第5話 生きる決心、死なせる決意


 アーノルドも跳ね起きて、王女を庇うように立つと剣を抜く。刺客は一人とは限らない、周辺にも注意を向ける。


「先輩! ここは僕に任せて早く城の中に王女殿下を」

「わかった! すぐ戻る」


 カートは少女と剣を交える。真っ黒な装束の少女は髪も目も黒で無感情だ。攻撃は軽いが素早く、カートは防戦一方に追い込まれて行く。

 自分は怪我をするのがまずいが、相手の少女は全く防御を意識しておらず、捨て身と変わらない激しい攻撃に少年は怯む。


「な、なんだこの子、わっ、あっ」


 繰り出される剣戟を火花をあげて長剣ではじくが、あまりの攻撃の激しさに一歩また一歩と下がる事を余儀なくされる。


 反撃も簡単に避けられ、少女はくるっと回転すると城壁の上に立つ。


――怖くないのだろうか、相当な高さなのに。


 何か既視感がある。

 

 女の子。

 無表情。

 軽い攻撃。

 捨て身の素早さ。


「まさか、人形!?」


 こんなことが出来る魔導士は、カートが知るのはピアだけだ。


 黒い少女は高さを全く気にせず、危険な足場で踊るように華麗なステップを踏み右へ左へカートを翻弄する。

 足音も華麗で軽やか。


 自分は怪我をするのはまずい。だが防戦一方では埒が明かないし、カートは最近すっかり体力が落ちていて、ここで取り逃がしたくはないが長くは戦えない。


 息が切れ始めるが、相手の少女は息を乱す事もない。


 城にはピアがいる。


――多少の怪我をしても、治癒してもらえるはず。


 カートは負傷を覚悟して勝負に出た。


 人形でも大きなダメージを与えれば、ピアと同じ方式なら本体にもダメージがいく。今のこれが独立稼働状態なのか、魔導士の意識が入っているのかはわからないが。


 カートは防御を捨て、両手で剣を握り持つと少女の動きを先読みして駆け寄り、渾身の力で叩きつけるように大きく剣を振る。

 人形は軽々と避けて見せたがこの攻撃はフェイント。

 

 少年騎士が振り終えた剣を整える前にと、黒い少女は片手剣を振るう。カートは先ほどまではこの攻撃をかわすため、一歩引くか剣を防御に使っていたが、ここはあえて前に踏み込み、振り下ろした剣を返すように斜め上へ。



 手ごたえがあった。



 剣は少女の肋骨の一番下あたりから斜め上に向けて食い込むが、血が出る事はない。


 そのまま力いっぱい振り切った。

 立ち木に直接剣を叩き込んだような感触。


――やはり人形!


 大きく切り込まれた事で人形はバランスを崩し、城壁から落ちて行く。


 続けてあがる水音。

 

 同時にぽたりと鮮血が石畳の上に落ち、カートは膝をつく。

 少女の片手剣も、少年の肩を薙いでいた。


「くぅっ……」


 痛みに一気に目がかすみ、倒れ込む。自分の名を叫ぶアーノルドの声が聞こえたが、遥か遠くからのよう。


 青い空を瞼が覆い隠した。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「カート」



 名前を呼ばれた気がして、少年は目を開けた。

 確かに今、懐かしい声が自分を呼んだ。

 誰の声だったか、頭がぼんやりとして思い出せない。


 目を開けたはずなのに周囲は真っ暗だった。どんなに目を凝らしても何も見えず、上下感覚がわからないためか立ち上がろうとしてよろめく。


 肩に手を持っていくが、触れた場所に傷の痕跡はなかった。


「あれ……? 何がどうなったんだろう」


 周囲を伺い、声の主を探すが誰もいない。


「ここはどこ? なんで僕はこんな所に?」


 なんとか立ち上がると、とりあえず前に向かって歩き出す。

 恐る恐る踏み出した床は硬く平坦で、タイル貼りの上を歩くような感触だ。そして今の自分は裸足である。


 心細さが押し寄せて来る。


「誰かいますか?」


 とぼとぼと歩き続けるが壁にぶつかる事もなく、ひたすらの暗闇が続き、終わりがないように思えて恐怖も増す。


「誰か……」


 闇雲に前に進む。

 愛する人の名前を呼ぼうと思うのに、先程まで覚えていたはずの名前が思い出せず、その姿すらぼんやりとしていく。自分の中の大切な記憶が次々と遠くなる感じが、恐ろしかった。


