第38話 伝説の美女はジャポンの人気者?



 フィービーは目に尊敬の色を浮かべる。そして缶詰を手に取り、少し斜めに傾ける。


 正面の『コンテスデュ・バリー』の文字がデュ・バリー夫人によく見えるように配慮だろう。


https://www.comtessedubarry.com/terrines-rillettes.html

↑↑ コンテスデュバリーブランドのサイト



 事実、デュ・バリー夫人はピンクとグリーンのラベルに目が釘付けになっている。




「デュ・バリー夫人。極東の国、ジャポンでも夫人の美しさや優しさは評判ですの。国民の敬愛の意を込めて、コンテスデュ・バリーのブランドで商品を作っているのです」




※ コンテスは伯爵夫人の意味です。




―――そうか、フィービーのやりたいことがわかってきた。




● デュ・バリー夫人の 「存在とその威光」 が、遠くジャポンにまで伝わっている。


● その証拠に『コンテスデュ・バリー』ブランドの商品が作られている。




 この二つを伝えることで、デュ・バリー夫人を喜ばせようと思ったのだろう。


 そう考えると確かに デュ・バリー夫人専用の特別なプレゼントなのだ。この缶詰は。




――でも、国の場所すら知らない外国人が、いきなり現れてよ、




「は~い、あなたの名前はうちの国まで評判が届いていて、お名前を冠した商品まで作られているんですよ、すごいですね~」と言われて、信じる人っている?




 そもそもジャポンの商品だと言いながら、フランス語表記だし、もっというと缶詰なんてこの時代の人は何なのかわかるわけないし。むしろ、怪しまれる可能性の方が高いのでは? 詐欺だと思われても決しておかしくない。メルシー伯爵ならきっと、詐欺を疑うだろう。




 そう思うと、アンとアイリスの緊張はフィービーの意図を理解したあとも、溶けてはいかなかった。





――しかし、心底驚いたのはこのあとだった。




「ま、まあ。なんてことなの! 素晴らしいわ。私の名前がそんな遠くにまで伝わっているなんて!!」




――――なんと!




デュ・バリー夫人は、あっさり信じた――――――――


アンは一瞬、耳を疑う。


アイリスに至っては、デュ・バリー夫人の表情を横目で観察している!




「はい、そうなんです。夫人はジャポンでも有名なかたでいらっしゃいます」




「まあ、有名だなんて。どうしましょう? なんだか恥ずかしいわ」 




 デュ・バリー夫人は両手を頬にあてる。彼女は来年には四十才だったが、その姿には少女のようなはにかみがあり、とても可愛らしい。そして白い腕がむっちりしていて、セクシー。




「変な評判じゃないかしら? ね、私はジャポンでどんなふうに伝わっているの?」




「お美しくて、お優しい。そして運命の女神が差し伸べた手を必ずつかむ幸運の方と」




「まあ、そんな風に! 悪い評判じゃなくてよかったわ!」 




 デュ・バリー夫人は目の前で手を合わせ、目をつぶる。感極まったようだった。




 世界一のモテ女は、同時に毀誉褒貶きようほうへんも激しい人。それがまさか、ジャポンでよい評判が流れていると知り(嘘だけど)心の底から嬉しかったのだろう。




「今日は嬉しい日だわ! お天気もいいし、こんなに素敵なお客様がいらしてくださってこんなプレゼントまでいただけるなんて。本当に素敵な日よ」




 デュ・バリー夫人はフィービーの仕掛けた舞台に何ら疑問を抱かなかった。


それどころか、三人の期待通り、舞台で踊ってくれた。




 普通、色々と突っ込むところに気づいて、質問すると思うのだけど。




「でも、ジャポンでもフランス語を使っているの?」 




 あらやっと、誰もが感じるだろう疑問について質問が来た。これがなかったら、デュ・バリー夫人の知性を完全に疑うところだった。




「そうなのです。フランス語は遠くのジャポンにも伝わっているのです。もちろん文字だけですので、私たちの会話はつたないのですが」




 上手いフィービー。




 ジャポンはフランス語が公用語ではなく、第二外国語的に存在するのだと言っている。


 これなら、なんとかぎりぎり、自分たちのフランス語のレベルの低さをごまかせる破綻のない嘘でいいじゃない!




