第3話 猫の瞳


 数日後にもカートは貴族の令息といった服を纏いピアと玄関の前に立ち、たわいもない会話で時間をつぶしながら迎えを待っていたところ、寝起きのフィーネが階段を降りてやって来る。


「あれえ? カートまたお出かけなの?」

「うん」


 ラフな服装に欠伸をしながらボサボサの頭をかく、そんないつものフィーネをピアは苦笑して眺め、カートは微笑んで迎えた。


「フィーネ、顔洗った方がいいよ。よだれのあとついてる」

「えっ嘘!」


 慌てて左頬を隠すが、よだれの痕跡は右側だ。

 カートはフィーネのこういうところが可愛いと思う。


 可愛いと思われているとは知らないフィーネは焦りつつ「明日からは本気出す、絶対に早起きして身だしなみを整える」を脳内で繰り返す。なお、毎朝誓っているが実行には移せていない。


 家事をする必要もなく、ふかふかのベッドと清潔なシーツで眠れる毎日に体が勝手に甘え切ってしまうのだ。毛布の肌触りの誘惑に、早起きの誓いは負けている。

 薄々、そんな自分でもカートは受け入れてくれる感触もあって、甘えに拍車をかけていた。ダメだと思いながらもずるずると。



 そこに馬車の到着を知らせる音。


 白髪頭のベテラン執事が扉を開けると、キリっとした美しい侍女が扉の向こうに立っていて、侍女の背後にはフワフワの淡い金髪、緑のくりっとした瞳の可愛らしい少女がいる。

 反射的に、フィーネはピアの背後に隠れた。



「カート様、お迎えに参りました」


 高く可愛らしい声でニコリと微笑む彼女は、まるで妖精のよう。周囲に光が満ちて見える。


「ありがとう、アリア。それじゃあピアさん、行ってきますね」

「ああ、気を付けて」


 少年が外に出るとアリアと呼ばれた少女は、ぱっと慣れた様子でカートの腕にしがみつく。拒否するそぶりもなく彼は、馬車に乗る彼女を完璧にエスコートしていた。

 その後は玄関の扉が閉められたのでわからない。



「兄様、あの子だあれ?」

「カートの従姉妹いとこだな。三人姉妹の一番下で、カートと同じ年らしい」



 ピアがちらりとフィーネを見る。

 

「今のフェリス家には直系の男子がいないから、フェリス卿は娘の一人とカートをめあわせたいのかもしれない」

「えっ」


「特にあのアリアという娘は、カートの事をとても気に入ったらしく。フェリス卿は末娘に甘いと評判だから、それも心配だな」

「そんな……」


 アリアはかつて見た女王の姿と似て春の妖精といった風情。グリエルマの事を語るカートはいつもうっとりとした様子だったから、彼はあのような見目の異性が好みなのではないかと。



 フィーネはフラフラと自室に戻ると、鏡台の前に立つ。


 寝起きのボサボサの黒い髪。くようにしてから艶は出たけれど、量が多くて重っ苦しい。

 金色の目は大きくはあるけど猫のよう。目つきの悪い三白眼である。



 妖精からは程遠かった。とんでもなく遠かった。



 それがすごく悔しくて、哀しくて。


 貴族の令嬢らしく振る舞う事も出来ない自分。

 明日から頑張ると繰り返し、だらしないままの自分。


 ボサボサの黒髪は、涙で滲むと膨らんで爆発しているように見えて、少女はベッドに飛び込むと声も抑えずわんわん泣いた。




 秋口の日暮れはとても早く、しっとりとした夜がやって来る頃、カートは朝と同じ馬車で帰宅した。


 いつもなら玄関まで出迎えてくれるフィーネがいなくて、代わりにピアが立っていた。


「あれ? フィーネはもう寝ちゃいました?」

「今日は食事もせず、鍵をかけて部屋に閉じこもっているんだ」

「えっ、どうして」

「わからん」


 カートは着替えもせず、少女の部屋の扉を叩く。


「フィーネ、僕だよ。ただいま」


 いつもなら飛び出して来るが、中にいる気配はあるのに扉は開かない。少年は再度ノックし、彼女の名前を呼んだ。


 ややあって、鍵がカチャリと音を立て扉は細く開く。


「入ってもいい?」


 言葉による返事はないが少女が小さく頷いたので、わずかな扉の隙間に体を滑り込ませるようにカートはフィーネの部屋に入った。


 彼女の部屋の中は簡素で、女の子らしいものは何ひとつない。

 泣きはらした目は真っ赤で、今も潤んでいる。


「どうしちゃったの?」

「カートは妖精みたいな女の子が好きなんだよね」

「えっ?」


 正装したカートは夢に見た絵本の中の王子様という感じ。王子様の隣にはふわふわのお姫様が似合う。


――あのアリアと言う女の子みたいな。


 フィーネの瞳からボロボロと、再び涙があふれ始める。

 自分にない物が、お姫様になるには必要だ。


「なんでそんな、いきなり」

「あたし、そんなんじゃないから」


 「ああ」と、カートは納得した表情をし、フィーネの両腕に手を添えるとそのままゆっくりと引き寄せ、じっと顔を見つめる。カートが若干大きいぐらいで身長はそれほど変わらないので、お互いまっすぐに目を合わせて。


 それぞれの瞳が相手を映し込む。


「ずっと太陽みたいだと思っていたんだ、フィーネの目」

「太陽?」

「うん。僕の目は青空のようだと言われるから、隣に太陽って似合うと思わない?」


 ぐすりとフィーネは鼻をすする。


「カートは猫だと思わないの?」

「猫が太陽の瞳を持っていたっていいじゃないか」

「猫っぽいのは否定しないんだ」


 フィーネが少し笑ったので、カートも微笑み返す。


「だって猫みたいだよ。よく寝て気ままな甘えん坊。そして可愛い」


 更にその体を引き寄せて、きゅっと抱きしめる。


「僕、今のままのフィーネが好き。だめ?」

「だめじゃない……」


 耳元で、フィーネの言葉に返事をするように軽くチュッという音がして、髪にキスをされた事に気付き耳まで真っ赤になる。


 もう熱くてたまらない。


 顔も、身体も、心も!



「ごはん食べて来るっ!」


 胸がいっぱいで食べられるかどうかわからないけど、カートの事が体中に満ち溢れて爆発してしまいそうになり、少女は部屋から逃げ出した。


――ふえーん、好き好き好き好き好き!!


 それ以外の単語が思いつかなくなって、廊下を走ってはいけないという基本すら吹っ飛んで彼女は駆けて行った。


 見送ったカートは、クスクスと笑う。


 開きっぱなしになった扉の向こうで、様子を伺っていたピアが、びっくりした猫の顔でカートを見ていて目が合った。


「おまえあいつに、何をした? ……あーつまり、何処までやった?」

「もう少し、婉曲えんきょく的に聞いて下さいよ」

「他に表現のしようがないじゃないか」

「……髪にキスしちゃいましたっ……!」

「そ、そうか……」


 結構さらりと、女心を刺激する言葉を次々と繰り出していた少年に、ピアは末恐ろしい物を感じる。

 


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