第3話 ぐいぐい無茶を言い続ける わがままな「扇」
幻聴なのか現実なのかわからない今。この場を抜け出すには、とにかく質問じゃない?
扇に質問をすればいいのよ!
「ポリニャック伯爵夫人から救う?」
面倒なトラブルだけは押し付けないでよ。
「マリア・テレジア陛下」
アンは頭の中で、一言一言をを区切りながらはっきり伝えた。
「陛下、マリー・アントワネット様はもう亡くなられています」
アンからするとアントワネットは呼び捨てでいい相手ではあるが、マリア・テレジアに敬意を払い、様をつけた。
「1793年、フランス革命にて命を落とされました」
役になり切ろうとして調べた周辺知識が役立ち、年号がスラスラ出てくる。
「……わかっておる。わかっておる。私はここで人の話を聞いた。扇となり、ここにいて彼女の最後を確かに知っている」
「でしたら、陛下は何をおっしゃっているの?」
「私がそなたに頼みたいのは、十八世紀に戻って、フランスヴェルサイユ宮殿にいる彼女を救うことだ」
「十八世紀に戻る?……」
ますますおかしな方向に話が進んでいく。やっぱり、幻聴? なにこれ? この系の映画を見すぎたかしら?
「いえ、マリア・テレジア陛下、それはどれだけ陛下が政治家として有力であったとしても無理かと思うのですが……」
まじめに答えてしまった。そんな自分がちょっと恥ずかしいかも。
「いや、私にはその能力がある、私はそなたを18世紀に送りこむ力を得ている。そなたはあと二人の女性とともに、わが娘を救いに行ってほしい」
全く、わからない。
大聖堂博物館の中で一人立ち尽くし、どこからともなくこんな話を聞かされても……
こんなところにいつまでも突っ立っていたら、ハリウッド女優だってばれるじゃないの!
アンはそっちが気になる。
SNSにぼんやりしているところなんて誰かにアップされたら、オーディションに落ちて傷心の女優、とか書かれるのよ!
大恥でしかない、大事故でしかないじゃないの!! 冗談じゃないわ!
サングラスしていても、わかる人にはわかるのよ。一応人気女優よ。オーストリアでも私の映画、上映されているんだから。
でもマリア・テレジアはお構いなしだった。
「私は1780年に力尽き、すでに二百年以上が経つ。その間、世界が変わるのを見つめながら、息子や娘、孫、そして祖国のことを考え続けていた。
私の息子や娘がすべて幸せになったわけではないが、末娘、マリア・アントーニアのことはいまだに後悔ばかりが残っている。フランスにやるのではなかったと……」
「扇となってみている今の時代は素晴らしい。祖国のことよりも家族を優先できるそうではないか。
私の時代はそうではなかった。私は息子、娘のことも思っていたが、それでもそれ以上に祖国を優先して生きてきた。それを今たまらなく後悔しているのだ」
マリア・テレジアはどんどん続けてくる。
話が長く、一方的なタイプだ。女帝にありがちなタイプなのだろうか。アンはじりじりする。
「息子たち孫たちも祖国を大切に思うあまり、妹や血縁であるマリア・アントーニアを革命から救うことなく、民衆の激動にアントーニアの命をまかせてしまった。それが後悔しても後悔しきれぬ思いなのだ」
過去を思い出してしまうのね。そういう時、ある。さっきよりは少し、聞いてあげたくなる。
「今この時代に私が生きていたら、あんな選択など決してしなかったものを……フランスにやらなければよかった。そう思う気持ちは年々強くなり、私の念はこの扇に宿るようになり、私は不思議な能力を得たのだ」
まだ終わらないのね。 そうよね、お年ですもの。このまま、どんどん長くなりそう……
「私にはいつの間にか、時空を超える能力が身に付いた。もちろん私が行くのではない、誰かを過去へ送ることができるようになったのだ。アン、そなたともう二人の女性を連れてアントーニアを救ってほしい。もちろん革命の時代に行くのではない。
それ以前のアントーニアがポリニャック伯爵夫人の言いなりになって、フランス国庫のお金をいわれるがままに出していたころだ。その頃であれば、そなたの身に危険などない」
アンはマリア・テレジアの娘を思う気持ちを聞くと、少し同情の気持ちを持つ。
確かにマリア・テレジアが娘マリー・アントワネットを「フランスとの同盟のため」に嫁にやったことはよく知られている。
彼女の娘の中では、当時もっとも裕福な国に嫁いだことで一見、アントワネットがマリア・テレジアに最も愛されていたように思えるが、それは誤解だ。
実際のところは、ルイ十六世と年齢が釣り合うほかの娘が亡くなってしまい、仕方なくマリー・アントワネットにお鉢が回ってきただけだ。
私だって娘がいたら、平和で幸せな家庭に嫁がせたいもの。マリア・テレジアの気持ちはわからないでもないわ。
でも、ほら。
そもそもそんな 二百年以上前の女帝の「後悔話」を 聞かされても……困るんだけど。
第一、会話も成り立ってないし。
「アンとやら。そなたの美貌で娘をポリニャック伯爵夫人から引きはがしてもらえぬか」
あら陛下、美貌っておっしゃいました? お上手なマリア・テレジア様だこと。
美貌を褒められて、多少気を良くするアン。
ハリウッドでもその美貌を謳われるアン。どれだけ褒められていても飽きるかというと飽きない。やっぱり悪い気はしなかった。
しかし、目の前の状況はどれだけ長話を聞いてもさっぱり……だ。
「私の美貌? 陛下、どうやったらそんな大きなことが私にできるのでしょう?」
直球で聞かないと話が長くなりそう、どころか終わらなさそう。
「私はアントーニアの母、公務で忙しくそれほど構ってはやれなかったが、それでも彼女のことは一番よく知っています。彼女が何を愛し、何にもろいのか」
アンはポリニャック伯爵夫人の役をもらうためにいくつか読んだ本のなかに、マリア・テレジアとアントワネットの書簡のやりとりがあったことを思い出した。
そのなかでマリア・テレジアが細かく、娘マリー・アントワネットの気質を理解していたことを思い出した。
(※ 事実です、『マリー・アントワネットとマリア・テレジア 秘密の往復書簡』 岩波書店)
「もちろん、褒美も用意しよう。そなたの望むものを下賜かししようではないか。映画の主役が望みなら、それも与えよう」
「映画の主役ですって?」
一瞬でアンの意識がはっきりする。まさしくアンの欲しいものはそれだ。
でもなぜわかるの? 何も話していないわよ、私は。女優だとも話してないわよね?
扇なんかに、私が天下のハリウッド女優だってわかるわけ?
マリア・テレジアは女優だと見抜いただけではなく、オーディションに落ちて、沈んでいることまでわかっているのだ。
何なの? 何なの? 声が聞こえるだけで十分、怪しいのに。
これ以上、謎を増やすのはやめて!
私は面倒なことは嫌いなのよ。
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