第一章 少年少女の赤い”いと”

第1話 星の禁忌


「ふむふむ……なるほどなるほど」


 のどかな昼下がり。


 長い黒髪の金色猫目の少女は、必要最小限の家具しかないシンプルな自室で本を前にして過ごしている。


 本来なら数学と歴史の勉強をする時間であったが、飽きっぽい彼女は早々に別の本を読んでいる。


 ピアの妹であるフィーネは、貧しい上に心の病を患った母親の元で育っており、精霊が定めた通うべく年齢に学校へは行っていない。

 文字だけは庭師の老人に習ったが、そのほかは全くで。流石に常識的な知識が欠けているのは問題であろうと、兄に宿題を出されたのだ。


 付箋が貼られた箇所を読むだけであったが、五ページ目で睡魔の足音を聞いた。


 机の前で勉強をしているふりをするのも面倒くさくなり、学習用の本を脇に押しやると興味のある本を読み始めたという。



 彼女の手にある本のタイトルは「魔法学入門」となってはいるが、その実態は「おまじない本」。


 貴族の子女の間で流行っていて、ハンカチに好きな人のイニシャルを銀の糸で刺繍して月明かりに当ててから持ち歩けば両想いになれるとか、四葉のクローバーを硝子瓶に入れて「プテロポテピエラ」と三回唱え一晩お酒に浸しておき、それを相手に飲ませると惚れ薬になるというたぐいのもの。



 恋のおまじないが、とにかく多い。



 フィーネはこれでも宮廷魔導士の家の娘なので、魔法がどういう物であるかはよく知っていて、子供だましのおまじないに効果がない事は頭ではわかってはいるのだが、恋する乙女はこういう物に惹かれてやまない。



「ふむふむ。蛇の皮を使うやつなんて、本格的ぽぃ」


 でも蛇の生皮をぐなんて、とてもじゃないけど出来ない。可哀相だし。でもこういう物こそ、強い効果があるように見えてしまうのだ。



 先日おまじないの材料にしようと、馬車にかれてぺったんこになって乾いたカエルを拾っている場面をカートに見られてしまった。


 慌てふためく彼が「何に使うの?」と問うたので、正直に恋のおまじないに使うという話をしたのだけど……以来カートは、フィーネが一人で作った焼き菓子は食べてくれなくなった。


「カエルの粉末を使う惚れ薬は、食べてもらってこそなんだけどなあ」


 「むぅ」と、いつもの小さな声を出してページをめくっていたが、めぼしい物は見つからない。どれもこれも実行済だ。



 巻末の星占いのコーナーを眺める。

 

