第7話 黒い少女


 アメリアは戦いに向けて旅立った。


 彼からたくさんの含蓄のある言葉をもらったカートは、それを幾度となく反芻する。



 短所も使いこなせば長所。

 欠点も利点になる事がある。



 自分の身に宿る魔法は鎖のように縛る死神の呪いだが、それを持った事、そして傍には実力ある魔導士がいるという運命。最終的に、自分の魂で運び出す決意をしている。


 だからそれまでの間、少しでも自分に出来る事はたくさんこなしておきたいと思う。

 ピアには特に、たくさんの恩返しをしたかった。




 烏羽根からすばねの旅団の暗殺対象であるアメリアが城を出た事で、兵も騎士も安堵していた。あの緊張感はやはり誰にとっても大変だったのだ。

 

 城内を歩くカートの横を、ストロベリーブロンドの少女人形がぴょこぴょことついて来る。


 ピアはカートの望み通り、再び魔法書を繰り始めていた。

 だが少年の傍についていてやりたいとも思ってしまい、人形を傍に控えさせる事にしたのだ。



 フィーネに出した手紙には、即返事があって「すぐ帰る!」という走り書きのメモが届いた。恐らく手紙の返事を出した直後に、貴族の屋敷を飛び出している。彼女は全く心変わりをしていなかった。


 カートはそれも嬉しい。


 フィーネにもうすぐ会えると、少年は心を弾ませる。



 この日の業務の残りは、最後の見回りをして団長に報告をすれば終わりだ。夕暮れの城壁を一周まわって、異常がない事を確認すると、手に持った日誌に印をつける。あとは隊長騎士にサインをもらって団長に提出するだけ。


 少年は気が緩んでいた。

 そしてヘイグとピアも、迂闊にも忘れていた。


 カート自身を、暗殺団が狙う可能性がある事を。


 カートの瞳の力はどんな権力者も犯罪者も純粋に欲する物。アメリア出国というタイミングで油断しているこの好機を、彼らが見逃すはずがなかったのだ。


 城壁を降りる階段に向けて歩く少年の前に、すとんと軽い音を立てて黒い影が舞い降りる。

 反射的に日誌を捨てて剣に手をかけようとしたが、袖が邪魔をして柄を掴み損ねた。


「あっ」


 左手で鞘ごと掴んで掲げ、最初の攻撃をかわす。カンッという高い音がした。


 カートを護るように命令されている傍らにいた少女人形が、背面の二本の短剣を抜いて黒い影に向かい、踊る三つ編みがカートの前に。


 黒い影は少女。

 黒い、少女人形。


 相対する二体は互角の剣戟を交わす。


 火花が散って、二人の少女はまるで踊り戯れているかのようにさえ見える。どちらも防御を無視しているから、軽いかすり傷をお互いにどんどん刻んでいく。


 カートは改めて剣を抜きなおし、必死に援護のタイミングを見計らう。素早い二人の応酬に、どのように手を出すか考えあぐねている少年の後ろから、大きな手がすっと伸びて、少年の口を抑え体を抱え込んだ。


「ふぐっ」


 手が滑り剣が落ちる。

 ピアの少女人形がこちらを振り向いた。

 その隙を黒い少女が見逃すはずもなく、ピアの少女人形は右腕を付け根から切り落とされる。


「!?」


 左にまだ持つ短剣を振るい牽制するが、片腕を失ってバランスが取れず、大きく体勢を崩した。

 黒い少女人形は、パーツを切り落とした程度の損傷はすぐに修理が効くと知っているようで、倒れ込むストロベリーブロンドの少女の背中を、思いっきり踏みつぶす。


 メキリッ。


 何かが大きくひび割れる音。

 何度も何度も繰り返し踏みつけられる。

 それでも少女人形は反抗の意思を失わず、なんとかカートを助けようと抗っている。


 カートは必死に身を揉む。


――お願いもうやめて! 壊れちゃう!


