第4話 愛は形を得て*


 アーノルドは墓石に縋りつくカートを無理やり引っぺがした。


「カート、もう帰ろう!」

「いやだ、やだ……やだよ……」

「カート頼むから」


 こんなにずぶ濡れになってはまた、熱を出しかねない。最近はすっかり元気になったとはいえ、それでもまだまだ周囲が心配する程度には弱々しい。

 後ろからぎゅっと抱きしめる。


――俺が包み込めるほど細いんだぞ、おまえ。


 どんなに声をかけてもカートは泣き叫ぶのを辞めない。こんな風になってしまったカートを見るのも初めてだった。


 カートの腕を掴み、引きずるように宮廷魔導士の屋敷に連れて帰ると、その様子に驚いた使用人がピアを呼んで来た。


「どうしたんだ、とりあえず二人に着替えを」


 使用人に命じてタオルと着替えを用意させつつ、カートはぐしゅぐしゅ泣いていて特にひどかったので風呂場に連れて行かせた。

 アーノルドはピアの部屋に呼ばれ着替える事になったのだが、彼が上着を脱いだ時、ポケットから何かが転げ落ちる。


 ピアが足元に転がってきたそれを拾った。特注の個性的なデザインだから、ピアの記憶にも一対しか存在しない。


「ん? これはカートの婚約指輪じゃないか。なぜおまえが?」

「う、あの……実は……」


 アーノルドは今日の出来事を、ピアにつぶさに報告した。そして自分の不可解な心情も。


 ピアは頭を抱える。


 人たらしな部分は昔からあったが、カートは瞳の魔法がなくとも人を魅了して行く。人懐っこくなってからは加速度的に。


 守り支えたくなって何だってしてやりたいし、花が綻ぶような笑顔を見逃さないよう、いつも傍にいたくなるのだ。庇護欲をそそるというのだろうか、命に代えても守りたいと思う事もある。ピア自身、そんな感じであったから、アーノルドの心情が深く理解できてしまう。


 これも一種の愛の形なのだ。

 性愛や情欲の絡まない、心の奥底から沸いてくる愛おしさに翻弄されつつも心を委ねると、とてつもなく心地よい。方向性としては父性愛や母性愛がこんな感じのものなのかも知れない。溢れだしてしまう無償の愛。もしそうならば、抗いようがないのは納得できる。


「指輪はボクが、それとなく返しておく」

「ありがとうございます」

「アーノルド」

「はい」


 金髪巻き毛の少年は顔を上げる。


「これからもカートを支え、守ってやってくれ」

「それは、もちろんです。でも、こんな訳のわからない感情を持たれていると知られたら、気持ち悪がられるかも……」

「その感情に、愛や恋という名前はおそらくつかないだろう。心配し過ぎて友情が勢いよくはみ出したという感じだな」


 アーノルドも、気持ちを整理する時間が必要なのかもしれない。

 やがて知らせておいた公爵家から迎えの馬車が来て、アーノルドは帰宅していった。


 そして一番の問題は、カートである。

 

 部屋に向かうと少年は入浴を終えて多少の落着きを取り戻してはいたが、目を真っ赤にしてぐすぐす鼻をすする。夜着を着てぬいぐるみにしがみついている状態でベッドの端に座っていたので、髪を撫でながら持って来たホットミルクを差し出した。

 カートは素直に受け取ってすぐに口を付けたが、再び涙が目を縁取る。


 体を温める効果を高めるために、このミルクには少しだけブランデーが入れられていた。


「……甘くない……」

「砂糖が欲しかったか?」


 かつてダグラスがくれたホットミルクは、蜂蜜が溶け込んでいて優しい甘さだった。思い出して溢れた涙が、ボロボロとカップの中と膝に落ちて行く。


「ダグが僕の代わりに?」


 愛称で彼を呼ぶカートに、ピアは重く頷いた。


 死すべき運命だった自分の代わりに、彼が死んだ。そしてそんな仕事をピアにやらせてしまった。カートの頭の中に「自分のせいで」という言葉がぐるりぐるりと回り続ける。


「ダグラスは、生きている事がもう苦痛といった感じだったし、本当ならボクの手で過去に死んでいるはずの男だ。遅れていた決着をつけるついでに、おまえの魔法を土産代わりに持って行っただけだ。カートが気に病む事では一切ないんだぞ」

「だけど」


 もっと話をしてみたかった。父の話はたくさん聞いたが、彼自身の事はほとんど何も知らないまま。ダグラスの心が癒されたかの結末を知る事も出来ていない。自分は彼に何が出来ただろうか? ピアにもそれが重荷になってはいないだろうか? 自分は、自分は……。


