第39話 デュ・バリー夫人が語る、アントワネット
アンとアイリスは館の厨房に向かう。手には『コンテスデュ・バリー』ブランドの缶詰を持ちながら。
でもテリーヌを一緒に食べるのが、今日の目的じゃない。真の目的は、デュ・バリー夫人から、アントワネット奪還に役立つ情報を得ることだわ。急ぎデュ・バリー夫人の部屋に戻らなければ。
探偵のように徹底的にさぐりたいのはこの三つ。
✔ アントワネットの情報(好きなものとか興味とかもろもろ)
✔ ポリニャック伯爵夫人の情報(弱みとかね)
✔ サンジェルマン伯爵の情報(誰にでも態度悪いのとか)
三番目のは彼が本当にタイムスリップしているのなら、いろいろ調べておかないとトラブルになりかねない。
部屋に戻ると、デュ・バリー夫人とフィービーが楽しそうに笑い声をあげている。
「早速、テリーヌが来たわ!フィービーさん、一緒にご賞味しましょう」
「ありがとうございます。デュ・バリー夫人とお食事できるこんな光栄、ジャポンに戻りましたらどれほど皆に自慢できることか」
アンとアイリスは再びテーブルにつくと最初に座った時とは全く違う、空気感に驚いてしまう。
すっかり、フィービーが打ち解けているのだ。傍から見たら、デュ・バリー夫人とフィービーは以前から友達だったようにすら、見える。
デュ・バリー夫人はフィービーの褒め言葉を心から喜んでいるようだった。
そこには、下々のものから崇拝されなければ気が済まない、そんな気難しさはみじんもない。
ただ、褒められて嬉しい。そんな素直な気持ちが伝わってきた。
「デュ・バリー夫人にお会いできると聞いてとても緊張しておりました。でもこんな風に気さくに話してくださってうれしいです」
フィービーも心から嬉しそう。デュ・バリー夫人もますます打ち解けていく様子。
小間使いは、お皿をテーブルに並べ、ナイフとフォークも置いてくれている。
「そういえば、シャルロットから聞いているわ。あなたたち、ポリニャック伯爵夫人のことを知りたいとか」
―――なんて親切なデュ・バリー夫人。言わなくても気を使ってくれる。
前寵姫、ポンパドゥール夫人と比べると、知性や教養で見劣りのする彼女。でも、心はすごく優しい。だから、いろんな貴族が、彼女の出自を気にすることなく、周りに集まっているんだろう。
「ええ、ジャポンではデュ・バリー夫人のお名前がポリニャック伯爵夫人よりも有名なのですが―――」
ここでもフィービーが主導する。まず、デュ・バリー夫人の心をうっとりさせてから―――
「フランスに参りましたところ、ポリニャック伯爵夫人のお名前を頻繁に耳にしまして。それがどうしてなのかしら? と不思議に思っているのです」
完璧だわ! デュ・バリー夫人を上手に立てている。 自分たちのポリニャック伯爵夫人への興味が、決して称賛ではないと伝えている。 これならば、デュ・バリー夫人も気分を害さないだろう。
オッケー! この流れを殺さず、フォローしていくわ、フィービー!
「まあ! ポリニャック伯爵夫人より私の方が有名だなんて。それはきっとジャポンとフランスが離れているから、情報が古いのではかしら。私はもう過去のひとですもの」
「いえいえ。ジャポンは離れておりますが、フランス宮廷の大事なことはしっかりと伝わっております。夫人が過去の人だなんてとんでもないですわ」
アンが上手につなぐ。
「嬉しいわ。そんな風におっしゃっていただいて。でも、実のところポリニャック伯爵夫人とは私、ほぼ面識がないのよ」
右手を頬にあてて、ごめんなさいという表情のデュ・バリー夫人。
やっぱりそうよね。 アントワネットとポリニャック伯爵夫人が出会ったのは、王妃になったあとって書いてあったもん。それってデュ・バリー夫人がヴェルサイユを出た後。
宮廷を追放された後のことを聞いても、それは無理ってものだわ。
彼女はヴェルサイユに「出禁」の身だもの。それでも、共通の知人はいるだろうし。もう少し、突っ込んでみなくちゃ。
「ポリニャック伯爵夫人はずいぶん、アントワネットさまとお親しいとか。私達、アントワネットさまのお人柄がわからないのですが、どうしてポリニャック伯爵夫人を寵愛なさるのでしょう?」
デュ・バリー夫人は、アントワネットとはバトル済みだから(26話参照)、アントワネットの性格は知っているだろう。今度は質問の矛先をアントワネットに変えて、情報を引き出そうと試みる。
デュ・バリー夫人はこの質問に快く答えてくれる。
「そうねぇ、アントワネットさまはランバール夫人に飽きられたのでしょうね。そこにちょうどポリニャック伯爵夫人が入ってこられたのではないかしら」
「あと、お洒落が好きでポリニャック伯爵夫人とドレスをとっかえひっかえするのが楽しくてしょうがないのだと思うわ」
夫人はお役に立てたかしら? と満足気だったが、三人は少々落胆してしまう。これ、二十一世紀でも書物になっているレベルの情報で、価値低いもん。
―――アントワネットが年上の美人の先輩に弱く、だからつい言いなりになってしまう。
ここまでは知っているのよ。二十一世紀でマリア・テレジアに聞いたから。デュ・バリー夫人からはこれ以上の一次情報がほしいのに!
