第2話 着せ替え人形の憂鬱
この日、寝ぐせのついたボサボサ髪のまま階段を降りて来たフィーネは、朝から屋敷の中がバタバタとしている様子に首を傾げながら通りがかった侍女の一人に声をかけた。
「どうしたの?」
「カート様の正装を急ぎ、整える事になりまして」
「正装?」
カートは生まれも育ちも庶民扱い。普段は町の子供達と変わらぬ質素な普段着でいて、城に上がる時だけ騎士の制服という出で立ちでいる。
フィーネも豪奢な屋敷に不釣り合いな町娘のような恰好であったから、今更という感じがして。
カートの部屋を覗き込むと、たくさんの侍女に取り囲まれている少年と目が合う。カートがフィーネの顔を見てぱっと表情を明るくしたので、今の状況から彼は逃げ出したいのだと理解した。
「カート、何してるの?」
「正装が必要になったけど今から仕立てるのは難しいから、ピアさんとお兄さんのお古から着られそうな物を探してもらっていて……」
フィーネが周囲に目を向けると、周囲には大量の服が山積みだった。
「合うサイズがないの?」
「ううん……そういうわけじゃないんだけど」
「カート様はどれもお似合いだから、組み合わせに迷いまして」
「この青いチュニックなんてどうでしょう」
「ダメダメ、このシャツに合わせるなら金刺繍の……」
「シャツはこちらのフリルの方が」
「それにするなら、タイを変えなきゃいけないわよ」
きゃいきゃいと盛り上がって楽し気な侍女たちの様子に、完全に着せ替え人形として遊ばれていると感じ、フィーネは彼を助け出す事にする。
「朝ごはんたべた?」
「ううん、まだ」
「あっ、申し訳ごさいません! 気づきませんで」
フィーネの一言のおかげで少年はやっと衣装合わせから解放され、朝食にありつく。
「フィーネありがとう」
「どういたしまして?」
出会った頃は散々だったけど、お互いの本質的な部分を見せ合った事で、日々の僅かな気持ちも理解しあえる心地よさが今はある。
料理長に作ってもらったサンドイッチを明るい陽射しの東屋に持って行き、二人で仲良くつまむ。薄くカットされたパンに、生ハムとシャキシャキのレタス、アクセントに様々なハーブ。
「フィーネ、寝ぐせがすごいよ。しかもほっぺにシーツの跡がついてる」
「さっき起きたばっかりだから」
「お寝坊さんだね。顔は洗った?」
クスクスと笑われて、フィーネは恥ずかしくなって頬を染める。雑で適当な素の自分を毎日見られていて今更だが、気を付けないとただの家族の関係で落ち着いてしまいそうで焦る。なりたいのは恋人なのに。
とりあえず慌てて話を変える。
「なんで急に正装なんか。お城で何かあるの?」
「先週、
長い平和を培ったラザフォード国は、文化芸術への投資も随分と行われており、まさに今が文明の華といった風情で、貴族にとって総合芸術の粋ともいえる観劇は社交の場でもあり、行く事自体がステータスでもある。
ただし、そのような場であるから正装は必須。
少年は深い溜息をつく。
「嫌?」
「うん……かしこまった席って、得意じゃないし」
気遣いの塊である少年にとって、まだそれほど親しくない相手と長時間一緒に過ごすのは、それだけでストレスである。この家に来て、使用人たちにかしずかれるのにも慣れないらしく、時折だが以前の三人だけで暮らしていた家に戻りたそうな雰囲気を醸し出す。
ピアを含めた周囲に気を使って、もちろん口には出さないが。
フィーネの前でだけ前の家を懐かしむ様子を見せるので、自分がカートの特別な存在になれているようで、嬉しくはあった。
朝食の食器を厨房に返しに行くと、少年は再び侍女たちに捕まり、フィーネの母もいそいそと服の束を抱えて彼の部屋に入って行くのが見えた。
彼女は自分の息子たちの時は完全に使用人に任せてしまっていたが、子供の服を選ぶ楽しさをカートで見出してしまったらしい。
部屋の前を通りかかったピアも、呆れたように溜息をついている。
「兄様おはよう」
「ああ、フィーネか。相変わらずおまえはボサボサだな」
慌てて手櫛で髪を整えているとピアは優しく微笑み、ポンポンと頭を軽く叩く。
「おまえの社交の事も考えないとだな。ドレスをいくつか作るか」
「あたし、いらないよ。そんなところ行きたくないし……」
「ボクもうんざりだが、付き合いを無くすわけにもいかないから。それに綺麗なドレスを着れば、カートがおまえを可愛いと思ってくれ」
「欲しい! いる! 作って!」
ピアが言い切る前にかぶせてくるフィーネが面白く、兄は妹の頭を再びポンポンと叩く。
カートが着せ替え人形から解放されたのは、出発時間の間際。
結局、制服に似た深緑の生地に金刺繍の入った仕立ての良い服を基準にまとめられた。吟味に吟味を重ねただけあってとてつもなく似合っており、何処の国の王子様だろうという立ち姿に、ピアもフィーネも感心するが、肝心のカートは出かける前から疲労困憊でぐったりと。
あの疲れっぷりで昼食会、お茶会、観劇、夕食会と続くのである。体力のない少年にこなせるのか、見送る側は心配しかなかった。
カートが帰宅したのは深夜。
フィーネが玄関先で出迎えると、彼はフラフラと少女の元に歩み寄り、ほっと息をつきながらいきなり抱き着いて来る。
「カートどうしたの」
「……疲れた……」
抱き合って漂って来た複数の香水の移り香に、フィーネの胸はちくっと痛む。たくさんの女性に囲まれていた証拠だ。
カートは見目が良いだけでなく気遣いもでき、仕草も優雅。優秀な剣士でもある。騎士という職業もカッコイイ。
これだけ乙女心をときめかせる要素が揃っていると、他の女の子に横取りされそうでフィーネはいつも心配なのだ。
カートは自分がモテている自覚が全くないからなおさら。
怪しいおまじないや占いに縋るのも、その不安からだった。
肩を貸して部屋に連れて行き、夜着への着替えも手伝い終えると、少年はベッドに突っ伏して斜めに倒れ込み、すぐさま寝息を立てはじめた。眠ったというより、気絶の域。
フィーネは「よいしょ」と少年の体をベッドに正しく横たえさせ、毛布を首元まで寄せると、子供にするようにぽんぽんと叩く。
目を閉じると一層幼くなる顔立ち。起きてる時はだいぶ大人っぽくなって来たのに寝顔は可愛らしいままなので、フィーネはクスッと笑う。
周囲に誰もいないことをキョロキョロと確認してから、頬におやすみのキスをした。
胸の奥からきゅーっと熱い感情が沸いて来る。
――うーん、大好きだよぅ……。
ドキドキして中々寝付けず、ベッドの上で枕を抱えてジタバタしていたため、翌朝も彼女は寝坊をした。
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