第16話 メルシー伯爵(アントワネットのお守り役)は信じない
三人はわざとらしくない、絶妙な力加減で近衛兵の瞳を見つめる。美貌は控えめに使うからこそ、効果がでるのだ。不安な様子と感じの良さを見せながら、駆け引きする。
そして当然のごとく、勝った。
ここは十八世紀のフランス、ヴェルサイユ宮殿で間違いない。マリア・テレジアの言う通り、タイムスリップできたのだ。
「ま、こんなもんよね、いうこと聞いてくれると思ったわ」勝ち誇るアン、
「近衛兵さん、どぎまぎしていてカワイイ」自分のセクシーさがここでも通じて少し誇らしいフィービー。
「近衛兵が帰ってきてからが勝負でしょ!まだ取り次いでもらえるかどうかなんてわからないわよ」たしなめるアイリス。
~~~~メルシー伯爵のアパルトマン
ヴェルサイユ宮殿の一室。メルシー=アルジャントー伯爵の居室だ。
正確にはフロリモン=クロード・ド・メルシー=アルジャントー伯爵という。
外交官としてマリア・テレジアの信頼があつく、マリー・アントワネットのお目付け役をこなしている。
部屋に通された先ほどの近衛兵が話しかける。
「伯爵様、今若い女性三人がメルシー伯爵さまにお目通りしたいと待っておられます。なんでもマリア・テレジア様のご意思でヴェルサイユに来たとかで」
「私に女性三人?」
趣味のいい机に向かい、本を手に取ったまま、首をほんの少し近衛兵に向けて、さほど興味もなく、愛想もなく答える。
「はい、オーストリアの方には見えないのですが、それはそれは、素晴らしいダイヤモンドのネックレスを身に着けておられ、もしかしたらと、取り次がせていただいた次第です」
「素晴らしいダイヤモンドのネックレスだと? 本物か? おおかた最近出回り始めたラインストーンではないのか?」
今、アクセサリーに多用されるラインストーンが生まれたのは、ちょうどこの十八世紀だった。
「とにかくそんな馬鹿なことはありませんよ、この私自身がシェーンブルンから聞いておらぬし、第一、マリア・テレジア陛下はもうお亡くなりなのですから」
「はい、私もそう思って、三人に言ったのですが、生前のマリア・テレジア様からマリー・アントワネット様を助けるよう言われたと。身なりも変わってはいますが綺麗です。上品な女性です。そして伯爵さまがマリア・テレジア様に書いた手紙の内容を一部聞いていると言っています。ですので……もしかして? と思いまして」
近衛兵は、食い下がる。美女三人に頼られて頑張らなくては! というパワーがそうさせるのだろう。
メルシー伯爵の投げやりだった視線が、近衛兵の目にしっかりと照準が合う。
マリア・テレジア様に直接出した手紙の内容を知っている……?
手紙の一部としても、それを知っているのはマリア・テレジア陛下と彼女がご自身の意思で見せた相手に限られる……
その三人、本物か? 生前のマリア・テレジア様からは何も聞いてない。 メルシー伯は様々なケースを頭のなかで考え、そのどれにも思い当たるところがなかった。
薄気味が悪いが、女性三人で詐欺なのか? この私を相手に……それとも、生前のマリア・テレジア様の指令が今、伝わっているのだろうか?
「では、いったんその女性たちをここへ通してくれ」
「かしこまりました」
~~~
美女たちはヴェルサイユ宮殿のなかを案内され、メルシー伯爵の居室に向かう。重いトランク類は、ほかの人間が持ってくれた。
とうとう二十一世紀のヴェルサイユではなく、本物の十八世紀のヴェルサイユに来られたのだ!でも観光する余裕などない。
「これはこれはようこそ、ヴェルサイユへ」
うやうやしく挨拶をするメルシー伯爵。でもどことなく、よそよそしい優しさが漂う。
彼はオーストリア大使としてヴェルサイユ宮殿に住んでいたが、実際はベルギー人だった。 マリア・テレジアに見込まれ、在フランスオーストリア大使として就任しているのだった。
近衛兵同様にアイリスのラインストーンのネックレスをまじまじとみる。彼女の白いデコルテを五連のラインストーンが、きらきらと輝いている。二十一世紀の人間がみたら、ただただなめらかで美しい、女性のデコルテとネックレス・・
だが、コスチュームジュエリーは二十世紀にココシャネルが作ったもので、この時代は、すべて本物の宝石だ。
だから、今の時代のアクセサリーを見ても視点が違う。
「ダイヤモンド、か?」だ。
「いやだ、本物と思われている?」アイリスは首元に思わず手をやり、居心地の悪さを感じた。
十八世紀のヴェルサイユ宮殿ならば、ドレスと宝石が必要だろうと思って着けてきたものだが、粒自体は大きくはない。
直径五cmのラインストーン一粒を使ったネックレスなら、真偽問題が出てもおかしくないが、二~三㎜の粒を使ったネックレスでこれほど注目を浴びる?
答えはきらめきだった。この時代のカットはブリリアントカットはないのだ。だから、ダイヤモンドといえど光らない。
なのにアイリスの五連ネックレスは、キラキラ光っていたから。
何かこの雰囲気、まずいの?と思ったアンが先に口を開く。
「メルシー伯爵さま、私はマリア・テレジア様にひそかに依頼を受けてここへ参りました」
メルシー伯はアイリスのデコルテからすっと視線を3人にもどした。さすが貴族。その動きは優雅というよりなかった。
「ほう、マリア・テレジア様とおっしゃるかな。もう亡くなられて、この世にはおられぬ方だ。なのに、どんな依頼を?」
「ごもっともです。私はひそかに遣わされたもの、決して公の存在ではありません」
アンは続ける。
「私が知らないなどというのはありえないことなのですよ、私はオーストリア大使なのですから」
「お信じになれないのはよくわかります。マリア・テレジア様とお手紙の交換をされていらっしゃった伯爵さまがマリア・テレジア様のご依頼を知らないなんて。ありえないことですものね」
アイリスが加勢に入る。
「でもそれでも私たちはマリア・テレジア様に依頼されてヴェルサイユに参ったのです」
「マリア・テレジア様はメルシー伯爵さまと書簡を交換されていたでしょう?私たちはその内容を一部ですけれど存じております。たとえば――――――」
アイリスが絶妙なためを効かせる。
「マリア・テレジア様はアントワネット様がローゼンベルク伯爵へ出した手紙のことで、大変悩んでおいででメルシー伯ともやりとりなさったのではありませんか?」
注)これは事実です。マリー・アントワネットはうっかり夫(ルイ16世)の愚痴をぺらぺらローゼンベルク伯爵に王妃らしからぬ、かる~い文体の手紙で吐露しています。それを知ったマリア・テレジア、息子のヨーゼフ2世(アントワネットの兄)とメルシー伯爵はこれがどこかから漏れて大ごとにならないかと心配していたのですね。
その瞬間、メルシー伯の目が驚きの表現に変わった。
その一瞬を逃さず、アンは続けていく。
「私たちがマリア・テレジアさまに依頼されたのは、ポリニャック伯爵夫人からアントワネット様を取り返すこと」
アンはメルシー伯の目をまっすぐ見つめた。
続いてアイリスが落ち着いた声で続ける。
「メルシー伯爵、信じられないのも無理はありません。それでも私たちはマリア・テレジアさまの依頼できております。『ポリニャック伯爵夫人からアントワネット様を救うようにと』」
優雅で慇懃無礼なメルシー伯爵の表情ががらりと変わる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます