第37話 ルーブシエンヌでなぜか 絶体絶命!




 通された控えの間らしき部屋で、ドキドキしながら会話をする三人。




「今日はどうして彼女が王をたらしこめたのか、絶対に探るつもり」




「きっと、目で男を殺すタイプだと思うわよ」




 デュ・バリー夫人のモテ女っぷりの理由が今日わかるのだ! 興奮! 好奇心全開!




 アンとアイリスの軽口に、




「愛妾になれたのは、そういうわかりやすいところじゃない気がするのよね」フィービーが言う。




 そこへデュ・バリー夫人がゆっくりと微笑みながら入ってきた。




「ようこそ、ルーブシエンヌへ。今日を楽しみにしていたのよ。どうぞゆっくりなさって」




 声は穏やかで心地よい。




「マダムデュ・バリー。お招きいただいて本当にありがとうございます。お目にかかれて心の底から感激しています」 三人は口々に言う。




「ジャポンからいらしたのでしょう? 感激なのはこちらよ」




 不思議。 エメ男爵夫人なんかよりもずっと感じがいい。




 デュ・バリー夫人とエメ男爵夫人には共通点がある。それは二人とも成り上がりだということ。




 でも、デュ・バリー夫人の成り上がりに比べたら、エメ男爵夫人のそれは百万分の一くらい。


 だって爵位を頑張って買う程度だもの。(29話)




 デュ・バリー夫人。元の名前はマリ=ジャンヌ・ベキュー。


 十八世紀当時、世界一の成り上がり美女。




 最下層にいる「売春婦」が フランス国王の 「正式愛妾」 にまで上り詰めた、特例中の特例。




 フランス特有のシステムの公式愛妾。なるには貴族出身が絶対条件だ。売春婦なんかには針の先ほどの可能性もチャンスもないのに、彼女は様々なチャンスをものにし、自分の美貌を使い、上り詰めたのだ。




※ 公式愛妾は、フランス国王の正式な愛人です。王妃と同様か場合によってはそれ以上の存在で公式の場もガンガン取り仕切り、国民にも広く知られる存在です。このシステムはブルボン朝の前の王朝、ヴァロア朝のシャルル七世からスタートしています。アニエス・ソレルが最初の公式愛妾ですね。




 栄耀栄華はルイ十五世が亡くなるまでのたった六年ほどではあったけれど。




 そのあとは一時の修道院生活を経て、ルイ十五世から貰っていたこのルーブシエンヌで、暮らしてもう六年ほどが経つ。




 年金をフランス政府からもらって、仕事もせず、好きなことだけをして暮らしている。




「ヴェルサイユには、デュ・バリー夫人の居場所などもうありません!」




 こんな風にアントワネットが目を光らせていてヴェルサイユにこそ住めないが、かといって、ルーブシエンヌの暮らしが辛いかというと、そんなことはなく。




――ヴェルサイユより楽な生活だった。




 お金の心配はない。友人に困ることもない。最下層出身でありながら、ヴェルサイユの六年間で彼女はコミュニケーション力を駆使して、たくさんの貴族の友達を作っていた。




 そういった貴族たちは、デュ・バリー夫人が追放された後も、彼女の居城を訪問して楽しい時間を過ごしていたし、ある貴族などはデュ・バリー夫人と恋仲になっていたから。




 お金、友人、恋、自由。全部持っていた。




 この時の夫人は三十九才。 ハリウッド女優三人よりは少し年上の彼女。




 生まれて初めてみる、魔性の美女、デュ・バリー夫人。


 ハリウッド女優三人は、彼女の美貌を丹念に確かめる。


 ぱっと見、時代の差もあって、少し年上というよりは十才くらいは年上に見える。




 それほどスリムではない。背は高いが、どちらかというとふっくらした容姿でダイエットには熱心じゃなさそう。売春婦という言葉に付きまとう、下品さや粗野さはない。むしろ上品。




 小作りの顔立ちと眠そうな決して大きすぎない目元が、いかにも人好きがして、「男性が好きそうな顔だな」と心の中で三人は思う。




「とにかく、お菓子とお茶を召し上がって。今日はとびきりおいしいお菓子を焼かせましたのよ」




 彼女自ら、にこやかに奥の部屋に案内してくれる。このフランクさは一体どうだろう。




 奥の部屋に続く扉は豪華なつくりだった。この先にある部屋は特別ゴージャスなのだろうと想像をつける。




 ドアがゆっくりと開かれる。三人はドキドキしながら足を踏み入れる。




 ん? きらびやか……じゃない? 




