第5話 大好きなひと


「すまないが、カートは暫く休ませる」

「そうしたほうがいいだろう、声が出ないなんてよっぽどだぞ」


 騎士団長の執務室で、ピアがカートの休みの申請書類を書き上げるのを椅子に座ったまま褐色の瞳はじっと見つめる。


「肺炎が原因か?」

「医者の見立てでは精神的なものらしい」

「何かあったのか」


「……家を出て行けとは言った」

「それで飛び出して、雨に濡れて肺炎か」

「まさか本当に出て行くなんて思わないだろ」


 ピアのその言い分に、騎士団長ヘイグは、ふーっと音を立てて長い息を吐きだした。


「おまえたちは距離が近すぎるとは思っていたんだ。カートにとってピアはもはや唯一無二だろう。父であり兄であり、師匠であり友人であり。場合によっては恋人のような存在だ、おまえは」


「その最後の恋人ってのは何だ。あいつにはフィーネがいるぞ」


「カートはおそらく、おまえが口づけを迫っても拒否しない」


 ふと、ピアは以前の出来事を思い出す。あの時カートは、抵抗なく受け入れている様子を見せていた。実践済であることは言わないでおく。


「お前の事が性別関係なく大好きなんだよ。そんな相手に出て行けと言われてみろ、全世界に否定されたのと同じだぞ。少しは言葉を選んだ方がいい」

「むぅ……」


 だがそれで声が出なくなったりするだろうか。もっと別の葛藤が、少年から声を奪ったような気もするのだ。


「あの事は、カートには言わないのか」

「言えるはずがないだろう。言った後の結果が見えてるだけに」

「どういう結果をピアは思い描いているんだ」


「……あいつの性格なら、自ら死ぬ道を選ぶ」


「それはどうだろうな」

「このままでは長く生きられないと知って、自分の命を犠牲にする事でフェリス家を縛るそらの青の魔法を解除できるとわかったら、自分を犠牲にする方を選ぶだろう、あの優しいお子様は」


「ピア」


「なんだ」


「おまえはなんでそんなに諦めるのが早いのだ。いつもいつも」

「無駄とわかっている努力をする必要なんかないだろ?」


「合理的なところは嫌いじゃないが、努力で見つかる新しい道だってある。カートはお前と違って最後まで足掻いて諦めない子だ」


 溜息をヘイグは挟み込む。


「選ばせてやれ。教えない事でカートの選択肢を狭めるな。結論を出すまで藻掻き苦しむ事になるあの子を、見守るのは辛いだろうが」

「むぅ……」

「信じて支えてやろう。それが俺達の役目だ」


 ヘイグには友人が多い。


 公正で朗らかな性格は人の信頼を得て、幼い頃からずっと多くの人間に慕われている。ヘイグと、ヘイグの周囲の人間にピアは随分救われてきていた。そんな彼の人を見る目と判断に、自分はこうはなれないと昔から感じたものだったが、今日この時もヘイグの人間性にはいつまでも敵う事はないと改めて思う。


「カートは聡い子だ。お前が言わなかったという意図もその理由を知れば理解する。早く仲直りをするんだな。あまりカートを休ませると、アーノルド辺りが昔のお坊ちゃまに戻ってしまいそうだ」


 その言葉に、ピアは軽く笑うしかなかった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 この日も雨で、細い銀糸が空から垂れ下がっているように窓から見える。


――ダグラス……。


 変装のために髪を染めたのだろうかと思っていたが、思い返せばあれは白髪交じりだったからのような気がする。

 彼は死んだのだ、確実に一度は。


 城に出たらあの事件の資料を見て、ダグラスの遺体がどうなったかを確認しなければと思っているが、未だベッドに縛られている状態で騎士の仕事にいつ戻れるかわからない。

 アメリアの事も心配だ。



 白い塔に囚われていた記憶は鎖に繋がれた恐怖の日々ではあるが、自分がいろいろな事を想像して勝手に怖がっていただけで、もし素直に受け入れていれば、彼は優しく自分を奪っていったような気がする。

 向けられた感情は地下道の侵入者から向けられた醜悪な欲望ではなく、どこか愛おしさを伴った複雑なものだったから。


「こほっ、こほっ」


 うとうとしかけると、咳が出て眠れない。


――体が、しんどい……。


 自分の体の弱さが嫌になる。だがダグラスの言葉を信じるなら、この体質は父親譲り。見た目も能力も母親であるアリグレイドから譲り受けたものだったから、ヴィットリオと同じ要素が自分にある事が少し嬉しくて。


 ヴィットリオ宰相が虚弱という話は聞いた事がなかったから、大人になればこの身体の弱さが無くなるはず。父親と同じ体質であるなら。


――早く大人になりたいな……。


 十八歳になったら結婚できる年齢でもあるし、手に職もあるのだから、思い切ってフィーネにプロポーズしてみたいとも思う。きっと彼女は元気いっぱいに「うん!」と答えてくれるはず。

 一緒に暮らし、いつかは子供に囲まれる生活を夢に見る。


 とにかく家族という存在が、カートは欲しくてたまらなかった。


 ずっと家族の愛に飢えた子供のままでいて、普段は気にならないのに、身体の具合が悪くなるとどうしても恋しくなる。


 親と死に別れた子供もたくさんいるし、ピアのような特殊な環境だってあって、自分だけが不幸なわけではないとわかっているから、それを理由にして甘えるのが難しくて。


 でも。


 甘えたい。




 不意に扉が開いて、帰宅したピアがカートの様子を見に来た。


 寂しい時間に現れたピアの姿に、カートはたまらず身体を起こせないまま必死に彼に向かって手を伸ばしてしまった。

 その様子に驚いたピアが駆け寄って来た。まだ完全に走れる程、足は回復していないから少しもたついたが。


「どうしたカート、苦しいのか?」


 必死にピアの服を引っ張ると首を左右に振り、腰を落としたピアの胸に顔をうずめる。


「ひっく……ん……く」


 声は出せないまま、苦し気な嗚咽が少年から漏れ、泣き始めた事にピアは驚きつつも、髪を撫でて慰める。

 そしてベッドの端に座り、少年を引き寄せて胸に抱いて撫で続けた。


「出て行けなんて言ってすまない。どこにも行かないでくれ、頼むからもういなくなったりしないでくれ」


 その言葉に、顔を摺り寄せて、全身で甘えて来るカートは珍しい。


――ピアさん大好きです。大好きなんです。


 声にならなくて、ひたすらすり寄るしかない。


「泣くな。おまえがずっとそんな状態だから、雨がやまないのかもしれないぞ。泣かせる原因を作ったボクが言うのもおかしいが」


 しくしくと静かに泣き続ける少年を、しばし胸元で慰める。


「カート、ボクはおまえを愛してる。本当に愛してるんだ」


 そう言ったピアの顔を、少年はふっと見上げる。


「父として、兄として。師匠として、友人として……恋人として」


 少し考えてつけ足された最後の一言に、青い瞳が大きく見開かれ、涙がぴたりと止まる。


「はい?」


 声が出た。


 カートにはいつも、ショック療法が効く。


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