第6話 いにしえの力に


 さらさらと雨の音が続く。

 胸元に少年を抱いたまま、ピアは声を絞り出す。


「カート、聞く覚悟はできているか?」

「……あの話ですか?」

「そうだ」


 少年は一瞬目を伏せたが、すぐに顔を上げてピアを見つめて頷いた。

 ピアは少年の頬を濡らす涙を掌でぬぐい取って、静かに語り始める。


「あの魔法は魂に結び付いている」

「魂に?」

「フェリス卿に送ってもらった家系図と、青い瞳の子供の系譜を調べてみたのだが、力を持つのはその時代に一人だけのようだ」

「僕が、この世代の一人と言う事でしょうか」

「そうなるな」


 小さく咳き込みはじめた少年を心配げな眼差しで見下ろすと、ピアは少年の首の後ろに手を入れて、枕を使ってカートに楽な姿勢を作ってやる。話が長くなるからだ。


「カートが生きているうち、もしくは失明しない限りは青い瞳を持った子供は生まれない。血筋の中に、脈々と因子が受け継がれるだけになる。おまえがその力を失った後に宿った命に、力は移るという感じだな」

「そうなんですか」


 「なるほど」とは思うが、この程度なら秘密にされていた意図がわからない。困惑した表情を向ける少年に、ピアは静かに言葉を続ける。


そらの青が顕現した子は長くは生きられない」

「え?」

「家系図を見たが、二十歳を越えられた人物はいなかった。この魔法は人の体には重すぎるのだ。体内に存在するだけで生命力を削っていく」


 ピアの言葉が少し詰まる。


「おまえ、矢を受けた傷が塞がらなかったんだってな。もうすでに影響が出てしまっているんだ」


「じゃあ、僕……」


「このままではおまえは大人にはなれない。しかもカートは普通の子よりも体が弱いから、もっと早いかもしれないのだ。例え途中で失明したとしても、次に力が移る命が芽吹かない限り、魂で抱えたままになるから、今から目を潰せば良いというわけではない」


 カートはその事実をすぐに消化できなかった。大人になればこの体の弱さはなくなって、普通に生きられると思っていたから。ついさっきまで。


「この魔法を永遠にこの世界から消す方法は見つかった」

「あるんですか?」


「存在していたのに、今まで使われなかったのには理由があるんだ。死んでも魂が魔法を手放さないように別の魔法で縛りつけて、その状態であの世に送るしかない」


「え」


「普通に死んだだけでは魂が魔法を手放してしまって、因子を持つ血脈の次の魂を求めてこの世界に残り続ける。つまり、自然死や事故死ではだめで、魔法をかける術者の手によって死ななければならない」


「術者の手によって……?」


「もしカートがその役目を担いたいと言うなら、その魔法を使うのはボクになる。魂に縛り付ける魔法を使って、続けてボクがおまえを殺さなければならないんだ」


 ピアは絞り出すように、苦し気に言いきった。泣き出しそうでもある。


「ボクにそんな事をやらせないで欲しい」


 カートは、返事ができなかった。色々な考えが錯綜する。


 このまま長く生きられないというなら、その役目を自分が担って、フェリス家をこの魔法から解放するべきではないのかと。

 だがピアにはそれが苦痛であることは、理解もできる。


「命を捧げる覚悟をした力の所持者と、所持者の命を絶つ覚悟を持つ優秀な魔導士が揃わなければ、実行が出来ない。どちらか一方が存在したことはあるのだろうが、両方が揃う事はなく、見つけ出された方法はやがて埃に埋もれたという感じだろう。二十歳まで生きられないなら、せめて最後まで寿命を全うして欲しいと思ってしまうのが家族というものだからな」


 ピアは苦し気に解説を続ける。


「近代のフェリス家は、盲目でない青い目の子が生まれたら、力が開放されないように魔法自体を封じるという対処法で乗り切っていて、もう随分長い間、そらの青の力は顕現していなかったようだ」


 力が開放される前なら封じる事が出来たという。


「力についても、封じが必要な事も、詳細は家長にのみ代々受け継がれる秘密だったそうだから、おそらくおまえの母親はここまでは詳しく知らなかったのだ。意思さえ強ければ、抑え込めるものとして扱っていたのだろう」


 アリグレイドの子であることが判明したあの時に、これからも一個人でありたいとフェリス家に知らせない選択を自分がしてしまった事が、こんな結果になるとは、カートは思いもよらず。