 豪華な扉の奥にあったのは、こじんまりとした小さな部屋だった。




 窓からは気持ちのいい景色が見えて、いかにも女性がリラックスできる可愛らしい部屋がそこにあった。




 壁紙は淡いクリームカラーに赤の小さな花がちりばめられているものだった。ヴェルサイユに比べたら、豪華ではないけれど、いかつさや仰々しさはここにはない。




「うわあ、かわいいお部屋!」




「本当? 気に入っていただけて良かったわ、さあお座りになって」




 三人が勧められたのは丸テーブルだった。四人がちょうどバランスよく座れるくらいの。


 アンとアイリスは気を利かせてフィービーがデュ・バリー夫人の正面になるように、夫人の横に座る。フィービーが真正面で夫人を見られるように。




「シャルロットから聞いたら、あなたたちにどうしても会いたくなって」 嬉しいことを言ってくれる。化粧水とクリームの興味があるのだろうけれど、上から目線が全くない。




「あの、こちら、よろしければお使いください」 アンは小さなプレゼントを渡す。もちろんスキンケアに使う例のクリームと化粧水だ。




「嬉しい、今ヴェルサイユでもちきりのあれかしら?」




「いいえ、ヴェルサイユでお渡ししたのよりも、もっと効果のあるものです」




 エメ男爵夫人のは数ドル程度。こっちは百ドル以上するから効果は抜群のはず。ごめんね、エメ男爵夫人。ランク付けしちゃって。




「まあ、楽しみだわ。今夜さっそく使わせていただこうっと」




 プレゼントの包みをすぐに開けるデュ・バリー夫人。全くかしこまったところや、しなくていい遠回し表現がない。




 三人はあらためてデュ・バリー夫人のドレスを見る。




 色は淡いアイボリーホワイト。彼女は白が好きだったと何かで読んだが確かにお似合いだ。




 どちらかというと、おとなしいデザインの部類にはいるだろう。ただ、首元と耳元にはエメラルドのネックレスとイヤリングが輝いている。




 自宅で、エメラルド! それも首と耳のダブル!




 大粒なので、両耳と首元だけでも、上半身だけが見えるテーブルであれば、美しい差し色になっている。




 多分、今買ったら、五千万円以上の価値になるんじゃないかな。


 大粒エメラルドの日常使い…… ハリウッド女優でも、びっくりする。








「――実はもうひとつ、プレゼントがございます」 フィービーが言いながら、テーブルの上にあるものを載せた。




 ピンク色と淡いグリーンの手のひらサイズのそれは……




―――あら、なあにそれ?? アンとアイリスはお互いの目を見る。




 テーブルの上に載せたものは…… 缶詰、だった。




――な、なんですって!! 缶詰!!




 これはまずい――――


 フィービー、なんてことするのよ!!!




 缶詰はまずいのよ。こんなもの、渡せないでしょ!




 缶詰は十八世紀に発明されていないモノなのよ! だから渡しちゃダメ! デュ・バリー夫人に渡してしまって、もし歴史が変わったらどうするのよ!(10話参照)




 事前に、さんざん話し合ってきたじゃないの! フィービー! 


 ビン詰ですら、ナポレオン時代に発明の兆しがうまれていただけなんだから! 


 缶詰なんてさらにそのあとに作られたのよ!




 昨日、フィービーがデュ・バリー夫人専用のプレゼントがあるって言った時、確認すればよかった。缶詰自体は自分たちの食料として、たくさんもってきたから今まで気づきもしなかった。




 フィービーが差し出した缶詰。綺麗なピンクのラベルのとグリーンの紙が巻かれている。


 テーブルの上でもその可愛い色は 存在を主張しているじゃあないの!!




 アンとアイリスの背中に冷たいものが走る。




――だめ、缶詰を渡してはだめ。タイムスリップする時、絶対にやっちゃダメなやつなんだから。




 ああ、たった数分でいいから時間を巻き戻したい!




 というか、時間は戻せなくても、この缶詰を持ち帰らなくては!




 ポリニャック伯爵夫人やアントワネットに会う前なのに。




―――もう絶体絶命!




「フィービー! これは……」 アンがつとめて心穏やかに目で牽制する。




 絶対に回収しなければ!!!!


 デュ・バリー夫人のご機嫌を損なわないように自然にうまく!!!




 フィービーはにこやかな表情を変えない。全くわかってない様子だった。




「フィービー、こういったものはデュ・バリー夫人に失礼にあたるわ。


お渡ししない方がいいと思うわ」 




 アイリスもデュ・バリー夫人の心に不信感を抱かれないよう、配慮しながら止めにかかる。




 二人が必死で、目と言葉と全身から漂わせる焦りで伝えても、意に介さないフィービー。




「夫人、このラベルをご覧ください」 




 さらに缶詰を手に取り、デュ・バリー夫人の近くに持っていく! だめ、フィービー! デュ・バリー夫人の手に渡ってしまったら、取り返すことなんてできなくなる! 




「まあ、これはなあに?」 天真爛漫に尋ねる、夫人。




「実はジャポンにも、マダムデュ・バリーのお名前は伝わっていて、夫人の名を冠した商品が人気なのです。


それをお見せしたいと思って持ってまいったのです」






―――え! デュ・バリー夫人の名前を冠した缶詰? アンとアイリスはまた視線を合わせる。




―――何なのよ? それは?




缶詰表のラベルを見ると、




ラベル下に、コンテスデュ・バリーの文字がある。




※ コンテスは伯爵夫人の意味です。デュ・バリー伯爵夫人とあるわけですね。ここではデュ・バリー夫人と言っていますが彼女は、デュ・バリー伯爵夫人ですので、間違っていません。




『コンテスデュ・バリー』ブランドの缶詰!? 


 フィービー? どこからこんな缶詰手に入れてきた? 


 そして何を考えているの? 一体―――



―――あとがき



不思議なことにこの缶詰、実際にあるんですよ。 アマゾンでも買えるみたいです。瓶詰もあるし、この缶詰シリーズは他の種類もあって、色とりどりで可愛いです。


さらに缶詰の歴史はこちらでどうぞ。


https://www.educe-shokuiku.jp/news/food/kandume/



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