第34話 美貌復活、バスタイムと温かい食べ物で体を温めて


「ふわぁ~生き返るわ」 アンが嬉しそうに声を出す。




 サンジェルマン伯爵のことは懸案だが、今は少しだけ忘れよう。


 それよりも、一週間ぶりのバスタイムを満喫したい。




 エメ男爵夫人は翌日に従者二人に運ばせ、バスタブを持ってきてくれた。




 美女に絶対必要な、清潔感。ヴェルサイユに来て、一週間足らずだが、それでもシャワーすら浴びられない日々とはこれでサヨナラできる。




 アンは猫足のバスタブに裸のボディをうずめる。バスタブは部屋に直置じかおきされている。


 この時代、浴室はない。タイル張りの床もない。水にぬれても問題ない部屋などないのだ。




 だから、バスタブを部屋に持ち込んで、お湯を張り、入浴をする。




 当然、お湯がまき散らされてしまう。だから、床にはタオルを敷いているが、気は使う。 多少リラックス度は下がるバスタイムではあるけれど。




 お湯に入れるのは嬉しくてしかたない。




「美人はバスタイムで生まれるのよ。はぁ~やっと美を取り戻せるわ」




 タイムスリップした日から、毎日身体を拭くぐらいで過ごしていたのだ。




 二十一世紀から持ってきた、ハーブの入浴剤を入れてセミロングの髪をお湯に浸す。




「あの時、バスタブって言えてよかった」 エメ男爵夫人に追加交渉した時を思い出す。(33話参照)




 タイムスリップにあたり、当分の食料や水などしっかり持参してきた三人。しかし生活用水はどんどん減っていく。水道設備が整っていないので水の確保は、蛇口をひねる、ではないのだ。




 アントワネット奪還プロジェクトより、水の確保が先!! もっと大事!! 命優先!!




 バスタブと水、これが手に入ればポリニャック伯爵夫人との美貌対決も怖くない!


 もちろん、何もしなくても自分たちの方が美しい、とは思っているけれど。




「アン~」 シフォンの声がする。フィービーだ。軽い催促だ! バスタブに入りたいのは三人全員。でもバスタブはひとつだし、お湯も沸かして入れ替えなくてはならない。




 入れ替えにも時間がかかる。バスタブと言っても、栓もないし! 驚くでしょ?




「は~い。そろそろ、バスタイム終了ね。ふぅ。エメ男爵夫人にバスタブ三つって言えばよかったかしら」




 交代で入るのも、お湯の入れ替えがあるから一苦労だ。




「成金でも三つも持ってないわよ、この時代にバスタブ持っていて、入浴する人がそもそもいないんだから」  




 アイリスが隣の部屋から答える。確かに入浴の習慣がないのが十八世紀、ヴェルサイユだ。




 二十一世紀よりもはるかに時間をかけて、三人のバスタイムが終了した。


――――


 お風呂上りの美女三人。持参したバスローブにくるまれて、髪もタオルキャップで包む。ドライヤーが使えないから、自然乾燥になる。ちゃんと考えて速乾性のタオルキャップを持参してきた。ぬからない。濡れた髪で寝るなんて愚の骨頂だもの。




「このタオルキャップ、早く乾くからすごくいいのよ」 用意したフィービーが言う。




「速乾性だと助かるわ、色も可愛いし地厚でいいじゃない!」


「フィービー、細かいところに気づくから嬉しい」




 くつろぎながら食卓を囲む。バスタイムのあとの食事がこんなに嬉しいなんて!


 テーブルには温かい料理が並ぶ。何日ぶりだろう。




 ヴェルサイユに来てからの食事は、ほぼすべて冷たいものばかりだったから。(19話、27話参照)




「温かいものが食べたかったのよ」 フィービーは体調を悪くしていたので、なおさらだろう。




「コールドミールは疲れを癒さないのよね」 アイリスも冷たい食事は苦手だった。




 ところが――― 今日はどうだろう。




 深皿には湯気をたてる豆のシチュウが盛られ、小皿にはエビときのこのアヒージョ、チキンのトマト煮もある。


 ワインもボトルが置かれている。 




 普通に気楽で温かなホームパーティーをしている雰囲気で、結構いい!




