第2話 「扇」の話は・・長い!
今 何か聞こえた?
娘の目がなんとかと言っていた気が…… 近くで声をかけられたような、遠くから聞こえたような不思議な声。
目の前のガラスケース。このケースのほうから聞こえた気がした。
いやいや、ガラスケースはしゃべらない、となると、向こう側に人がいる?
でも向こう側には誰もいない。
??
「そなた、私の娘、アントーニアの目を覚ましてくださらぬか?」
二回目だ。
声を発しているのは目の前の扇だった。いや、扇から声が出ているように感じた。
「今、アントーニアって聞こえたけれど、何……?」
アンは大きな瞳をさらに見開いた。まさか……
「幻聴? 何よ、そこまで疲れてないわよ、オーディションに落ちたくらいで 幻聴はないわ!!」
いや、オーディションに落ちてはいるし、それは悲しい。でも、幻聴が聞こえるとかさすがにおかしい。
ショックで精神に異常をきたしたのかしら?
ううん、そんな弱い精神でハリウッド女優なんてやってられない。
そんなことはありえない。
周りの人には声は聞こえるのだろうか? あたりを見回してみる。誰も聞こえていないようだ。何? 何なの?
「そこの可愛い美女よ。あなたに話しかけているのですよ。私はマリア・テレジア。私の娘、アントーニアの目を覚ましてくださらぬか? そうお願いしているのです」
可愛い美女、そういわれて、自分が話しかけられていると確信するアン。
いや確かに美人は当たっているけれど、今はそこじゃない!!
声はやはり扇だ。そしてマリア・テレジアと名乗った。それもどうも、自分にだけ聞こえる声っぽい……
「そう、そなたに話しかけている。私はそなたのような人が来てくれるのをずっと待っていました。どうぞ立ち去らず、私の話を聞いてほしい」
アンは扇の前から一歩も動けなくなった。何が起きたのか全く分からない。
とにかくおかしい。なにかヤバそう。良い事じゃなさそう。
くるりと背を向けてこの場を離れたほうがいい? それが安全よね? でもそれも怖い。 逃げたとたん、何かに襲われたりする可能性だってあるじゃないの!
アンはしばらく動けずに、脚の位置もショルダーバッグにかけた手の位置も固まったままだったが、意を決して、言葉を頭の中に浮かべた。口に出さずに思い浮かべたのだ。
「わかりました。あなたのお話を伺います」
「ありがとう。もう一度名乗りましょう。私の名前はマリア・テレジア。オーストリア女王」
何てこと!!! 言葉が通じてしまう!!
それにしても、威厳のある声だ。
いかにも女王らしい。
「女帝マリア・テレジア。お名前はよく存じています。賢明な女王でオーストリアを率いた政治家と伺っています」
アンはそつなく社交辞令をこなす。
でも、これは言わねば。率直で果敢なのが性格なんだから!
「……もう亡くなられているはずですよね?」
何が起きたのか、全くつかめないままアンは、歴史の知識を披露した。
「そう、私はもう何世紀も前にこの世を去りました。ただ私の魂はこの扇の中に残っているのです。
そして私は長い間、娘を助けてくれる人を探し続けてここで待っていました」
ちょっと! 待っていたって何?
さらにリアクションに困るんだけど!
アンは答えられない。こんなことを聞かされて、すぐにリアクションできる人はいないだろう。女優は台本あってなんぼなのだから。
マリア・テレジアはアンの戸惑いは完全スルー。
「私を知っているのなら、娘のこともご存じか? 娘の名前はマリア・アントーニア。いや、フランス王妃マリー・アントワネットと言ったほうがよく知られているかもしれない」
アンはそうか、アントーニアというのは、マリー・アントワネットのオーストリア名だったとここで初めて思い出した。
「ええ、マリー・アントワネットはとても有名ですから、大体の人が知っているのではないかしら? 私のようなアメリカ人でも」
「ならば話が早い。娘を救いに行ってほしい」
何を言いだすの、扇のくせに。
「マリー・アントワネットを救いに行けっておっしゃいましたか? それはいったい?」
言葉一つ一つはわからない言葉はない。
でも意味は全く分からない会話のやり取りだった。
アンはいったいこの会話が何なのか、疲労のあまりの幻聴なのか、何も考えられずただ頭の中に言葉を思い浮かべた。
「ポリニャック伯爵夫人から助けてほしいのだ」
「え? ポリニャック伯爵夫人ですって?」
自分が演じるつもりだった役柄ではないか。
「そう、フランス貴族のポリニャック伯爵夫人から娘を救ってほしい。ポリニャック伯爵夫人は娘に言葉巧みに近づき、私腹を肥やしている。このままだと娘が間違った方向に行ってしまう、それを助けてほしい」
なに、なに、なんなの? 私の精神はまだ正常のはず。間違いなく正常よ! でもポリニャック伯爵夫人が出てくるなんて! 嫌な経験すると夢に出るというあれみたいなもの?
オーディションに落ちたから、立ったままでも、こんな幻聴が聞こえるの?
違う違う、絶対に違う。私はそんなひ弱じゃない。
ハリウッド女優はみんなメンタル強めよ。だったら一体何が起きたっていうのよ?
大丈夫、ここから脱却する方法があるわ!
それはーーー
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