第5話 心を何で埋めていくか*
二日は眠るという薬。
カートが目覚めたのは三日後だった。
「カート?」
金色の瞳の少女が、目をうっすらとあけた少年の顔を覗き込む。
ずっと会いたかったカートの太陽。
「フィーネ……」
「良かった~、なかなか起きないから」
「僕、そんなに寝ていたの?」
「うん。救出に成功したって聞いた日から、えーと三日」
「三日も……」
ダグラスに飲まされた何かは、眠り薬だったのだろうか。何故そんなものを? と思いながら部屋の周囲を見る。
ここは宮廷魔導士の豪奢な屋敷で、カートに割り振られたそれなりの広さのある部屋。
以前の小さな家ではなかった。
カートの最後の記憶ではあの場所だったはず。
何処か深く傷ついていたダグラスを、自分が癒してあげられるならと身を捧げる決心をして、それから……?
「何があったのか、フィーネは知ってる?」
「ううん聞いてない」
フィーネは瞳を潤ませる。
彼女はカートに早く起きてもらいたく、絵本によくある「眠ったままのお姫様は、王子様の愛のキスで目覚める」というくだりを覚えていて、十数回チャレンジしていたが、それは秘密。
ありとあらゆる怪しげなおまじないも実行済で、そのうちひとつのせいで彼が一日余分に寝る羽目になったのだが、それも秘密だ。
なおピアにはバレて、ゴツンとやられた頭頂部にはコブが出来ている。
「すごく心配したの」
「ごめんねフィーネ」
カートはゆっくりと体を起こす。体を横たえていた時間が長かったせいか、軽く貧血のようになるが、目を閉じて落ち着くまで待つ。
「ピアさんは?」
「あ、そうだ。兄様にカートが起きたらすぐに知らせるように言われてるんだった。呼んで来るね、まだベッドから出ちゃだめだよ」
「うん」
にこりと微笑んでみせると、フィーネも元気な笑顔を返す。
パタパタと走って部屋を出て行く太陽のような女の子を見送ると、静かになった部屋でカートは胸にぽっかりと開いた喪失感がある事に気付く。
そっと胸に手を当ててみるが、この空虚な感じの意味がわからない。
少しの時間を置いて、ピアが部屋に入って来た。すごく久ぶりのように思えて、懐かしい気持ちに。
「ピアさん」
「具合はどうだ?」
「少し頭痛があるだけです。あの……僕……」
急に、自分がダグラスに身を任せてしまったかもしれないと気付き、恥ずかしくなる。意識が途切れた後の記憶はない。
口ごもった少年に、ピアは何かを察する。
「また男にキスされたんだって?」
「あ、はい」
「上書きしとくか?」
「前回失敗したじゃないですか」
苦笑しながらこたえる少年を横目に、ピアはベッドの縁に座った。
「ダグラスだが」
「あ、そうです、彼は今何処に?」
「北に行くと聞いている」
「北?」
「今頃はもう国境を超えてるだろう。暗殺者集団の追尾はなかなかキツイらしいから、うまく逃げていればいいのだが。まああいつがボクに真実を言ってない可能性もあるがな。案外裏をかいて南かも知れん」
フッと遠い目をして笑みを浮かべるのを見て、少年は首を傾げる。
「僕が寝てる間に、仲良くなったんですか?」
そう言われてピアは、驚いた猫の顔をする。
「何でそう思うんだ」
「なんだか、信頼してるのかなって」
「まあ、おまえを助けてもらったしな」
「僕、そのお礼をちゃんとまだ言えてないんです」
「ほとぼりが冷めたらまた戻ってくるんじゃないのかあいつは」
「そうでしょうか」
何故だろうか、その言葉を聞いてもカートの胸の喪失感は全く埋まらない。少年の表情が曇った事に、ピアは少し慌てる素振りを見せた。
「とにかく! 暗殺団の残党狩りもあるし、ヘイグからお前には早く復帰して欲しいと言われている。余計な事を考えずに、今は普通の生活に戻れるようにしろ。熱なんか出すなよ」
「はい」
ふんわりとした笑顔を返してくる少年の瞳の青空は、曇ったまま。
「やっぱり、上書きしとくか?」
「え? あっ、ん……っ」
ピアは急に立ち上がり、ぱっとカートを押し倒して唇を塞いだ。
そこにフィーネがカートの食事を持って部屋に来て、この衝撃的な場面を見てしまった。
ガシャンと大きな音を立てて食器が割れる。
「ちょっ! 兄様、何やってるのっ!?」
「ん? ちょっとした実験だ」
あわあわしてるフィーネは落とした食器をまたいで、カートからピアを押しのけるようにして引き離し、胸元をぼこすか殴りまくった。
「カートに何てことするのよっ」
ピアがたまらず数歩後ずさると、がるるるという威嚇の声が聞こえそうな様子で、両手を広げてフィーネは通せんぼをする。
そのやり取りを少年は見て、くすくす笑う。
ピアはお手上げという仕草をして、散った皿の大き目の欠片をいくつか拾い上げると、部屋から出て行った。
「もう、兄様は本当に悪ふざけが過ぎる!」
ぷんすか怒ってる少女の背中を少年は、じっと見つめる。
「フィーネ」
「ん? なあに」
「フィーネはしてくれないの?」
「えっ!?」
カートはベッドに体を横たえたまま、青い瞳をフィーネに向けている。
「あたしと?」
「うん」
フィーネはキョロキョロと周囲を見て誰もいない事を確認すると、しずしずと枕元に近づく。
心臓が口から飛び出しそうなぐらい、どっくんどっくんと音を立てている感じがして、顔も真っ赤。
こっそり何度もキスをして、練習はばっちりのはずだったけどいざ相手に誘われると、如何ともしがたい。
とてもじゃないが意識し過ぎて、出来る気がしなかった。
カートはよいしょと再び体を起こす。
「フィーネ、もう少しこっちに来て」
「あ、うん」
枕元に座るようにフィーネはカートの傍に寄る。
少年は少女の手をそっと取って、きゅっと握る。
カートの手が酷く冷たい事に、少女は気づいた。
「カート?」
フィーネの唇にカートの唇が触れる。
目を閉じて少女はそれを受け止めたが、唇も冷たかった。
くたりと少年は体を崩し、ベッドに沈み込む。
「カート大丈夫?」
「ごめん、僕どうかしてた」
両腕で目を覆うようにして、何かに耐えるような仕草。
今度はちゃんとフィーネからしてみようかと思ったところ、ピアからの知らせを聞いたのか彼女が落としてしまった食事の代わりを持ち、侍女がやってきてしまった。
侍女が続けて床の掃除をはじめたので、そういう雰囲気ではなくなってしまい、フィーネはカートに用意されたスープを飲ませて、とにかく落ち着かせる方に専念する事にする。
――なんだろう。カートがひどく傷ついている気がする。
傷ついた心が血を噴いて、貧血を起こしているようにフィーネには思えてしまった。
――あたしがいるよ、カート。
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