 母親が占い師という事もあって占いも身近。書かれている事が誰にでも何処か当てはまるように書かれてているのはもちろん知っているが。

 やはり恋する乙女的には気になってしまう。



――自分自身を占ってはいけないと聞いてるけど……。


 カートと自分の未来がちゃんと結び合っているのがわかれば、こんなおまじないにチャレンジしなくても良くなるし、むくむくと好奇心も沸いて占いたくなった。


――ちょっとだけならいいよね……。カートとの関係だけなら。



 引き出しから占い用のさざれ石を取り出し机の上に広げると、母のやり方を盗み見て覚えた方法で未来を占う。


 現れた結果から、たどたどしく星の示す未来を読み取った。


「過去の支配? 破滅と別れ? 死の迷宮?」


 何度もやり直すが結果は同じ。

 恐ろしい言葉の羅列におののく。

 二人の未来に明るさが、一切見えない。


「うーん……」


 以前兄から「フィーネは魔力がない分、母親から占い師としての能力を継いでるかもしれない」と言われた事を思い出す。

 慌ててかぶりを振って、忘れる事にした。


 自分がうまく読み解けていないだけだと、彼女は不安と一緒に天然石たちをかき集めてザラっと引き出しに放り込み、再びおまじない本から実行できそうな事を探し始める。


「マンドラゴラって何処に生えてるんだろ? ニンジンだと兄様が悲鳴を上げるけど、それじゃダメよね」




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「ピアさんって、綺麗好きなのに雑ですよね」


 宮廷魔導士の部屋に書類を届けに来たカートは、彼の机の惨状を見て青い瞳を細め微笑む。


 執務机の上は本と書類が雑多に積み上がっているが、よく掃除されていて埃はないのに配置が雑で、ごちゃごちゃで汚く見えるのだ。


「うるさいな、少年」

「端っこに無造作に置くから、何枚か床に落ちちゃってますよ」

「むぅ」


 笑いながら拾い上げて卓上に戻す。


「あれ?」


 拾って卓上に上げた書類の文面をさらっと読んだ少年は、再度その紙を手に取り詳細を見て眉をしかめる。


「何故こんな場所が放置されているんでしょう?」

「ん? 何がだ」


 カートからその書類を受け取ってざっと目を通すと、なんて事ないように書類の山に雑に投げ戻し、ボサボサの黒髪を掻く。


「世の中には、こういう場所も必要なんだ。個人の倫理観で判断できない事柄というものもある」

「でも賭博に違法薬物、人身売買だなんて……」



 カートが見た書類は、怪しげな屋敷の調査報告書であった。他国の人間が多く出入りし、禁制の品のやり取り、中には人の身柄すら商品とされている内容。報告書は引き続き監視するという文言で締められていて、これに対処を要望するものではないのがカートは気になった。


 何か言いたそうな少年を前にして、ピアは手にしていたペンを置くと、腕を組みながら息を吐く。


「そこを潰せば、こういう事をする輩はもっと地下に潜る。適度に監視できる程度のところで留まっていてくれた方が対処がしやすいのだ」

「国で容認しているという事ですか?」

「……そういう事になるな。精霊も放置を決め込んでいたし、ヴィットリオ前宰相も、ここはあえて残すと決定している」


 不意に出た父の名に、カートは体を揺らす。


 こんな怪しく不穏な場所をあえて残すというのは、カートの心情的には許しがたいものがあるが、父はそうではなかったのかと。

 ピアはカートの心情を読み取って、ややきつめの口調になる。


「カート。その正義はおまえだけのものだ」

「常識的な正義では?」


「身を売る事で得る収入が必要な者だっている。禁制の薬も使いようによっては人の命を救う事もある。情報すら、使いようで善にだって悪にだってなる。こういう場所が必要になる場合だってあるのだ」

「だからといって」


 ピアはすっと金色の目を細め、カートをじっと見た。


「おまえはまだ若く、世界も社会も知らないただの世間知らずのお人よしでしかない。清水に満たされた苔すら生えない池では、魚はめないんだぞ。必要悪という言葉だってある」

「……はい……」


 納得したわけではなく、自分の倫理観や正義感とは相いれない。だが政治というものは、清濁を併せ飲む必要があるのだとも感じる。


「そうだ、カート。フィーネだけじゃなくおまえも勉強をしろ」

「勉強、ですか?」


「そうだ。歴史や国外のこと、経済学めいたものも必要かもしれない。いつかおまえにも部下や弟子が出来るだろう。精霊に頼るやり方が出来ない以上、おまえの後に続く人間はカートが育てていく事になる。だからおまえは、人の上に立つための勉強が必要だ」


 自分が人の上に立つという事は想像できない。


 だがいつまでも少年のままでいられないのはわかる。時が経てば自分も大人になるのだ。後輩もできるし、最年少の甘えも許されなくなる。


「ピアさんが教えてくれるんですか?」


「ボクはそれらをヴィットリオ前宰相から教わった。ボクがお前に教えれば、間接的におまえは父の教えを受ける事になるな」



 カートの表情がぱっと明るくなる。

 ピアは、少年が父親と言う存在を今も恋しがっているのだと感じた。



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