第3話 死者の使者


 振り返ろうとして微かに見えた灰色めいた髪には見覚えはなかったが、声は忘れるはずもない。


「ダ……ダグラス?」


 締め上げられていた腕が緩むと、カートはケホケホと咳き込んだ。


「カート君か……! 何故この場所に」

「……死んだはずでは……」


 男から自嘲的に鼻で笑う気配があり、少年にかけていた腕をほどいて正面に回り込む。

 疲れているのか顔は以前よりやや老け、眼鏡もかけてはいないが間違いなくあの時に死んだはずの男である。



 自分を攫い、瞳の力を開放した憎むべき相手。



 ピアの手にかかったと少年は聞いていたが、目の前の男は死人ではなく正真正銘の生者である。


 自分が震えるのが寒さのせいか、あの日の事を思い出したせいなのかわからない。

 唇がかすかに動くだけで何も発する事ができずにいると、ダグラスは少年の手を引いた。


「そのままでは風邪をひく。着替えを貸そう」


 ダグラスが生きているなら、団長に報告しなければならない。


 何故生きていたかも。


 そしてまた王都にいる事に何か企みがあるなら聞きださなければと思いながら、身体は引かれるまま前に進む。




 教会の裏手の小さな小屋には明かりがあって、少年はその中にいざなわれると、頭の上に大きなタオルが被せられ、続けて丈の長いシャツを一枚投げ渡された。


「俺は台所に行くから、その間に着替えて髪を乾かせ」


 言葉通りにダグラスは奥の部屋に消えて行く。

 カートは恐怖もあったが、寒さに耐えかねて濡れた服を脱ぎ落すと、与えられたシャツに着替えタオルを頭から被る。



 ややしてダグラスは部屋に戻り、温めたミルクの入ったカップをカートの前に差し出して来たので、恐る恐る少年は受け取った。


「心配するな、薬など盛りはしない」


 手のひらに暖かさが伝わって、心がぽっと温かくなる。少年は素直にミルクに口を付ける。ハチミツの溶け込んだ白い液体はほんのりと甘く、体の内側から暖めてくれた。



 いつだったか、同じ味のものを飲んだ気がする。



 身体が温まって来ると凍り付いていた心が再び溶けだして、涙が目の縁に盛り上がってきた。

 それを、濡れたカートの服を壁にかけて干しているダグラスに知られたくはなく、カップに口を付けたまま顔を隠すように。


「ここで再び会ったという事は、何かの縁はあるのだろう」

 

 ピアとの間にあった絆が切れて、この男に結び合わされてしまったのかと、一気に頭が冴えて来る。

 ダグラスはカートの傍に歩み寄ると少年からカップを取り上げた。とっくの昔に中身は空になっていた。


「もう一杯いるか?」


 慌てて首を左右に振る。



「何があったんだ?」

「別に、何も」

「君は何もないのに雨に濡れて、誰もいない教会で深夜の雨宿りをするのかな?」

「それは……」

「まぁ、言いにくければ言わなくてもいい」


 男は立ち上がり、ぎゅっと少年の右腕を掴んで立ち上がらせると、奥の部屋に引っ張っていく。その部屋は明らかに寝室で、カートの脳裏にいろいろな考えが想起され怯むが、何処か自分はどうなってもいいという自棄の想いもあって、激しくあらがう事なくベッドに投げ込まれてしまった。


「言っておくが、この冷え方はまずいぞ?」


 ばさっと少年の体に毛布がかけられ、その横にダグラスが滑り込んで来る。カートはぎゅっと目を閉じて体を固くしたが、首の下に腕を差し入れられ、もう片方の手は毛布の上から少年を優しくさするだけ。


「あなたは、死んだはずでは」

「一度死んだかもしれないな。心臓は確かに止まったのだろうと思う」


 男は自らのシャツの前ボタンを数個外し、胸元の傷跡をカートに見せた。痛々しい短剣の痕跡。


「あの小娘は随分と非力だな。刃は心臓に達していなかったようだ。心臓の真上を叩かれた感じになって心臓震盪しんぞうしんとう……まぁ一時的に心臓が止まった状態ではあったようだ」


 医者らしく、専門用語を言いかけけたがカートが理解できる簡易な言葉に置き換える。


 ダグラスはカートの手を取ると、その傷跡に触れさせる。

 掌に、トクトクとした鼓動を感じた。


「そのまま放置されれば通常は死に至るのだが、俺はどうやらあの世から追い返されたらしい」

「追い返された? 誰に?」


 ぼんやりと少年は聞き返したが、ダグラスは淡く笑っただけ。


 男は姿勢を変え、再び少年を包み込むように抱きしめ直したとき、少年の頬に男の硬い無精ひげがざらりと当たる。

 ピアの無精ひげもこんな感触だった。思い出すと涙がにじみ出る。


――ピアさん……心配してるかな。どうしよう僕、こんな。


 抱きしめられ、冷え切った体にダグラスの体温が染み込んで来るが、不思議とそれが嫌ではなくて、体が温まって来るのに合わせるように少年は眠りの世界に落ちてしまった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 カートが夕食の時間になっても食事に出てこないとフィーネから聞いたピアは、やれやれといった風情で面倒くさそうに少年の部屋の扉を叩く。


「カート」


 部屋からは返事がない。


「まだねているのか?」


 ふて寝でもしているのだろうかと、扉に手をかけると細く開いて中を覗き込む。


「カート?」


 暗い部屋は静かで、ピアは中に入って周囲を見渡す。


 ベッドはきちんと整えられていて、寝起きのまま放置するフィーネとは大違いだったし、制服もきちんと畳まれタンスの上に置かれていた。その下に剣が立てかけられていて、少年の姿だけがなかったのだ。


――まさか。


 慌てて使用人達にカートの姿を見なかったかを問いただして行くが、家の中では誰も彼の姿は見ておらず。

 唯一玄関前の掃除をしていた庭師の一人が、いつもの普段着姿で何も持たずに走り出ていった少年を見たという。


 窓の外に目を向けるとどっぷりと暗く、窓硝子には雨が寄って滝のようになっている。

 数人の使用人にも声をかけ、自身も撥水性のある外套を被ると、ランプを持って外に出る。

 手に当たる雨はラザフォード国で降るものとしては珍しく、刺すように冷たい。


「ボクは城の方に行ってみる、お前達は雨宿りできそうな場所や公園の方を見てきてくれ」


 まずは心当たりからと向かった城で、門番に問うも姿を見ていないという。カートを見かけたら家に戻るよう伝言をし、再び街中を歩いて少年の姿を探すが、雨の夜に広い王都の中、一人を見つけ出すのは容易ではない。

 もうひとつの心当たりだった以前暮していた家も、立ち寄った気配すらなくて。


 何の手掛かりも得られず屋敷に戻ると、使用人達も行方を掴めなかったようでピアの帰りを待っていた。フィーネも起きていて心細そうにピアを見上げる。


「カート、どうしたの?」

「ボクが出て行けと言ったからだと思う。まさか本当に出て行くなんて」

「兄様、なんでそんな事言っちゃったの」

「言葉のあやだ」

「大丈夫かな……」


 フィーネは目を潤ませて俯いてしまった。


「聡い少年の事だ、どこかで雨宿りをしていると思う。何も持たずに出てるから、雨のせいで帰れないだけなのかもしれない。夜が明けたらヘイグに頼んで捜索に人を出してもらおう。雨が止むか、朝になれば帰って来るかもだし」


 フィーネには後は任せて眠るように促し、使用人には玄関の灯りは落とさないように申し付け、ピアは自室に戻ると椅子を引き、重々しく体を沈める。


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