 再びパニックになって震えつつある少年からカップを取り上げると、ピアはぎゅっとカートをぬいぐるみごと抱きしめた。二人の間でクマのぬいぐるみがもふっとつぶれる。


「カート、苦しむのはやめてくれ。ボクも苦しくなる」

「でも、でも……」


 カートの様子に、ピアは必死に考える。こういう時の少年にはショック療法が効く。何か、カートを我に返らせる有効な言葉はないか探し、なんとかインパクトのある言葉を見つけ出すと、慌てて口にする。


「ダグラスを失って空いた心の隙間が苦しいなら、ボクがあいつの代わりに抱いて埋めてやろうか? 体で慰めてやるぞ」


――これで、どうだ!


 カートはじっとピアの金色の瞳を見つめる。


――なんだろう、この間は……?


 頬を染めたカートが、こくりと頷く。


――しまったぁーーーーーーーっ!!


「いやいやいや、カートしっかりしろおまえ。ボクより無茶な行動をしてどうするんだ」

「ピアさん……ピアさんの手で何もかも忘れさせてください。僕を滅茶苦茶にして……?」


――どこでそんな言葉を覚えてきたんだ。アーノルドだな! あいつめ!


 予想外の反応に、ピアも混乱状態だ。

 ミルクに少しだけ入れられたブランデーで、アルコール耐性のないカートが酔っ払ってしまった可能性がものすごく高い。


 「そうだ、もう魔法で眠らせてしまおう」と思い立つ。


 だが治癒魔法と違って、眠りの魔法には詠唱が必要だった。

 呪文を唱えかけたピアの唇を、勢いよくカートが塞ぐ。


「んぐ!?」


 そのままピアがカートに押し倒される形に。


「っ、ん……」


――どこでこんなキスを覚えてきたんだ。ダグラスだな! あの野郎!


 こうして夜は更けていく。雨はいつの間にかやんでいた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 外で小鳥のさえずりが聞こえ、カートは目覚める。

 ぼんやりと目を開けるとそこに、自分を腕枕して眠る男の姿。

 二人の間には、金色のクマがつぶれて挟まっている。


 無くしたはずの婚約指輪が、左手の薬指に戻っていた。


「ピアさん?」


 寝顔に向かって話しかけた瞬間、一気にカートの顔が真っ赤に染まり、完全に覚醒して飛び起きた。


――僕、夕べ?


 辛くて苦しくてピアに縋った。彼に口づけをし、押し倒した記憶が一気に蘇る。


「ん……?」


 ピアが起きた。


「起きたかカート。夕べのお前はすごかったな」

「ぼ、僕」


 欠伸をしながら体を起こしたピアは上半身が裸である。自分も。いつ脱いだのか記憶がない。

 カートは一瞬、ふぅっと魂が抜けるような感覚で意識を失いかけたが踏みとどまった。


「ごめんなさい、僕、とんでもない事を」

「それだけショックだったんだろう、気にするな。ボクがおまえにしてやれる事は少ないが、心が乱れた時の相手ならいつでもしてやる」

「ピアさん……」

「ダグラスの事は時間をかけて、二人でゆっくり乗り越えよう」


 ピアはそう言うとベッドから降り、近くに脱ぎ捨てていたシャツを着始める。あの後の事はカートの記憶にない。自分の繰り出した恥ずかしい台詞は覚えていて、湯気が出る程真っ赤になる。


「落ち着いて良かった。安心しろ、おまえがやったのはキスだけだ」


 くしゃりと金茶の髪が撫でられる。


「ボクは本当に天才だ。感謝しろ」


 ピアは、カートに唇を塞がれたまま、眠りの魔法を使った。この男はあの短時間で、無詠唱で眠りの魔法を発動させるという新たな技を身に着けたのだ。だが無理な力の使い方で、ピアも気絶した。


 そのため、お互いがいつ何のためにシャツを脱いだのかは、ピアも記憶になかったという……。


 朝日を顔に受ける魔導士の横顔をカートは見て、ダグラスの事は自分だけの辛さではなかった事に気付いた。傷ついたピアに寄り添えるのは、同じ傷を持つ自分だけなのではないかとも。一方が相手を庇護するだけではなく、肩を預け合って立つ事ができたなら。


 そのような決意が胸にふつふつと湧き上がるけれど、口から出たのは別の言葉だった。


「夕べの事は、フィーネに絶対言わないでくださいね」

「ボクも知られたくない……」


 二人がびくびくと恐れるのは、何故だかフィーネであった。



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