「まあ、そうなのね。フランス語はそんな遠くまで。やはり、ルイ十五世さまはやはり素晴らしかったのだわ」 




 ルイ十五世が素晴らしいから、フランス語が遠くまで伝わっていると彼女の中で話をつなげている。そして、すでに亡くなって八年ほど経つ彼を思い出したのだろうか、すこししんみりしたトーンになる彼女。




「はい、もちろんルイ十五世さまは素晴らしいお方でいらっしゃいます。でもジャポンではデュ・バリー夫人のファンの方が多いんですよ」




 フィービーはデュ・バリー夫人が喜ぶようなことをしれっと付け加える。そのとたん、




「私のファンですって? ジャポンに私のファンの方が?」 




 デュ・バリー夫人は更に喜ぶ。フィービーが次に何をいうのか、わくわくしているような、そんな感じにすら見える。




 アンとアイリスはデュ・バリー夫人のよく言えば素直、悪く言えば信じやすい性格に驚いた。




 でももう一つ驚いたのが、いつもと違うフィービーの態度だった。彼女のもともとの性格はどちらかというと遠慮がちで、主張強く、人を押しのけ、蹴落としガンガン行くタイプではない。




 このタイムスリップもアイリスに誘われて、アイリスとセットで来た感じすら漂っている。




 それなのに――




「ええ、この缶の中身はテリーヌなんです。でも特別なものです。私たちがフランスへ行くと知ったら特別に美味しいものを職人たちが作ってくれてそれを詰めてきたんです。よかったらこれからご賞味いただけませんか?」




「私のために特別にテリーヌを?」




「ええ、コンテスデュ・バリーのお名前を勝手に借りていたからには、お詫びとこれ以上ない賛美を現したいと職人たちがいいまして。皆が結集して最上級のものを作ってまいりました」




「なんて光栄なのでしょう。遠くの異国の方がそんな風に私のことを思ってくださるなんて!私、そのテリーヌを今すぐにでもいただきたくなったわ!」




「ええ、ぜひご賞味ください。ただ、この外側の缶は、持ち帰らなくてはならなくて、そこだけどうかご容赦ください。職人たち曰く、この缶はジャポンの空気以外の場所だと、あまりよくないらしくて」




 缶は渡さない流れで言葉を紡ぐフィービー。




――アンとアイリスは、ホッとする。フィービーはしっかりすべてわかったうえで、この舞台を用意しているのだ。




 そうだったわ。フィービーは「バカっぽく見えてバカじゃない女優」ランキングで一位だった。そうか、フィービーはすべてわかっていたのよね。でも、さっきは本当に肝を冷やしたわ。でも缶を持ち帰るこじつけは、、うまくない。




「あら、残念ね。でもジャポンの職人の方がおっしゃるなら仕方ないわね・・・・・・」




 『コンテスデュバリー』の名前が書かれている缶が彼女にとって大切なのだろうに、フィービーの言葉に素直にしたがってくれる。




 彼女はエメ男爵夫人のようにゴネたり、物事をややこしくしたりはしないタイプなのだ。助かることこの上ない。




「では開け方も特殊ですので、厨房をお借りしてそこで開けてまいります。使用人の方をお貸しいただければ、すぐにお皿に盛りつけて、こちらにお持ちいたしますわ」




 アンもアイリスもようやく、この舞台は美しい台本通り進んでいると確信できた。




「フィービー。厨房で缶を開けるのは私とアイリスでやるわ。あなたはここでデュ・バリー夫人とお話していて」 




 フィービーがデュ・バリー夫人にこだわっていたのを思い出した。だから残りの二人が厨房へ行き、缶をあけ、缶を回収する役目を引き受けようと思ったのだ。 そうすればフィービーは心ゆくまで、デュ・バリー夫人と話せるしね。




「本当? じゃあ、お願いするわ」 フィービーは嬉々としてアンの申し出を受けいれた。そして、持参してきた小さな缶切りを、アンに渡す。いつも部屋でつかっているやつだった。




 アイリスは目の前の缶詰を回収する。手に取った缶詰を、デュ・バリー夫人にしっかり見せる。何があってもここに残すわけにはいかない。彼女の自尊心を満足させる『コンテスデュ・バリー』の文字は目に焼き付けてもらうくらいしかできないのだ。



https://www.comtessedubarry.com/terrines-rillettes.html

↑↑ コンテスデュバリーブランドのサイト


 デュ・バリー夫人は隣の部屋に控えていた小間使いを呼び、アンとアイリスを厨房に連れていくよう指示を伝える。




「じゃあ、フィービーさん。二人でゆっくりお話ししましょう」 デュ・バリー夫人は、次々に褒めてくれるフィービーが特に気に入ったようだった。もっと話を聞きたくてたまらない、といった様子だ。




 ジャポンでデュ・バリー夫人のファンが多いなんて、嘘八百で心が痛むけれど、しょうがない。




 二十一世紀のアメリカから、マリア・テレジアの力でタイムスリップしたなんて事実の方がもっと言えないもん。




 でも、フィービーはデュ・バリー夫人と何を話すんだろう。帰りの馬車でしっかり聞かなくちゃ。




―――あとがき


デュ・バリー夫人は大体悪役に描かれることが多いです。しかし、実際のところはそんな人ではありませんでした。ここでの会話は完全なフィクションですが、こんな感じの素直で気さくで、お相手がついなごんでしまう、こんなタイプだったと推測しています。その物事を深く考えない性格は良く働く時もありましたが、フランス革命の際には、マイナスに働いてしまいました。

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