第7話 試練の道


 祝宴が終わり、フィーネと手をつないで彼女の部屋まで送り届ける。お互いなんとなく、もじもじとくすぐったい気持ち。

 今朝までの関係と、今夜以降の関係は違う。


 カートが十八歳になるまではまだ一年と半年あるが、この約束があるならフィーネは安心して待っていられる。


 二人が交換した指輪は同じデザインで、ふつうの指輪とは違い、金のリボンを三つ編みにしているもの。愛情・友情・信頼の三つの絆が二人にはあるからと、フェリス卿が特注品を用意してくれたという。


 カートはまだ成長期だから、少し緩めに作られていてくるくるとまわってしまうので、すっぽ抜けて落としかねないのが気になるのか、少年は早々はやばやと指輪を触る癖がついてしまっていた。


 フィーネの部屋の扉を開けたものの、カートは左手の指輪を右手でいじりながら、彼女から目が離せないでいる。

 

 彼女のうなじに落ちる黒髪がいつもより大人っぽく見えて、カートはずっと心臓の鼓動が収まらない。お互い別れがたく、見つめ合っていた。


 そこでフィーネは気づく、カートの背が高くなっている事に。

 以前はさほど変わらなかったのに、今は見上げる感じになる。

 カートも、自分がフィーネを見下ろしている事に気付いたようだ。


 ぎこちなく、少女の肩に手をおいて引き寄せると軽いキスをする。

 相変わらずの軽く触れるだけの口づけである。

 それだけでお互い、いっぱいいっぱい。


「おやすみフィーネ、また明日ね」

「おやすみなさい、カート」


 後ろ髪を引かれつつ、扉が完全に閉められたのを確認してから、カートは踵を返しピアの部屋へ向かう。


 ピアはカートが来るのを待っていたようで、部屋の中央の応接机に少女人形が二人分のお茶の準備をはじめていた。


「座れ」

「はい」


 ピアも続けて対面のソファーに座ると、人形が淹れたお茶を手に取って口を湿らせようとする。


「あちっ」

「ピアさんって猫舌ですよね」


 少年がクスクスと笑うので、ピアは気恥ずかしそうに袖で口を拭い、もぞもぞと座り直して居住まいを整える。


「カート」

「はい」

「おまえの瞳の魔法は消えた」


「……どうやって? というのは聞いてもいい事でしょうか」

「ボクが天才だったからだな!」

「僕が眠っていた三日間で?」

「そうだ。良く寝ていたのでやりやすかった。解説が必要か?」

「いえ……」


 少年は目を伏せる。専門的な説明を受けても理解できないだろうし、何処かピアの口調から、説明のしにくさを感じて。


「嬉しくないのか?」

「すごく、嬉しいです」


――でも……。


「自分が死んで皆を幸せにするという悲劇の主人公になれなくて、残念だったな」

「僕は別にそんな」

「おまえはそんな感じだったぞ」

「僕が死んで解決するなら、とは思ってしまいました」

「残された方はどうする。おまえを犠牲にして幸せになれると思うのか」


「……わかりません……」

「自己犠牲は美しくともなんともない。自己満足だ。助けられて残される方が苦しいという事は覚えておけ。死んだ方はそれで終わって楽になるだろうが、生きる事には苦しみがつきものだからな」


 何故ピアがそのような事を言うのか、カートにはわからないが、命を捨てずに魔法を消す事が出来たならこれ以上の事はない。

 なのに心からの納得ができないのだ。どこか、スッキリしないというか……。


 だが最近の体調の良さの部分は得心がいった。生命力を削っていた魔法が消えて、体調が良くなっていたのだ。もう自分は、あの魔法のせいで死ぬ事はないのだ。

 騎士という仕事である限り、戦いで命を失う可能性はなくはないけど、身近だった死は一気に遠のいた。


「ピアさんありがとうございます、本当に」

「あの魔法はおまえが背負うべき罪じゃなかったからな。あとは自分が幸せになる事だけを考えろ」


――ダグラスの死の罪はボクが背負ってやる。だから。


 心の中でこの言葉は誓う。



「でもこの喪失感は何でしょう。すごく、胸が苦しいんです」


 少年はそう言いながら、ぎゅっと胸元を握りしめる。ピアの片方の眉がやや上がった。


「大きな魔法だったからな。ずっと中にあった力を失ったせいだろう。気にする事はないぞ」

「あ、そうか。僕もう魔力がないんですね」

「あっても使えないものだったから、大した違いはないだろう」

水晶木すいしょうぼくの肥料には、もうなれませんね」


 少年が少し残念そうに笑う。これであの木の根元に行く口実は無くなってしまった。透明な幹が白く濁り始めていて、木の寿命がもうそれほど長くはないように見えるから、できれば傍にいたいと思っていたから。


「ピアさん……」

「どうしたカート」


「僕、すごく寂しいんです。今夜一緒に寝てもらっても?」

「フィーネと婚約した夜に、おまえは何を言ってるんだ」

「彼女に一緒に寝てもらうわけにはまだ、いかないじゃないですか」

「まぁ確かに早いかな……いや別に添い寝するぐらいなら?」


 少年は照れてもじもじとする。


「僕、フィーネと一緒にいて何もしないとか、もうできそうになくて。あの、……色々知ってしまいましたし……」

「あーー。まぁ、……そうだな、うん」


 健康な男子の隣に年頃の女子を置いて何もせずにいるというのは、確かに身体にも精神的にも毒。

 結局ピアが了承する形になり、カートはいったん自室に戻って夜着に着替え、ぬいぐるみを抱えてピアの部屋に戻って来た。


 慣れた感じで隣にもぞもぞと潜り込んで来たので、ピアはカートを迎え入れ、肩までしっかり毛布をかけてやる。


「おまえは時々だがすごく子供っぽくなるな」

「一緒に寝てる事、フィーネには内緒にしてくださいね」

「ボクもこれ以上、野良猫に威嚇されるのはごめんだ」


 ピアが笑ったことに少年は安堵したのか、ひとしきり甘えた後すぐに寝息を立て始める。少年はいつも寝相がいい。日頃の恨みとばかりボコボコと蹴飛ばして来るフィーネとは大違いだ。


 ピアは寝つけなくて寝顔をずっと見ていたが、少年が突然苦し気に息をはき、ピアにしがみつくようにした後、頬を伝う涙。

 何かの夢を見ている様子だが。


――どうするダグラス。おまえの残した爪痕は深いようだぞ。


 真実を知らないのに心は何かを感じて、すでにこんなに苦しんでいる。

 もしダグラスが自分の身代わりになった事を少年が知ったら。


 得た幸せが、彼の死の上に築かれた事を知ったとき少年はどう思うだろう。それを考えると、ピアの気持ちは重くなる。

 ダグラスを犠牲にするという方法を取った事で、ピアはすっかり自信を失っていて、少年を支える事が出来るかも心もとない。

 自信がなくてもやるしかないのだが。


 自分が情けなくて悔しい。涙がじわりと出てきたので、枕に顔をうずめて流れ出る前に枕を包む布に吸わせた。枕に顔を突っ込んだまま少年に心で語り掛ける。


――カート、おまえはボクにどうして欲しい?


 己の無力さが辛い。口下手だし嘘も下手。こうやって一緒にいてやるだけが精いっぱいという有様だ。


――ボクはどうしたら良かったのだろう。


 あの男は確かにカートを救った。

 それと同時に、苦しみの種も残してしまったのではないかと。

 残された方が苦しい事も多いのだ。


 少年の試練はまだ終わらない。そして自分にとっても。


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