多くを語りはしないが、その言葉に「おまえの死を無駄にしてたまるか」という思いが乗っているのを感じ、男は微笑を浮かべた。

 少年にはまだまだ支えが必要だ。年若いピアは頼りなく見える部分もあるが、兄弟のように肩を並べて成長する存在も悪くないだろうとダグラスは思った。道を踏み外した自分よりは相応しいだろうという、自嘲の想いもある。


「カート君のこれからを頼む」

「言われなくてもそのつもりだ」


 しばしの沈黙のあと、ダグラスは小さく頷く。


 その姿を見て苦痛に耐えるように金色の目を細めた魔導士は、本を手に持つと歌うように呪文を唱える。

 ダグラスは目を閉じて、心地の良い音に耳を傾けた。

 少年の魂に絡まった魔法の糸を解き、別の魂に結び付ける作業。


 難しく、集中力と精神力のいる作業を淡々と、確実にこなす魔導士の頼りがいある姿に、ダグラスは僅かの不安も後悔もない。

 

 腕の中の温もり、親友の忘れ形見。


 愛する、少年。

 愛しているからこそ。


――君の最大の重荷は俺が引き受けるよ、カーティス。



 少女人形の手から短剣を受け取ったピアは、呪文の完成と共に躊躇なく、儀式を締める刃をダグラスの胸に突き立てた。

 人形と違って本体は、魔導士とはいえ男だ。短剣は根元まで深々と彼を貫ぬく。貫いたまま、ピアはしばしの時間そのままで。

 うめき声ひとつなく、ダグラスはカートに宿っていた瞳の魔法を抱えて安らかに旅立つ。


 魔法の気配が完全に消えた事を確認すると、ピアは大きく息を吐いて、ダグラスを貫いた短剣から手を離した。

 男は毛布を寄せ、万が一にでもカートが返り血を浴びたりしないように、少年に最後の最後まで気遣いを見せていて。


「ボクの負けだ、ダグラス」


 ピアがカートの顔に寄せられた毛布に手をかけて少し避けると、少年の瞼の隙間から涙があふれ、零れ落ちる。


「ほら、聡すぎてもう気付いてるじゃないか……」


 ピアはダグラスの力なき腕をほどいて少年を抱き上げると、赤ん坊をあやすように少し体を揺らす。


「頼むから今は眠っていてくれ。願わくば、悪い夢を見ていただけと思ってくれるとありがたいのだが」


 反対側のソファーに少年を下ろすと、座った状態のダグラスの体も横たえさせ、両手を胸の上で組ませてからゆっくりと短剣を抜き取ると鮮血が彼の胸元から溢れ、黒いシャツを更に重い色に染める。


 ピアは眠るような安らかな男の顔をしばし見つめ、その間ずっと複雑な想いが胸中に蠢いてはいたが、溜息をついて追い出すと淡々と後片付けを始めた。


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