 全部二十一世紀からもってきたレトルトか缶詰ばかりでのお料理。一切調理はしてない。


 ただ、シャルロットのアパルトマンのキッチンを借りて温めただけ。あ、パンはシャルロットに貰ったけれど。




 三人は早速、料理に手をつける。



「はあ~缶詰のカスレがこんなに美味しいなんて」


「このアヒージョ、ガーリックの香りがたまらない! 三ツ星レストランのより美味しく感じるわ」


「エメ男爵夫人のディナーのスープってぬるかったじゃない? それを思うと体に染み入るわ」




※ カスレはフランスの豆のシチュウの固有名詞です。アヒージョはニンニクとオリーブオイルで具材を煮込んだものですね。


※ この当時、フランス料理はアツアツでなく、生ぬるいスープなどが出ていたようです。たぶん厨房との距離もあったのでしょう。




 口々に喜びを表現する美女たち。そう、ヴェルサイユとはいえ、今日まで、二十一世紀の災害避難生活みたいなものだったもの。このくらいの喜びは当然よ。




「ところで、アン、アイリス。サンジェルマン伯爵の話、あれはどう考えるの?」




 温かいものを胃に入れてほっとしたのか、シチュウを口に運びながら突然言い出すフィービー。




「昨日までぐったりしていたから、聞くだけになってて何も言えなかった。本当にそのサンジェルマン伯爵っていう人、二十世紀から来たっていうの? 仲間なの? それとも敵なの? どうすればいいの?」




 不安で仕方ないのだろう。でも、アンもアイリスも同じように不安を抱えている。




「仲間っぽくはなかったけれど……かといって、敵ともいえないわ。というか、敵になって何のメリットがあるんだか。そうじゃない?」 




 答えるアイリスの歯切れも今日は悪い。エメ男爵夫人が入室してきたそのあとは、彼とは話せてないから、判断もつけられない。



「私も、仲間じゃないけれど、敵とまでは言えないかなって思う」アンも同調する。



「じゃあ、そのまま、ほったらかしておいていいの?」 




 そこは二人もすごく悩んでいる。



「そのままでいいわけじゃないけれど……マリア・テレジアのタイムスリップに誤差があるって方がもっと気になるのよ。ねぇアイリス?」




「ええ、どっちかっていうと、誤差がまずそう。今はよくても、戻るときに帰る時代に誤差があったら最悪だもの」




 アイリスの言葉に沈黙する二人。





「―――日本の浦島太郎って話、知ってる?」アイリスが続けて言う。そんな話を知っているアメリカ人はいない。二人は首を振る。




「タイムスリップじゃないけど、竜宮城に行って戻ってきたら三百年後だったっていうオチなのよ。それが一番怖いと思わない?」




「三百年後!! 絶対に嫌! 来た意味ない!」 アンとフィービーがハモる。




 確かにそう。戻る時代が二十四世紀だったら、何のために苦労してここまで来たのか意味がない。マリア・テレジアからもらうご褒美は、自分たちが生きている二十一世紀でもらうから価値があるのだ。




「どっちにせよ、サンジェルマン伯爵にはもっと話を聞かなくちゃ。でもあの男、エメ男爵夫人とくっついているから面倒なのよね」 




「そうそう、エメ男爵夫人とどういうつながりなのか。普通あんな女ひととは組まないのに組んでいるっていうのがね」




 アンにはどうやったら、サンジェルマン伯爵から話を聞きだせるのか、まだアイデアはなかった。




―――――




 コンコン、ノックの音がする。誰だろう? サンジェルマン伯爵だろうか? だとしたら少し怖い。




 彼が敵だという明確な判断はまだだけれど……


 友好的とは決していいがたい。まだ何か腹の中に持っているのかもしれない。




 気をつけなくては。 フィービーの顔が一番緊張している。フィービーはサンジェルマン伯爵を見るのは初めてだから仕方ない。




「私がいくわね」 アンが立ちあがりドアに向かう。




――あとがき


ヴェルサイユ宮殿といえば、華やかなイメージですが、ここではリアルのヴェルサイユ宮殿にこだわっています。


ヴェルサイユのアパルトマンと聞くと、お洒落でゴージャスな雰囲気ですが、実際にはキッチンなし、バスルーム無し、がざらにあったようです。トイレは言わずもがな。憧れのヴェルサイユのイメージが崩れてしまいますね。


二十一世紀の暮らす私たちからすると、災害時の避難生活よりハード、、かもしれません。


美女たちはある程度の知識をもって、タイムスリップしています。装備というか準備も考えうる限りしっかりしています。

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