「……おとうさん! おかあさん……!」


 器から様々ものが根こそぎ失われる感覚の中で、とにかく恋しさを伴う僅かに残った単語を必死に叫ぶ。自分の名前も、忘れてしまいそうだ。


 この場所から抜け出したい衝動から、足がどんどん早まる。上下も左右もわからない有様だったから、自分の足に躓く形で、カートは転んだ。



 怖い、寂しい、寒い。



 今まではずっと、誰かしらが傍にいてくれた。

 一人ぼっちになった事が全くなかったことに気付く。

 孤独がこんなに辛いなんて。


 立ち上がる気力が萎えた瞬間、ずぶりと地面に体が沈み込んだ。


「カート」


――ああ、また声がする。何処からだろう。この声、大好き……。


 自分はいつも誰かに支えられ、寄り添ってもらっていた。その恩返しもまだ何一つ出来ていない。


 まだ負けちゃいけない。今はまだ死んではいけない。

 こんなところで諦めたら、先に逝った人々に顔向けができようか。



――ここにいちゃ、だめ。諦めちゃ、だめだ。



 心からそう思った瞬間、白い糸が見えた。何処に繋がっているのかわからないけれど、この先に大切なものがあるように感じる。


 沼のような地面から体を引き離すと再び立ち上がり、それを辿って再び歩く。



 それは暗闇の中で一筋の光にも似て。



 迷宮を、抜け出すためのみちしるべ。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「カート」


 名前を呼ばれて、少年は目を開けた。

 恋しかった声が自分を呼んだ。

 誰の声か、はっきり思い出せる。


「ピアさん……」


 カートは城壁の上、ピアの膝上に抱かれていた。

 金色の瞳がじっと自分を見つめているから、少年は微笑み返してみる。


 他の騎士や、顔見知りの兵たち、アーノルドの声も聞こえて周囲はとても賑やかだ。

 体は起こせなかった。血に濡れた制服がひどく重く感じる。


「無茶をしたな」

「人形が……」

「ん?」

「人形だったんです、ピアさんと同じ」


 ピアは眉をひそめる。


 人形を操る魔法は、ピアのオリジナルではない。他に使える魔導士がいてもおかしくはないだろう。だが多くの魔力を籠めなければならず、少々魔法が使える程度では作るのが難しい。一度作ってしまえば、魔力の少ない魔導士でも扱えはするが……。


 ピアも人形で戦うときは捨て身の戦法をよく使う。それが相手にとって脅威になるからだ。だが相手も人形を使うとなると、脅威にさらされるのはこちら側である。

 人形をいくら倒しても、簡単な修理で復帰する。術者を倒すまで、無限の命を持つ者を相手にするようなもので、生きた人間では分が悪い。


 捨て身の相手と張り合うには、こちらも捨て身でかからなければならないから、カートはまさにそうしたのだろう。

 わずかな怪我でも致命傷になりかねない身体で、ひどい無茶をしたものである。恐らく自分を当てにしての事だろうとピアは思った。


 魔法で傷は塞いだが、溢れだした血は戻らない。カートは大量出血で朦朧としたままピアを見つめる。カートは微笑んだつもりだったが、実際の表情は全く動いていなかった。



 体もすっかり弱くなり、命の危険もある仕事。



 カートは明日の命も知れない。

 部屋に閉じ込めて真綿に包んで守っても、次の春さえ迎えられないかもしれないのだ。今日だって、少しでもピアが来るのが遅ければ。


 いつも間に合うとは限らない、そう思ってしまう。


 自分を信頼し、この腕に身を任せてくる少年を抱きしめながら、ピアは諦めてしまった。

 カートと一緒にいられる期間は、どんなに頑張っても長くはないと。


 青い瞳の少年に誰もが魅入られ、己の手元に置きたくなる。それはもしかすると死神も同様なのかもしれない。全ての存在がカートを奪い合っているようだ。


 弱々しく儚い気配。年齢にそぐわない小さな体。


――他の方法を見つけるのは、間に合わないだろうな。


 それならせめて一人ぼっちで逝かせないように、どんな時もそばにいてやろうと、そう思ったのだ。解決法を探すため本に埋もれている時間を、彼と一緒に過ごす時間にしようと。

 もしカートが望むなら、彼がやりたいように。



 魔法を運ぶ役目をにないたいと少年が言うなら、どんなに辛かろうと自分がこの手で送り出してやると、ついに決心を固めた。


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