第21話 私たちを誰だとお思い?プロよ、プロ(見せ場です)



「何もございません、お父様」 




 アン(Anne)は 今までのどきまぎした表情を一変させる。コンマ何秒で別の仮面をかぶった。純真で真心あふれる、優しい顔立ちを作りきってこう答えた。




 アンの言葉を聞いて、愛情たっぷりだった表情のアイリス(Iris)は驚きの色を浮かべる。




「何もないだと?」




「はい、何も」 




 再びアンは言葉に愛を込めて繰り返す。






 次の瞬間、アンに向かい合っていたアイリスが、さっと振り向きメルシー伯爵を見る。




 彼に向かってにこやかに微笑み、この上なく優雅なお辞儀をする。フィービーもそれに続いて、スカートをつまみ腰をかがめ、お辞儀をする。






「いかがでしょう? 私たちの演技は? 実力をほんの少しだけお見せいたしましたわ。アントワネットさまの演技指導ができるかどうか、ご納得いただけましたか?」




 先ほどの会話 は シェイクスピア 『リア王』 の第一幕のシーンを切り取ったもの。




 メルシー伯に演技指導の実力を知ってもらうため、アイリスが、臨機応変に仕掛けたのだ。 <リア王>と長女<ゴネリル>の二役をアイリスが演じ、次女<リーガン>をフィービーが即興で演じたのだ。




「ジャポン出身の私たちでも『リア王』を演じるくらいなら簡単なことですわ」




 先ほどの演技とは違う いつものアイリスの甘いシャーベットの声。どこか嬉しそうだ。




 フィービーもアイリスのそばに近づき、フォローを付け加える。




「私たち三人、シェイクスピアなどは基礎として学んでおります。伯爵がご希望なら『真夏の夜の夢』でも『ロミオとジュリエット』でも演じることができますわ」




 昨日まではできなかっただろう、さわやかな自慢までする。




 メルシー伯は極東の国、ジャポンとやらから来た娘三人が、いきなり 『リア王』を迫力たっぷりに演じる姿を見て頭が混乱する。




 しかし、有能な外交官が彼の本質だ。




「いやはや、素晴らしいですな。こんな実力の持ち主とは。お三方の演技、目を見張るものがありましたぞ。特にアイリスどの。そなたはまことに素晴らしい。ゴネリル役とリア王役をすぐに切り替えて演じられるとは。お三方全員、セリフも完璧に覚えておられるのだな。卓越しておられる」




「お喜びいただけて私たちも嬉しいですわ」




 このシェイクスピア作戦、こちらの想定以上に心中に響いたようだ。




 美人であること以外、胡散臭いフラグしかなかった三人にリスペクトの気持ちを持ち始めているだろう。




 この機を逃してはいけない。ここからのダメ押しや図々しいお願いや、言いにくいお願いはアンの担当だ。




「では、私達 アントワネットさまの 演技指導のお役目をいただけそうでしょうか?」




 即興 『リア王』 でのセリフは 「何もございません」 だけだったアン。こういうときはぐいぐい行く。末娘、コーディリアとは真逆だ。




 メルシー伯はすぐに声はでない。しばらく考え込んでいる。








 『リア王』のワンシーンだけでは、まだ足りないのかしら? 考えが安直だったのかしら? だめだったのかしら……?






 そのとき、ノックの音が聞こえた。




「ウィ、入り給え」




 アパルトマンに従者らしい人物が入ってきた。




 服ですぐに貴族なのか、従者や小間使いなのかわかってしまう。このあたり二十一世紀とは全然違う。それほどまでに、貧富と身分の差が、外見からわかるのだ。




 彼はメルシー伯に目で合図をした。




 伯爵の目に不穏がやどった。三人の方を振り向く。不穏を消してにこやかに言う。




「お三方、しばらくここでお待ちいただけますかな。すぐに戻りますゆえ」




 伯爵と従者は別室に行く。何だろう……




 いい知らせが来たわけではない感じ?




 ドキドキする。不安がもたげる。私たちに何か関係あるのかしら?




 心当たりがなくても、自分以外の人がひそひそ話を始めると、「もしかして私のことを悪く言われている?」と不安にならないだろうか。


 その感情を美女たちは味わっていた。後ろ暗い気持ちはたんまりある。心当たりはありすぎだ。


 三人は「ジャポンから来ました」という詐称をしている、間違いない不審人物だ。



 昨日もらったアパルトマンを探されでもしたら、さらに怪しいものはいくらでもでてくる。



(鍵はかけたはず……)



 でも、ここで「何かばれたのかしら?」なんて話せない。隣の部屋はドア一枚だし、あの壁、絶対に防音壁じゃないもの。



 言葉を発さずに、不安を共有する。


 心臓がバクバクする。



 メルシー伯は意外にもすぐに戻ってきた。表情も普通というか、不穏はない。



「ときに、お三方。今夜ディナーをご一緒にいかがかな」




 思いもかけない言葉だった! よかった! バレてない!




「エメ男爵からお誘いを受けておりましてな、私の知人も一緒に行くはずだったのだが、急病で行けなくなりましてね。今の従者はそれを伝えに来たのです。数合わせの様で申し訳ないが、もしよろしければそなたたちを極東の国からの客人として一緒にお連れしたいのだが」




 そんな内容ならもちろん!



「まあ、嬉しいです。ぜひ」


「ありがとうございます。光栄です」


「ご親切に感謝いたします」



 単純に十八世紀のヴェルサイユ宮殿で、男爵から夕食のお誘いを受けるという経験もこの上なく貴重なことだが、人に会えるのはこちらとしてありがたいのだ。



 アントワネット奪還のためには、まず堀を固めなくてはいけない。


 堀は協力者。


 協力者がいないことにはどんな作戦も遂行できない。


 メルシー伯は大きな力だが、彼だけでは心もとない。



 なぜなら、彼はアントワネットからは疎まれているからだ。小うるさい、説教臭いおじさんとして。(事実です)


 メルシー伯を完全に抑えたとしても、


● アントワネットに通じる道は簡単ではないのだ。


 姿を見かけるのは何とかできても、会話するところまでこぎつけるのは至難の業だろう。



 ましてや、こちらの言うことを聞いてもらえるほど近づくのは、至難の業の五倍くらい? だから、ありとあらゆる方向から、協力者を増やすことが絶対だ。



 このヴェルサイユでは人と会い続けること。これがアントワネット奪還の大切なステップ。


 三人はしっかりと意識を共有していた。


 そのために、手分けして


✔ ヴェルサイユ宮殿で情報収集するためのアイテム を たくさん持ってきたのだ。




「それで、伯爵さま、アントワネットさまの演技指導の方は……」



 先ほどまで不安に気をもんでいたアンだが、強気に戻る。聞くことだけは聞いておかなくては! せっかくいいところまで進んだんだから!


「その件ですね。それはまたディナーのあとにでもしていただけませんか。急病の知人を見舞いたいものですから」


(……)


「ええ、わかりました。そうですわね。その知人の方、早く治られますように」


 優雅に答えるアン。アイリスとフィービーもメルシー伯の知人を思いやる優しい表情。でも心中はそろって


(あと一声だったのに―――)



 次は男爵主催のディナーの場が舞台ね。挽回しないと。持ってきたアイテムを上手に使って、協力者を増やして演技指導のお役目、絶対に貰わなくては!




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