第5話 黒い子猫は囚われる


「むーー! ふがふが、ふむー!!」

「こいつ本当に貴族の令嬢なのか?」

「いい服は着ているが」


 フィーネは縛り上げられたうえに猿ぐつわまで噛まされ、粗野な男二人の前で牢の冷たい石畳の床に転がされていた。もがもがと文句を言いまくっているらしい少女とは無関係に壁の松明の火がぐらぐらと揺れて、どこかで扉が開いた気配がする。


「ジグ様がいらっしゃったか?」


 男達の目線が牢の部屋を区切る扉に集中するが、扉から現れたのは食事のトレイを持ったくたびれた中年男だった。くすんだ艶のない金髪は、髪が細いせいか薄く見える。


「なんだ、エリオットか」

「ジグ様は賭場の方で忙しいそうだ。とりあえず娘に食事を」

「ふん、ぐずのろめ」


 気の弱そうな男を軽く罵倒すると、黒髪の少女の方に男は向き直る。


「この小娘、身代金を要求した方が儲かるのか、売り払った方が儲かるのかわかんねえな」

「こういう生意気な小娘を調教したいという物好きもいるからなあ。とりあえず目利きのジグ様の判断を仰いでからだな」


 

 男二人が荒々しい足音を立てて部屋を出て行くのを中年男は静かに見送ると、床にトレイを置いて少女を縛る戒めを解く。


「こんなに硬く縛られるなんて、どれだけ暴れたんだい」


 フーフーと激しい息遣いが野良猫の威嚇のようだったので、エリオットと呼ばれた男は微笑を浮かべたが、フィーネは警戒を緩めず男を睨んだまま、縄で縛られた痕跡が赤く残る手首をさする。


 男は少し考える素振りを見せてから、問いかけて来た。


「……お嬢ちゃん、お名前は?」

「フィーネよ。ねえおじさん、あたしをここから逃がしてくれたら、あいつらの仲間じゃなかったって証言してあげるわよ」

「ははは、交渉上手だね。フィーネちゃんか、可愛い名前だ」


 柔和な微笑みを向けながら食事のトレイを少女の前に置く。


「残念ながらそれはできないんだ。僕はここで働く以外の道が何処にもないからね。仕事場が無くなると困るしあんな奴らでも仲間だし」

「むぅ……!」


 トレイを受け取ると、大人しくフォークを手にする。




「ねえおじさん。おじさんは何年ここで働いてるの?」

「……二十年になるかなぁ」

「じゃあ十八年ぐらい前にさ、キッシュ家の奥方に手を出した男って知ってる?」


 黒い目を見開いて男は驚いた表情をする。似つかわしくない大げさな反応だったので、演技じみて見えた。


「ここは良い所の奥方の火遊びに使われたりもするけどね。誰が誰とだなんていうのは流石におじさんもわからないなぁ。お嬢ちゃんはその男を探すためにこんなところに来たのかい?」

「あたし、父親を探してるの」


 金色の瞳はじっと男を見ながらも手はわっさわっさと動いていて、量が多いとは言えない食事は次々と少女の口に吸い込まれて行く。味はまぁまぁで、それほど悪くない。


 この状況でも怒涛の食欲に、中年男は更に苦笑を深める。


「良いところのお嬢ちゃんがこんなところに来ちゃいかんよ」




 フィーネは母から聞き出した父親と出会った場所である怪し気な屋敷の様子を伺っていたのだが、街外れの人気のない治安が良いとはいえない場所、しかも人身売買も辞さない秘密の社交場である屋敷前で一人でいる少女など、攫って下さいと言っているようなものであった。

 身なりの良い服を着ていたのを見咎められたのか、体格の良い男にいきなり後ろから担ぎ上げられた。抵抗むなしく地下牢に。



 不意に、少女の金色の瞳がキランと輝き、フォークを持った手首をひるがえして男に襲い掛かる。


 が、軽々と避けられあえなく腕を掴まれて一瞬で石畳に押さえこまれる。


「いたっ」

「元気がいいねぇ。僕は弱く見えるかもだけど、ここにいれば荒事は日常茶飯事だから」


 フォークを取り上げ、空っぽになった皿を乗せたトレイに投げ入れると、じたばたと両手足を駆使して暴れる少女が疲れて大人しくなるのを待つ。


 しばらくして動かなくなったフィーネを床から片手で引き上げて、奥にあるベッドに放り投げた。


「きゃん」

「大人しくしていておくれ。なるべく優しい人に買ってもらえるようにしてあげるから」


「身代金の要求じゃなく、売る方で確定なの?」


 男は床のトレイを持ち上げると、穏やかに語る。


「売り物なら傷つけずに大事にされる。身代金目当てなら、綺麗な体で家に戻れるとは思わない方がいい、世間知らずのお嬢ちゃん。一生それをネタに強請ゆすられるのも辛いものだぞ」


 中年男は来た時同様の弱々しい足取りで牢を出ると、慣れた手つきで鉄格子に鍵をかけ、続けて地下牢のある部屋を遮る重い扉も閉められて施錠音が続く。


 フィーネは今更ながら、向こう見ずな自分の行動を後悔していた。


――助けてカート……。助けて兄様……。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 カートは質素な普段着で、屋敷の茂みに息をひそめる。


 

 ここはいつか見た報告書に上がっていた他国人も出入りするという秘密の社交場であったことで、カートの心情は複雑だ。


 フィーネがここに連れ込まれたというのを、報告書を上げて来ている屋敷の監視者からの連絡でピアは知ったようだ。



「騎士団で踏み込んではいけないのですか」



 令嬢の誘拐である。しかも宮廷魔導士の家の娘なのだから、もっと大事おおごとにしてもいいはずだとカートは思ったのだが、ヘイグもピアもカートの発案の言葉にうなずいてはくれなかった。


 助けに行くなら騎士団員ではなく、一人の少年として。ピアも宮廷魔導士としてではなく、彼女の兄として救出せねばならないと。


 事を荒立て、国の暗部が監視できない深みに消えられては困るという、大人の事情といった理由で。



 納得は出来ないが、先程から出入りする貴族の中の見知った顔に少年は唇を噛む。仮面を身に着けてはいたが、アーノルドの父親であるデルトモント公爵らしき姿も見かけたから。


 こんなところに公爵が出入りしていると知られれば、ひどい醜聞スキャンダルとしてアーノルドも立場を失いかねない。

 公爵がどういう理由で屋敷を訪れているのかはカートにはわからないが、おそらく賭場が目的なのだろうとピアは言った。


「危険な遊びを好む輩はいる。適度に緊張感があり、究極的な危険性はないラインが、暇な貴族たちにはたまらないらしい」


 カートの心情を察して、少女人形は小声でそう告げる。


 最悪の闇取引であれば倫理的に手が出しにくいが、国の目こぼしがあるらしいと噂される屋敷で行われるレベルなら、非合法を楽しむ事に専念できるという事だ。



 それでも違法行為である。

 カートの正義感からは相容れない場所。フィーネがここでひどい目に遭ってはいないかも心配だ。


「カート、焦ってはいけない」

「フィーネがひどい目に遭っているかもしれないのに、落ち着いてなんていられません」

「だからこそだ」


 カートも頭ではわかってはいるが、感情はついてこない。


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