第15話 ここ、もしかしてヴェルサイユ宮殿?


 ドレスに着替えた二人が見たものは、怪しげな魔方陣でも、部屋のど真ん中にできたどす黒い異世界へのトンネルでもない。


 アンの荷物をぐるりと囲んだ紐で作った円だった。




 円というか円形の囲い、だった。




 一応、キャンドルが五本、等間隔におかれているが、火はついていない。




 円の中の一部分のスペースに、アンが準備した荷物が積み上げられている。




 拍子抜け……


 期待外れ……




 もっというと、しょぼい……


 タイムスリップ映画のワンシーンだとしたらダサすぎる。美術チームが黙っちゃいないだろう。


 フィービーの中でもしかしたら、タイムスリップできる可能性もあるのかしら、と思っていた気持ちがすべて弾け飛んだ。


「アン、これ? これなの? この紐の円がタイムスリップの秘密なの? マジ? 絶対無理よ、こんなので無理よ。ねえ、アイリスも思うでしょう?」


 フィービーはやや爆笑に近い笑いで、アイリスに同意を求める。アイリスが答える前に


「フィービー、その気持ちはわかるけれど、マリア・テレジアはこう言ったのよ。紫色の麻ひもと 蜜蝋製のキャンドル五本とフランキンセンスの香油、扇を用意してくれればいいって」


 アンはドレスのスカートを巧みに操り、かがむ。キャンドルに火をつけながらいう。


 フィービーは円のなかのアンの荷物の上に載っている、ピカピカの扇に目ざとく目を向ける。


 シュテファン大聖堂博物館には行ったことはなかったが、今までの経緯で、マリア・テレジアの使っていた扇だろうと想像はつく。




 しかし……




「扇ってそれ、マリア・テレジアの本物じゃなくて入り口で売ってたお土産品でしょ? 十ドルもしないようなレプリカでしょ! それでタイムスリップできるの? 無理よ無理!」


 フィービーがさらに突っ込んでくる。確かにお土産品だった。


 アンはキャンドルの火をつけ終ると、まあまあという口調で、


「でもマリア・テレジアに言われたのがこれなのよ。自分の使っている扇にそっくりなものが入口で売っているから、それを買えって。そこに力を込めるからって」


 と言っても、二人が納得は出来ないだろう。


「アイリスもフィービーもここまで来て、さらに不安になると思うけれど大丈夫、保険はかけてあるわ」


 アイリスとフィービーを見つめながら、


「タイムスリップできなかったら、来てもらったお二人に申し訳ないから、十二時から、予約の取れない『ラ・セゾン』の豪華なランチを予約してあるの。お肉好きのフィービー、お野菜好きのアイリスも両方楽しめる、いいレストランよ」


 アンがフォローを入れる。アンも信じきれないのだろう。


「もしタイムスリップできたら、そのレストランの予約どうなるの?」


 アイリスがこのタイミングでこの質問をする。この状況で、気が回るというか、細かい。



「大丈夫よ、予約の時にお金は支払ってあるの。もし行けなかったら取っておいてって伝えてあるわ」


「そうなのね、だったら心配ないわ、レストランが損しないように気配りしてあげないと申し訳ないから」


 アンとアイリスはなぜこんなずれたやりとりをまともにしているのだろう?


 フィービーは信じられないという口調で、


「アイリス、ちょっと! そこ? そこ? そこじゃないでしょ! タイムスリップできるつもりでいるでしょ! おかしいわよ」



「フィービー、大丈夫、五分後にはわかるから今はアンの言う通りにしましょうよ、ね」


 アイリスはしょぼい円と五本のキャンドルを見てもそれほど感情を乱していないようだった。


「そう、五分後にわかるんだから。二人とも荷物をここに入れて、高さは制限ないけれど、円のなかじゃないとだめらしいから、はみ出さないで」



 アイリスもフィービーも持ってきた荷物を円の中に入れて積み上げる。


 一番上には買ったばかりのバゲットが載っている。今夜の食料も必要だから。


「さあ、いくわよ」


 アンはキャンドルに香油のようなものをたらし始める。匂いが立ちこめる。


「これ、フランキンセンスよ。瓶を渡すから火に垂らして」


 二人はアンからもらった小さな香油の瓶で、それぞれ目の前のキャンドルに垂らす。


 マリア・テレジアからもらった言葉を唱える。


 古代から神聖な香油として使われているフランキンセンスの独特な匂いが火によって強く立ちこめる。


 意識が飛んだ。




~~~~~



 三人はかすむ目であたりを見回した。どうも運河が見える。


 なんだか、頭もぼうっとするし、体がうまく動かない。



 一番最初に立ちあがったのはアイリスだった。



「アン、どうなったの? ここは十八世紀?」


「わからない・・何がある?」


 アンは少しずつ体を起こし、立ちあがる。三人であたりを見回してみる。


 空は二十一世紀と変わらない。美しい。抜けるように青く、雲は白い。土のにおいがする。


 すぐ横を見渡せば、特に乱れた様子もなく、自分たちの荷物が積まれている。


 見た感じ、円陣のなかにレイアウトした時と同じ配置のようだ。


 室内にあった円陣が、そのままのレイアウトで室外に移動したのは間違いない。


 人だけが立っていられず、円の外に倒れてしまったようだつた。間違いなくマリア・テレジアの魔法は効いたのだ。


 遠くをみれば、豪華な建築物が見える。写真で見たヴェルサイユ宮殿と同じだ。何回も見たから間違わない。


「ねえ、あれ、ヴェルサイユ宮殿よね?」フィービーが指をさす。


「ヴェルサイユよ。間違いないわ。どうもアメリカからフランスに移動したことは確かね、そして時代も十八世紀っぽいわね」


 スカートのよれを直しながら答えるアン。


 タイムスリップしようが、パパラッチがいなかろうが、ハリウッド女優。身なりは美しくあらねば。


 ありがたいことに髪の乱れは全くない。


「二十一世紀のアメリカから、十八世紀のフランスに無事着いたってことでよさそうね」


 アイリスがあたりの建物、人の身なり、道路の舗装、そんなものを確かめながら、アンに賛同する。


「どちらにせよ、本当にタイムスリップしたのかどうか、宮殿前に行って聞けばわかるわ。」


 いつも落ち着いているアイリスが先導を取る。


「宮殿前?」フィービーが尋ねる。


「近衛兵がいるじゃないの。あの人に聞けば今ここが十八世紀のフランスかどうか、すぐにわかるはずよ」


「メルシー伯爵のことも聞いてみましょうよ」


 アンがいきなり言いだす。


 三人は人のよさそうな近衛兵(というのは自分たちの美貌にころっと参りそうな、という意味だが)に声をかけた。


「私達、メルシー伯爵にお会いしたいと思ってここに来たのですけれど・・」



 さあ、十八世紀最初の美貌の使いどころだわ!





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