第35話 朗報あり「明日馬車がお迎えにきます」



 ドアまで向かう間にアンの頭はぐるぐるする。




 サンジェルマン伯爵は一体何のつもりで、あのお茶会に出てきたのかしら?


 なぜ、私たちにタイムスリップをカミングアウトしたの? 目的は何なの?




 そして、同じようにタイムスリップしているのに、仲間とは思えない嫌味な態度はなぜ?




 まさか、私たちの邪魔する気じゃないわよね? 




 彼が言った、1980年代からタイムスリップしている、というのは嘘じゃない気がする。実際自分たちも、タイムスリップしているのだから。マリア・テレジアの力でというのも一緒だし。




 でも、マリア・テレジアの力で、この十八世紀に来たとしたら、やることはひとつなのよ。ポリニャック伯爵夫人からアントワネットを引き剥がす。これだけでしょ?




 でも彼は何もやっていないように思える・・・・・・彼は一体、何のためにこの十八世紀にいるんだろう。




 ドアまで歩く短い時間でアンは色々と考え込む。今、あの男と話して、返って不利にならないかしら? どうあっても今は向こうの方が、情報リッチな気がする。いつの時代でも情報リッチのほうが勝ち目は高い。




 コンコン。またノックが続く。遠慮がちな音だ。




 こういう叩き方は・・・・・・あっ! あのヤバそうな男じゃなさそう。きっとシャルロットよ。そういえば、以前もこんな感じのノックだった。




 ドアを開けると、やはり彼女だ。




「シャルロット、どうしたの?」 




 アンはホッとする。きっと背後に控えているテーブルの二人も同様だろう。サンジェルマン伯爵に話を聞きたいのは確かだが、聞いた言葉が本当とは限らない。もう少し、あとでもいいはず。




 彼女を部屋に招き入れる。今は昼間だけど、LEDライトは引き続き怪しまれないよう、隠しておくのはいつものこと。




「さ、入って」




「お食事のところ、すみません」




「何を言うのよ! キッチンを貸していただけてやっと温かいものにありつけたわ。本当に感謝しているわ」アンは先を歩きながら言う。




「いえ、いつでもおっしゃってください。うちのキッチンは広いので皆様にお貸しすることも多いんです」




※ ヴェルサイユには台所付きのアパルトマンは多くなかったので、台所を借りるケースは普通のことだったようです。




 いつも彼女は優しい。そしてキッチン付きのアパルトマンが羨ましい。




シャルロットは三人の顔を見るなり、にこやかに話す。




「先日お話していたデュ・バリー夫人の件なのですが。夫人に話したら、お三方をお招きしたいとおっしゃっていて、それをお伝えしに来たんです!」




「デュ・バリー夫人が!!」 今度は三人でハモる。




「ええ、ルーブシエンヌにぜひ来てほしいと」




「ルーブシエンヌの館に!」




※ ルイ十六世の時代のデュ・バリー夫人はヴェルサイユの北、ルーブシエンヌに館をもらい、さらにたっぷりの年金でお気楽に暮らしていました。彼女はアントワネットが即位した後、ヴェルサイユを追放されています。ヴェルサイユには入りづらい立場でしたので、ここでのお話はデュ・バリー夫人の住むルーブシエンヌに三人を招く流れにしています。




 女優三人のテンションは爆上がりだ! 映画やドラマでもしばしば扱われる、王を虜にした伝説の美女に出会えるなんて!




 二十一世紀に戻った時、デュ・バリー夫人の役をオファーされたら、もう完璧にこなせそうじゃない!




「シャルロット! ありがとう、色々手を尽くしてくださったんでしょ?」 


「デュ・バリー夫人にお会いできるなんて!ありがとう、シャルロット!」


 アイリスとフィービーが口々に言う。



「お礼なんてそんな。お三方は本当に綺麗なので憧れているんです、私」




 目をきらきら輝かせて彼女はアンたちを見る。



 ―――私達、いつのまにかシャルロットに憧れられている。



 このシャルロットの気持ち。これこそ、アントワネットがポリニャック伯爵夫人に向ける気持ちと同質なのだろう。




 女性が憧れる美女のポジション。



 二十一世紀でもそうだったけど―――


 十八世紀でも、、若い女の子たちの憧れとして君臨できそう!



 口には出さずとも、三人全員、心の中で思っている。



”アントワネットを魅了して、ポリニャック伯爵夫人から奪還する!”この任務は実際、相当困難なプロジェクト。こうやってシャルロットに憧れの視線を向けられると、アントワネット奪還の成功率が上がった気分になる。




 そう、三人は憧れられてうぬぼれているのではなく、仕事として自分の美貌をとらえている。




 ヴェルサイユではとにかく人に会う。そこから情報収集していかなくては、マリー・アントワネットにたどり着けない。だから人に会い続けようと考えているが、まだ信用できる人間には出会った気がしない。




✔ メルシー・アルジャントー伯爵 オーストリアの指示で動くからどうなるか不明だし、(18話参照)

✔ エメ男爵夫人 しわを消す化粧水とクリームが欲しいだけ、

✔ エメ男爵 今のところ関係が生まれなさそうな気配で、

✔ エメ男爵夫人のディナーの招待客 少し言葉を交わしただけ、モブ判定決まり



 まとめるとこんな一覧かな。



 まだまだ、ヴェルサイユでのアントワネットにつながる情報収穫の少ない中、シャルロットは本当によくしてくれる。何か心からのお返しをしたい。彼女が喜んでくれるような何か・・・・・・




 そうだ! これが一番じゃないかしら!