 必死に叫ぶが、ふぐふぐといった声が漏れだすだけだ。

 少女人形が動かなくなった時、カートも何かの刺激臭をかがされて意識を混濁させた。


――ピア……さ、ん……。


 男はぐったりとした少年を荷物のように担ぎ上げて歩き出し、黒い少女人形はトコトコと歩み寄って男の後に続いた。


 男の、淡くて細い金髪が風になびく。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ピアは壊れた少女人形の修理を何処から手を付けたらいいかわからず、膝の上に置いてひたすら撫でてていた。


 その対面のソファーにヘイグは座り、文字通り頭を抱えている。


 二人の前のテーブルの上には封筒があり、そこからは赤黒い血のついたひとつかみの金茶の髪が覗いていた。


 カートが攫われた事を知ったヘイグは、壊れた人形の元に残されたメモにあった「追っ手をかけるなら少年の命はない」という言葉を無視し、捜索の部隊を編成して出立させようとした。カートの力が目的なら、手を出す事はないと踏んだからだ。


 続けて届いた手紙が、これだ。


『おまえたちの動きは監視している。あると便利だがなくても困りはしない力だ。少年を殺しはしないだろうと高を括るならそれは間違いだ』


 金茶の髪についた酸化して黒くなりつつはあるが、固まる気配のない血は今のカートの物で間違いない。

 そしてこの血を流す程度に、少年は負傷している。旅団はカートの今の状態を知らないだろうし、治癒魔法で治してくれるとも思えない。



 時間との戦いなのに騎士団は動く事ができず、ピアも頼みの少女人形を失ってしまった。八方ふさがりで頭を抱えるのみ。


 あれからピアは自分の内面に問いかけ続けていた。諦めが早い己の理由を求めて。そして行き当たったのが「自分は天才でなければならない」という心の縛りと思いこみ。母に刷り込まれ続けたそれが、今も自分に影響を及ぼしていたことを知ったのだ。


 限界まで努力をして、それでもダメだった時。

 自分が天才ではないと明らかになるのが怖ったのだ。


 早々と諦めておけばもし結果がダメでも、「この時は途中で諦めたから」「限界の本気はまだ出していなかったから」と言い訳が出来るから。


 そんな理由付けが何だというのだろう。自分は実際、天才ではないではないか。今もカートを救う事が出来ず、この体たらくだ。天才と呼ばれる評価より大切な事は山ほどあったのに。

 泥臭くても、足掻くべきだったのだ。どんな時も。


 足掻くべきだと気付いたのに、今はその努力の方向性すら掴めない。


 ピアの部屋、山積みの本の中で、苦悩する大人二人はなすすべなく溜息をつく。


 

 そんな沈黙する部屋の中で、カサリと紙を繰る音がし驚いて、二人はそちらに目を向けた。


 カーテンの脇で、ピアがまとめなおした瞳の魔法解除に関するレポートを静かにめくる男が壁にもたれて立っていた。

 後ろで束ねた髪は白髪まじりだが茶色、そして銀縁の眼鏡。


「お、おまえは」


 二人は同時に立ち上がり、ピアの膝上から人形がゴトリと落ちる。


「呑気に歓談中だったから、中々挨拶のタイミングが見つからなくてね」


 男はレポートを本の山の上に投げ置くと、テーブルの傍に歩みよる。ピアは思わず叫ぶ。


「ダグラス!? なぜここに」


 ヘイグは立ち上がると同時に剣に手をかけていたが、男はそれを意に介する素振りも見せない。


「静かにしろ。俺が行ってやるから」

「「は?」」

「俺が助けに行くと言ってる」


 同時に間抜けな声を出してしまったヘイグとピアは顔を見合わせるが、ダグラスは勝手にソファーに腰を下ろし、テーブルの上に置かれた少年の髪をつまみ上げては落とす。


「俺が助ける」

「おまえが……?」

「あいつらの手の内も、アジトも知っている。お前達は監視されているが、死んだと思われている俺は自由に動ける。打って付けだろう?」


 二人は脱力したようにソファーに腰を落とした。


「……できるのか?」


 ピアが声をひそめる。


「できる」

「見返りに何を欲するつもりだ」


 ヘイグも声を落とす。


「それは無事に助け出せた時に。成功報酬とさせていただこう」


 眼鏡を外すとツルを軽く噛み、男は不敵に笑った。


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