第6話 お見舞いと餞別


 貧血状態のカートは、ベッドに体を預けてぼんやりと天井を見ていた。そこに大きな荷物を抱えてピアが入って来たので、首だけをそちらに向ける。


「アーノルドから見舞いが届いたぞ」

「先輩から?」


 一抱えもある大きな袋。なんだろうと首をかしげる。


「大きさの割に、とても軽い」


 ピアがごそごそとリボンを解いて袋を逆さにすると、巨大な金色のクマのぬいぐるみが飛び出して来た。


「ほら」

「あ、え?」


 ピアはぬいぐるみをカートの真上に覆いかぶせるようにしたので、少年は慌てて受け取る。

 もふっとした触り心地の毛足の長い生地に、ふんわりと優しい綿の詰め具合で、とても抱き心地が良かった。


「あ、気持ちいい」


 ぎゅっとクマを抱きしめてるカートの姿が、とても子供っぽくて可愛らしい。ぬいぐるみがここまで似合う男子はそうはおるまい。


「気に入ったのか?」

「はい」


 最近ベッドにいる事が多い少年には、良い選択だとピアは感心した。


「先輩の家も、今は大変なのに」


 家長が逮捕されるというスキャンダルの渦中にある公爵家は、てんやわんやのあり様で、長兄が家名を継ぐ事が出来るのか領地の没収なのか、今は合議制の議会で検討中だという。


「カート、我儘を言ってもいいぞ」


 カートはぬいぐるみををぎゅむぎゅむと抱きしめていたが、その手が止まる。


「我儘?」

「何が食べたいとか、何がしたいとか、希望があれば何でも叶えてやろう。ボクの手配できる範囲だが」


 カートは少し目を伏せた。


「それは、僕がもうすぐ死ぬからですか?」

「……そうだ。経験しておきたい事があるなら、悔いがないように、少しでも元気なうちにやっておこう」

「思いつきませんけども……」

「何でもいいぞ?」


 少年はぎゅっとぬいぐるみを抱きつぶす。


「フィーネに、会いたい……」


 明るいあの娘の、元気を分けてもらいたい。

 太陽の瞳で温まりたい。


 ピアは少し考える様子を見せたが、頷く。


「フィーネが心変わりしていなければ、すぐに帰るように手紙を出しておこう」

「心変わり、してたら諦めます」


 しゅんとして、ぬいぐるみに顔を突っ込む。


「他にはないのか? 死ぬまでに経験しておきたいなら、ボクが相手してやってもいいぞ、人形で」

「何の相手です?」

「性交渉とか」


 ぬいぐるみがピアに飛んできた。避けそこなってぼふっと音を立てて顔面で受ける。


 少年は真っ赤になって毛布に潜り込んだ。


「ピアさん、言ってる事が滅茶苦茶だという自覚、あります!?」

「男として生まれたからには一度ぐらい経験したいだろ?」

「だからってなんで相手がピアさんなんですかっ!」

「仕方ないだろ、フィーネに相手をさせるわけにもいかんし! 専門のところでハマったらそれも困るだろ!」

「ハマった経験でもあるんですか!」

「ある!」


 ピアのズレ方が半端ない。


「そ、それは、未経験でいいですっ」

「むぅ」

「何でそんなに残念そうなんですか……」


 ピアは毛布をぺらりと捲って、ぬいぐるみをカートの隣に押し込んだ。戻ってきたもふもふを、少年は再度抱きしめる。


「気が変わったらいつでも」

「僕、まだ生きる事を諦めてませんからね!」

「そうなのか?」

「何ができるかわからないけど、最後まで精いっぱい足掻きます」


 毛布から顔を出して、言いきった。

 何か色々なものを吹っ切った目をしている。


「僕は諦めないので……ピアさんも諦めずに、他の方法がないか調べてもらってもいいですか? これ、すごく我儘だと思いますけど」

「わかったよ。何でも我儘を聞いてやると言ったしな」


 くしゃりと金茶の髪を撫でてやると、少年は目を細めて気持ちよさそうにする。子犬のように甘えてくる姿に、ピアは心を抱きしめられたような気分になった。


――そうだ、諦めてどうする。


 ピアは考える。

 何故こうも、自分は簡単に諦めてしまうのか。


 本当にそれは、合理的だからという理由だけなのかと。

 生きようと前を向く少年のまっすぐな青空の中に、もっと深く自分を見つめ直す必要があるのではないかと思った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 カートは一日休んだだけで翌日には出仕した。周囲の心配をよそに、少し貧血気味ではあるものの元気な様子を見せている。


 ドアナ国境に行った時と今回とで、続けて制服を傷めてしまったので替えがなくなってしまい、アーノルドが去年着ていたお古を譲ってもらったのだが、萌え袖状態になってしまっている。


 ヘイグには、服に合わせて育てばいいと無茶を言われた。


 ブカブカの制服のまま護衛に向かったアメリアの部屋で、カートは驚きの光景を目の当たりにする。


「カートか」


 アーノルドが振り返って言うが、その先にいるのは……髪を短く切ったアメリアの姿。しかも少年の、出で立ち。


「殿下、その姿は」

「もう、女でいる事はやめにしたわ」


 染み付いた女言葉は抜けきっていない。


 心配そうに見るカートに、アーノルドが説明をしてくれた。王女が王子だったことに、ショックを受けている素振りもない。


「アメリア殿下は、ドアナに帰国される。王子として」

「えっ!? ついに王が退位されたのですか?」


 アメリアはにこりと微笑んだ。


「父は、私がこの手で引きずり下ろす事にしたの。辺境領主のグランドに何もかも任せていてはだめだと思って。大人しく待っているように言われていたけど、戦うわ私」


 おっとりとした垂目の海の色の瞳は相変わらず優しく凪いでいるが、強い光を湛えていた。


「カートに、私のために何度も怪我をさせてしまったわ。私がここにいる事で、ラザフォード国にもう迷惑はかけられない」


 カートはどうしても聞いておきたかった。


「……殿下はどうしてそんなに、お強いんですか?」


「愛、かしらね。守りたい人がいる、守ってくれる人がいる、そして信頼し合う相手がいる……。私が強く見えるとしたら、それは周りのおかげ」


 にこりと微笑んで、カートをじっと見つめた。彼の目は「あなたもそうでしょ?」と言ってるようだ。


「殿下の帰国の護衛は、俺が行く」

「先輩が?」

「今は城に居づらいしな。会議で、ラザフォードも国としてアメリア殿下側につく事を採択した。兵も出す事になっている。ついでに海も近くで見て来るさ」


 それは、アーノルドも戦いに参加するという事であった。


「そんな」

「ぬいぐるみは気に入ったか?」

「はい、とっても。抱いて寝てます」


 つい正直に言ってしまい、子供っぽさに気付いてぽっと顔を赤らめる。


「俺だと思って大事にしてくれ」


 戦場に行くのだ、もしもの事はある。道中で暗殺団の攻撃もあるかもしれない。危険な旅になるだろう。


「出立はいつですか?」

「今日の午後には出る」


 心の準備をするには短い時間しか残されていない事を知り、カートは困惑の表情を浮かべる。


「そういえばカート。随分早く来たが、今日は水晶木すいしょうぼくに魔力を吸ってもらう日じゃないのか? 行ってきたのか?」

「あっ、うっかりしてました」

「さくっと行って来い」

「はい、急いで行ってきます」



 水晶木すいしょうぼくの元に来たカートは、木を見上げる。

 最近はゆっくりここで心を癒すようにしていたのだが、アーノルドに自分も餞別を贈りたくて、なるべく早く吸ってもらい、何か手ごろなものがないか探しに行きたいと思っていた。


「ごめんなさい、今日は手早くお願いできますか」


 精霊に向かって語り掛けながら木の根元にもたれかかる。


 そんなカートを、精霊が揶揄からかうように笑った気配がして、少年は照れる。

 いつものように目を閉じていたが、風を感じて目を開けた。

 

 目の前にひらりと、一枚の葉が落ちて来た。軽く柔らかそうだった葉は地面に触れた瞬間、パキッと固まってコトリと倒れる。


 女王選出の際に、銀色の葉を一枚落とすと言われていたが、落ちて来た葉は幹と同じ透明なもの。


「なんだろこれ……」


 手に取った葉は、水晶細工のよう。硬質で葉脈の筋が美しく、光に透かすとキラキラと七色に輝き、水晶木すいしょうぼくの欠片と言ってもいいぐらいだ。


「綺麗……」


 しばし光に透かして見ていた。


「これ、先輩にあげてもいいですか?」


 精霊から肯定の気配がする。


 思いがけず餞別が準備できてしまったので、いつものようにゆっくりと吸ってもらって心も癒す。精霊が、優しく寄り添ってくれている気がして心地よさは以前よりも増しているようだ。


――おかあさんみたい……。


 国を守る言葉を紡ぐ存在として大切にされた木だけども、精霊はもしかしたら寂しがり屋なのかもしれないとカートは思った。

 自分を守らせるための対価として情報をくれると本には綴られていたけれど、本当は寂しくて、人に構ってもらいたくて、自分を必要としてもらいたくて人間に役立つ言葉をくれていたのでは。


 カートも精霊の存在がありがたく、精霊も自分がここに来る事を喜んでくれているのかもと。

 必要とし、必要とされている感じがする。



 その後カートは、小さな巾着袋に葉を入れて出立するアーノルドに御守りとして渡した。


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