 知らなかった事で選択を誤ってしまったわけだが、その代償は大きい。


「ボクはずっと自分を天才だと思ってきた。まさかお前の事で初めての挫折を味わう事になってしまうなんて」



 与えられた運命は残酷なものだった。

 カートは自分の未来の道が途切れた事に、意気消沈している。



「真実を告げた直後にこの話をするのは心苦しいのだが、フィーネの事は諦めて欲しい」

「それはどういう……」


「フィーネもボクの大切な妹だ。未亡人になるのがわかっている相手に嫁がせたくはない」


 ピアは苦し気に、だが、強く言い切った。




 このままでは大人になるまで生きられない。


 しかしこの魔法を世界から消すには自分の魂で運ばなければならないというなら。何方どちらを選ぶにしても、カートにフィーネとの未来はないのだ。


 フィーネと共に普通の家庭を作ろうというささやかな夢は、少年の未来図から消えていく。


 

 青い瞳はかすかに揺らぐ。それを見つめる金色の瞳も揺らいでいた。



「来週フィーネを、令嬢としてのマナーを学ばせるという名目で、フェリス卿が紹介してくれた貴族の家に送り出すのだが、そこであいつには見合いをさせる」

「お見合い?」


「フィーネより二歳年上の青年が、フィーネをぜひ妻に迎えたいと言ってくれている。ボクも会ってみたが爽やかな好青年で、妹を幸せにしてくれるという実感を得た」

「そうなんですか……」


 茫然とするしかなかった。


「ボクもギリギリまで他の方法を探す。だからカートも諦めないでいて欲しい。ボクじゃあいつの代わりにはなれないだろうが、最期までずっと傍にいてやる」

「……」


 カートは目を伏せてぎゅっと唇を噛む。


「もしかしたら猶予を持たせる方法が見つかるかもしれない。でも解除に何年かかるかわからない。フィーネはおまえより年上だから」


「待たせるわけには、いきませんね」


 少年はぎこちなく笑顔を作った。

 無理して笑おうとするカートを、ピアは強く抱きしめる。

 

 雨の音だけしかもう、カートの耳には聞こえない。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「完璧にマナーを身に着けて来るわね」

「ほどほどにね」


 少年は馬車の窓から身を乗り出す少女に、苦笑を返す。


「立派な淑女レディっぷりで兄様をびっくりさせてやるんだから」


 見合いがあるなんて聞けば絶対に彼女は行かない。ともすれば家出をやらかしそうという事で、フィーネにはマナーを学ぶために行くという事しか伝えられておらず、カートと歩む未来が無くなっている事も知らない。


 むしろ来るべきカートとの婚約のためにきちんと教育を受けて、彼の家であるフェリス家に恥じないようにしておかないといけないと、彼女はとてもやる気満々であった。

 あのいけすかない伯父に完璧な令嬢っぷりを見せ付けて、相応しくないと言った事を謝らせたいと思っている。


「体には気を付けて。生水を飲んじゃだめだよ、……元気でね」

「やあね、そんな今生の別れみたいな」

「……だってほら、こんなに長く離れた事ないし……」

「あ、そうか一か月だもんね」


 御者が馬を励ます声がする。


「それじゃあ行ってきます!」

「行ってらっしゃい」


――さようなら、僕の太陽。



 ピアの隣で、カートはフィーネに向かって笑顔で手を振る。

 フィーネも身を乗り出したまま、ぶんぶんと手を大きく振って、とてもじゃないが淑女からは遥かに遠い。

 馬車はどんどん小さくなるが、その姿が見えなくなるまで、カートも手を振り続けた。


 完全に見えなくなった瞬間、涙が大きな粒になって地面に落ちる。

 ピアはカートの肩に手を置いた。


「よく頑張ったな」


 ぽたぽたと、音を立てて涙が石畳を濡らす。


 少年はピアの手を振り払って玄関に駆け込み、自室まで全速力で走ると、ドアを閉め鍵をかけ、ベッドに体を投げ出して声を殺して泣く。


 何故自分が、遠い先祖の罪の残滓を背負い、呪いのような魔法に縛られてこんな目に遭わなければならないのかと不条理さを憎む。



――子供みたいに泣くのは、今日を最後にする。



 体が大人になるまで持たないというなら、せめて心だけでも大人になるのだと、硬く決意をするが。

 自分にはどうにもならない事で、苦しむのは辛かった。


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