第5話 爆ぜる炎のかたわらで
暗い森にオレンジ色の光が揺らめき、二つの影を岩場に写す。
ぱちんと木が爆ぜる音。カートが枝で燃える薪を動かすと、明るい火の粉が花火のように高く上がる。
「これ、そろそろ良さそうです」
温めるために枝に刺して
「殿下は……何故、人形姫と呼ばれているのですか」
ラザフォードの事を語り尽くしてしまい、カートは気になっていたことを問う。
「お人形だったから」
「人形?」
「飾って見せびらかすためだけのお姫さま。それが私。国民の前で紡ぐ言葉には台本があって、動きも台詞の一言一句もその通りにしてきたの。それでついたあだ名が人形姫。ご覧の通り全く大人しい性格ではないけど、これが私の処世術」
干し肉をはふはふと
「リドリー三世は国民に対してだけでなく、家族に対しても暴君。気に入らなければ処刑する。なぜ王子がいないのかわかる?」
「……まさか」
「跡取りが出来ると、その子を担ぎ上げて謀反を起こす人間が出る可能性があるから、男子が生まれたら殺されるの。リドリー三世は最後の最後まで王でいたい人。跡継ぎなんていなくても好き勝手にできればよくて、自分の死後の王家の事や国の存亡なんて興味がないわ」
炭がパキンと大きく音を立てた。カートは言葉を継げなくて、王女の次の言葉を待つしかない。
「王女だって気に入らなければ殺される。利用価値があるという立場でなければ、気まぐれにね。姉たちは他国に嫁ぐ役目を担うことで生き残ったけど」
「あなたの役目も?」
「そのはずではあったけど……」
海の色が波打って、言葉にするのも辛そうに見え、カートは「それ以上は言わなくても」と遮ろうとしたが。
「嫁ぐ前に味見をされそうになって」
「味見って……?」
カートは何の事かわからず躊躇しつつ返答を返すと、純粋すぎる少年に向けてアメリアは軽く苦笑する。
「実の娘であろうと、女は全部自分の物なのね。他の男にくれてやる前に、自分の物にしてしまおうと思ったみたい。私は特に、あいつが一番気に入って苦労の末に側室にした踊り子の母に似てるから、随分と楽しみにしていたみたい」
鈍くて無知なカートであっても、何が行われるのかを察してしまい口ごもる。
「今まで一度も逆らった事のない私が拒否した事が、許せなかったのね。急に使者としてラザフォードに向かうように言われておかしいとは思ったの。まさか財宝の運び役をさせられるなんて」
ふっと自嘲的な笑いが漏れる。
カートは水筒から水をコップに移し差し出すと、アメリアは素直に受け取る。
「隠し場所に近づいたら、おそらくあの侍女あたりかしらね。私を殺して原因をラザフォード国に押し付け、その死を不問にするから前回の戦いの事はなかったことにしろと交渉するつもりだったのかも。財宝はもしもの時に備えて隠しておく保険もぬかりなくという一石二鳥案ね。自分を賢いと思っているあいつらしい計画だと思うわ」
「そんな、ひどい」
「あの男にまともな感覚なんて期待しない方がいいわよ」
カートは落ち着かなくなって焚火を所在なくいじる。火の粉が踊って美しいが、心情は複雑だ。
「あなた、気づいちゃったのよね?」
カートは数本の枝を折って焚火に投げ込むと、頷いた。
「失礼ですが、殿下は……男性ですよね……」
「年齢的に、さすがにもう隠しきれなくなって。もう十七だし」
作り声をやめた王女の声は、少し高いが少年の声。
馬車に誘う際に手を取ったときフィーネやアリアのような柔らかさがなく、かつてピアを馬車にエスコートしたときの感覚と同じだった。
触れれば違和感があるはずなのにアーノルドが気付かなかったのは、彼は女の子に触れた事がないから。存外に奥手なのである。
「今日の賊達にも心当たりが?」
「民衆の団結に、旗印となる存在があるのではと今更思い至ったのでしょう。後を追いかけてきたようだし、私が使者として出立した後に、男かもしれないという疑念が沸いたんだと思う。それを確かめるためねきっと。最終的にどちらでも殺される予定だと思うわ」