他にもいくつか、角度を変えて質問をしたけれど、正直なところ、デュ・バリー夫人に<人間観察力>はなかった。
マリー・アントワネットに対する深い洞察などはとうとう聞くことができずじまい。
でも、そんなの顔に出してはだめ!
「本当にありがとうございます。ご親切、感謝申し上げます」 感謝の意をしっかりと伝える。
「ううん。いいのよ。あら、そういえば! ローズ・ベルタンをご存知?」
ふいにデュ・バリー夫人が言いだす。
「ええ、もちろん。フランスで有名な服飾デザイナーさんと伺っておりますが」
モード大臣と呼ばれた、ローズ・ベルタンも二十一世紀では有名ですから。ちゃんと知っているわ。
「ええ。今はアントワネットさまとべったりだけれど、私も真珠の縫い取りをしたドレスや、リボンをふんだんに使ったドレスを作ってもらっているわ」
「真珠の縫い取り! なんて素敵なんでしょう!」 フィービーが言う。確かにうっとりする。
「もし、よかったらご紹介するわ。まだ長くヴェルサイユにいらっしゃるんでしょう? ドレスもご入り用になるはずだわ」
え、嬉しい! ローズ・ベルタンにドレスを作ってもらえるの! やった!
「ありがとうございます。本当に何から何までお世話になってしまって」
「ううん、私の方こそ遠くのジャポンの方とお話ができて、こんなに嬉しいことはないわ」
デュ・バリー夫人は最初から最後まで、心優しかった。
―――――
ルーブシエンヌから再び帰りの馬車に乗る。
しばらくすると馬車が止まる。
「ここどこ?」 アンとフィービーが馬車の窓から外を見ながら聞く。
「ヴィルダブレーよ」 御者ではなくアイリスが答える。
「ヴィルダブレーって? どこ?」
「さあ、これをもって降りて」 アイリスは質問に答えず、馬車の片隅から、小さく折りたたまれたウォータータンクを取り出す。二十一世紀からもってきたやつだ。
「ここの水を汲んで帰るわよ」 有無を言わさず、先を行くアイリス。その向こうには池? みたいなのがある。
「えっ? どうして? 水はヴェルサイユで手配できたじゃない」
「この泉の水は別名『王妃の水』なのよ!」アイリスが振り返って優雅に微笑む。
「『王妃の水』? どういうこと? 」アンが尋ねる。
「アントワネットが飲料水に使ったのがここの水なの。泉質がすごく良い水なんですって」
「『王妃の水』?エビアンやヴォルビックより素敵だわ!」フィービーが嬉しそうだ。
「そう! お風呂はヴェルサイユで調達した、水質の悪いのでもギリ許すとして、飲むものは最高級の水にしたいじゃない。私達、女優なんだから!」
※ この時代は水を汲む場所によって、水質のレベル感の差がものすごかったんです。
「わかったわ! 汲めるだけ汲んでいきましょう!」話が分かればアンは早い。泉に向かう。
「私達でいえば『王妃の水』ならぬ、『女神の水』ね!」朝の話を引用してフィービーがまぜっかえす。(36話参照)
明日のコーヒーはこの王妃の水を沸かして淹れるのだと思うと――
がぜん張り切りたくなる。
王妃の水でコーヒー! 王妃の水でハーブティー! ハリウッド女優にピッタリよ!
ありったけのウォータータンクに水を汲んで、馬車とヴィルダブレ―の泉を数往復する。御者にウォータータンクのポリエチレンなどの素材を見られるとまずいので、布をかぶせながらだったが、彼はうとうとと眠りこけていた。そのプロ意識のなさに、ありがとう、だわ。
持ってきたウォータータンクに全部、『王妃の水』を汲み終わった。
「一番いいコーヒーを明日出すわね」 日常品担当のフィービーがウキウキしながら言えば、
「私のハーブティーもこれで淹れたらすごく美味しそう!」 こだわりブレンドを持参しているアイリスも言う。
今日はデュ・バリー夫人に会い、『王妃の水』も手に入れた。テンションも上がる!
帰りの馬車は美女四人分ほどの重量になった。馬には可哀想だが頑張ってもらわなくちゃ。
馬車は『王妃の水』とともにヴェルサイユへの帰途につく。
あとがき―――――
ヴィルダブレ―の水をアントワネットが愛飲していたのは事実です。
彼女はフランス革命で命を落とす直前までここの水を飲むことは許されていました。アイリスは事前にそれを読み、ルーブシエンヌの帰りに寄ったのですね。
地図で見る限り、ルーブシエンヌの近くにあるんですよ。
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