「シャルロット。ジャポンのメイク技術はフランスのよりずっとすごいの。あなたの肌をうんと綺麗にできるわ。あなたの結婚式にメイクさせてもらえないかしら?」




 彼女にはこの時代特有の天然痘の痕があり、今でいうあばた面だった。顔立ちは整っていても、顔中のあばたが美貌を損ねているのだ。彼女はそれをすごく気にしている。そしてエメ男爵夫人たちにいじめられている。(23話参照)




 でもそんなの、二十一世紀のメイク技術なら、パテで埋めればなんとでもなる。パテファンデーションであばたを埋めてそこにパウダーを重ねれば、シャルロットの美貌は、普通に今の五倍だろう。シミそばかすも消すしね。頬もバラ色に染めるし。




「え、本当に美肌になれるのですか? そんなことできるのでしょうか?」



 信じられないのも当然のこと。この時代の化粧品って超品質悪いもん。


 ただ、塗ってるだけだし、テクなんてないし、そもそも鉛なまりとか入ってたって言うじゃない?



※ 事実、成分に鉛が入っいてメイクすればするほど肌にダメージがあったようです。



「もちろん、メイク効果でしかないけれど。結婚式の日はものすごく綺麗になるわ。ねえ」



 アンは「ねえ」に続けて、アイリスとフィービーを見る。



「シャルロット、本当よ。あなた、すごく美人になるわ」 フィービーがフォローする。



「そして、つけまつげをお貸しするわ。お式で映えるわよ」 アイリスは、つけまつげをたっぷり持ってきている。美はまつげから、がアイリスのポリシーだ。



 シャルロットはつけまつげという言葉を知らない。だから、理解はできていない。でも、三人から立て続けに美肌になれると聞いて、心に明るいものが生まれていた。



「嬉しいです。本当にありがとうございます」



「結婚式前に一度、練習がてらメイクしてあげるから、また来て。一時間もあれば十分よ」



「はい、もし綺麗な肌になれたなら、あのひとに恥をかかせないですみます。本当にありがとうございます」


 彼女がこんなに喜んだ顔を見せるのも珍しい。やっぱり彼のことが好きなんだろうな。



「デュ・バリー夫人の馬車が明日お迎えに来るそうです、私はご一緒できませんが、楽しんでいらしてください」


「ありがとう。じゃまたね」


 シャルロットは、必要なことを伝えると、嬉々としてアパルトマンを出ていった。



―――


 十八世紀のヴェルサイユに到着して、約一週間がたつ。確実に行動して、アパルトマンと水はしっかり確保できている。




 でも肝心のマリー・アントワネットに会えていない。そんな簡単に会えるとも思ってなかったけれど、頼みの綱のメルシー伯爵はまだ動いてはくれない。それは仕方ないだろう。だって彼は外交官。




 アンたちが本当に信用に足る人間かどうか、オーストリア本国に手紙を送り確認している最中なのだから。返事が戻ってくるまであと一週間。




※ この当時、ヴェルサイユ~ウィーン間は早馬で往復二週間です。(18話参照)




 比較的自由なこの二週間の間に、デュ・バリー夫人に会えるのはラッキーなことだろう。興味本位としても、アントワネット攻略の観点からしても。




 最下層からのぼりつめて、ルイ十五世の愛妾になったデュ・バリー夫人。アントワネットからは徹頭徹尾嫌われていたが、だからこそ、アントワネットの情報を持っているはず。ヴェルサイユ事情にもやたら詳しいだろう。




 色々、聞けると何かと前進するはず。




 そう! 今度はデュ・バリー夫人に気に入られなくては。また化粧水とクリームで行く? それとも何か他のもの? 可愛い石鹸ももってきたし、日持ちのする焼き菓子なども持参している。




「そういえば、言ってなかったわ。私、デュ・バリー夫人用のお土産を特別に持ってきているのよ」




 フィービーが言う。




「専用なの?」 アンとアイリスが言う。




「ええ、彼女にしか通用しないお土産よ」




 なんだろう。今教えてくれないってことは、当日のお楽しみかしら。




 デュ・バリー夫人がどんな女性かはわからない。大体、本などで知ってはいるけれど、実物は違うかもしれない。色々と今日も準備ね。




そして、傾国の美女と、美貌対決もしてみたい。ドキドキする明日。 

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