「でも王城はもう包囲されているはずなのに」
「
カートはその名前にびくりと体を震わせた。
少年騎士の様子を王女は訝し気に見つめながら言葉を続ける。
「かなりの前金を積んで雇っているし、彼らはその金銭分はきっちり働く事で信用を得てるから、今もリドリー三世の命令で動いているはずよ」
「では、今後も身の危険があるのでは」
「連れ帰る事に失敗したから……今度は本格的に殺しに来るかもね。心配の種はさっさと無くしてしまえばいいという男だから」
アメリアは目を伏せる。
「こんな事でラザフォード国を巻き込んでしまって申し訳ないと思ってるの。でも私が女に身をやつし、人形姫と揶揄されながらもここまで生き残って来た意図を汲んで欲しい」
「民衆は王の排斥をし、貴方の即位を目指しているという事でしょうか」
「あなたは聡くて助かるわ。もうあの国王ではダメ。国民のために……そして妹のために、私は……私達は戦う事にしたの。母の友人だったグランドの手を借りて」
赤毛は焚火の光を受けて燃え上がるように見え、それが彼自身の情熱の姿のようだった。
「私の即位のために国で戦っている者達のためにも、私は生きていなければならない。こうやって城を出る事が出来たのは偶然のくれた最後の奇跡なの。このチャンスがなければ、私達は人質にされてグランドも本格的には動けなかったから」
アメリアはじっとカートを見つめる。
「お願い、私を守って……その時が来るまで」
こんな重要な事をカートの一存で決める事は出来ず、国を代表し約束する事は出来ない。だが、使者を王都まで護衛する事は正式に与えられた任務である。護衛は自分の仕事なのだ。
騎士としてアメリア自身に忠誠を誓う事はできないけれど。
「僕、あなたを守ります」
王女はほっとした様子を見せた。
心細かったのだと思う、ドアナ国にいた時からずっと。
いつ死ぬかわからない薄氷の上で、残虐な王の顔色を伺い歯を食いしばって耐える日々など、カートに完全に理解できるはずもない。
ドアナの安定はラザフォード国にとっても損ではない。あの王である限り、また思いつきで国境を侵される可能性だってある。
「今夜は僕が見張っていますから、殿下はお休みください」
「君こそ休んで欲しいな。私は馬車の中で眠れるし」
「あ、自己紹介が遅れて失礼しました。僕はカート・サージアントと申します」
「カートね、わかったわ」
笑顔が女性的で柔和に見えるのは垂目がちなせいだろうか。
「カートも、見た目で苦労してきたクチでしょ?」
「あ、はい。見目が良いとは言われますが、それで良かった事はなくて」
「人から見て長所でも、本人が使いこなせなければ短所よ。逆に使いこなせれば短所も長所にできる」
「そういうものでしょうか?」
「そういうものにするのよ自分自身で。あなたはその見た目を活用すべきだわ、人に利用される前にね」
「活用だなんて」
アメリアの瞳に鋭さが増す。
「平和な国で育ったお坊ちゃまらしい甘さだわ。自分が持って生まれたものは、すでに配られたカードなの。短所や長所というのは後付けの設定でしかないわ。自分の持っている特徴や能力を良い悪いと決めつける前に、使いこなす事を考えるの。あなたはこれを処世術として胸に刻むといいわ」
「は、はい……」
甘いと言われればその通りで、反論の言葉もない。
夜が深まり、虫の声がするだけで静かな森に、少しだけ風が出て来る。焚火の傍にいても冷え込みはじめて、少年は毛布を取り出すとアメリアの肩にかけ、マントをスカート姿の彼の膝に。
「カートも入りなさい」
「え?」
「ほら」
毛布が広げられたため、少年はおずおずと隣に座る。
毛布を分け合って秋の暮れの冷え込む夜を肩を寄せ合い、空の青と海の青は乗り切った。
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