第7話 青空と太陽
グワシャ。
重いような軽いような奇妙な音に驚いて目を固く閉じたフィーネの上に、男はグラリと全体重を預けて動かなくなった。
恐る恐る目を開くと、白目をむいた男の顔がすぐそばにあって「ヒッ」と空気が漏れるような可愛くない悲鳴を出してしまう。
「フィーネ!」
少年は気絶した男を荒っぽく押しのけ、下敷きになっていた少女を助け起こす。
「大丈夫?」
「カート! 来てくれるって信じてた」
少女はカートの首に腕をまわし抱き着いたから、カートもぎゅっと彼女の体を抱きしめ返す。
周囲には粉々になった陶器の破片が散っていた。
カートは背後から大きな花瓶で男の頭を殴ったらしく、ジグは完全に気絶している。
「この花瓶はハルノリア王朝時代のもので、五頭立ての馬車が仕立てられる値段がするんだぞ」
ピアが割れた花瓶の欠片をひとつつまみ上げて言う。
「知りませんよそんな事」
そっけなく言いながら少女を立ち上がらせて体を離すと、フィーネのドレスは大きく引き裂かれていたから、ぺらりとめくれた。
カートの視線はフィーネの顔から首、そして胸元へ……。
「きゃあっ」
可愛い悲鳴をあげたのは、何故かカートの方だった。両手で顔を覆い隠して恥ずかしがる。
「何をやってるんだおまえは」
少女人形は自らのマントケープを外すとフィーネにつけさせる。
「二人共、ぼやぼやするな。さっさとずらかるぞ」
「ピアさん、言い方」
見張りの男達に見つからないように、三人は夜の闇を利用して姿を隠しながら屋敷の外に向かう。何度かの曲がり角を通過して庭が見える場所まで出てこれた。
窓を開けて外に出る。
茂みに身を隠したものの暗がりで不慣れな場所では、塀の途切れる場所がなかなか見つけられない。何処まで行っても壁。
「どうしよう、ここってもしかして中庭?」
「まずいな、外壁かどうかもわからん」
屋敷の中では騒ぎの声が聞こえ始める。男が気が付いたのかもしれない。急いで逃げなければならないのだが、忍び込む時に使った茂みに隠れた穴の場所もすっかり見失っている。
門の方は屈強な男達が警備しているはず。
「こっちだったかな」
「ピアさんも記憶が曖昧ですか?」
「こう暗いとさすがに」
ふと顔をあげたフィーネの目線の先に子供の姿がある。黒髪を短くしてはいたが女の子のように見えた。
茂みから顔を出していたので、気づかれて目が合ってしまう。
フィーネは慌てて頭を引っ込めるが、大声を上げて仲間を呼ぶ様子もなく、近づいて来る気配もない。
「フィーネ、どうかした?」
「なんか子供がいるの」
「え、こんなところに? 夜に?」
今度は二人でそろりと茂みから顔を出すと、子供は手招きをし、彼らから見て右の奥を指し示し、頷いてみせた。
フィーネ達を捕らえるつもりなら、大声で仲間を呼べば済むはずだ。
だからわざわざ罠にはめる必要もない。あの子供は自分達を逃がそうとしてくれていると、二人はそう判断した。
「兄様。こっちみたい」
「こっち?」
フィーネは子供に指示された方角に向かう。その時にはすでに子供はいなくなっていた。
しばらく右壁に沿って移動していくと、中庭から外庭に繋がる通路を見つける事ができた。
三人は周囲を確認し、
「見張りが少なくないですか?」
「うむ」
有難い事ではあるが不自然さも感じる。
だがすぐにその理由に気付く。カート達がいる反対側の方から多くの声がして、赤く明るい。
「火が出てるのか」
ピアは目を細める。
気になる事は色々あるが、この好機を逃すわけにはいかない。疑念をそのままに三人は屋敷の敷地を無事抜け出す事に成功した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
もう深夜だったが、フィーネとカートはピアの部屋に呼ばれていた。
「無事でよかったが、もうこんな事をしてはいけない」
「だって、いきなり捕まるなんて思ってなかったんだもん」
唇を尖らせるフィーネは、なかなか可愛らしくはあったが。
カートが心配そうに眉を寄せて言う。
「何故あんなところに行ったの?」
「……本当の父様が、あそこにいるって聞いたから……」
ピアとカートは顔を見合わせる。
「会ってみたかったのか?」
「あたしがキッシュ家の娘じゃないのが問題なら、どこの娘かはっきりさせないといけないと思って」
しょんぼりと俯いたフィーネを慰めるように、カートは彼女の背中を撫でる。
「フィーネの父親が誰であろうと、おまえはボクの妹だ。別に知る必要なんてないだろう?」
「むぅ」
話を総合すると、フィーネの父親の可能性が高いのは、あの非合法な屋敷の支配者ジグ。もしあの悪辣な男が本当に父親だとしたら、フェリス卿の懸念が高まってしまうであろう。
「曖昧なのは気持ち悪いかもしれないが、気にしても仕方ない事だ。カートとアリアの婚約話は保留になって、今すぐという話でもない。ボクがなんとかしてやるから、もうこんな無茶はするな」
「わかった……」
「それじゃあ、二人はもう寝なさい」
「はぁい」
「おやすみなさい、ピアさん」
「おやすみ」
カートはフィーネを部屋の前まで送ると、別れ際に手を取った。
「フィーネ」
「なぁに?」
「本当に無事でよかった」
「来てくれて、ありがとう」
二人は見つめ合う。
青空の瞳と太陽の瞳。
薄暗い廊下、二人だけの時間。
あと少し遅ければ、もうこんな時間を持てなかったかもしれない。鍵を投げ入れてくれた屋敷を監視しているという人には感謝しかない。機会があれば会ってお礼が言いたいとカートは思う。
フィーネの実の父についても、その人に調べてもらう事が出来るかもしれないから、接触できないか団長に掛け合ってみようと思った。
でも今は、それより大事な事がある。
「僕、フィーネの事が好き」
「あたしも、カートの事が好き」
「アリアとの婚約はちゃんと断るから安心してね」
「うん」
カートが少し手を引くと、フィーネは素直に少年に寄って。
彼女がゆっくりと目を閉じたから、カートは誘われるように顔を寄せて、自身もぎゅっと目を閉じて唇と唇を触れさせる。
つい、手にも力が入った。
見よう見まね。ぎこちなく影は重なる。
恥ずかしく、すぐに離れてしまったけど柔らかい感触がお互いの唇に残って胸を熱くさせる。キスとしてカウントしてもいいのかわからないほど微妙な感じだったが、これが今のカートの精一杯だった。真っ赤になってそわそわおどおどしている姿を、フィーネは年上らしく落ち着いた様子で見守りながらも、心の中では全力歓喜の舞からのガッツポーズ。
こんな幼い口付けでも、フィーネは癒される。
今日はとても長い一日だった。
星は二人の関係を暗いものと示したけれど、何処かに必ず別の明るい道があるはず。
自分の小指の赤い糸。
その先に今はカートがいないというなら、自分から結び付けにいってやると思うほど、彼女は強い意思を持っている。
フィーネは母親と同じ
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